日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
“ゼラニューム”の仲間“ベラリゴニューム”が咲きました
昨日に続いて・・・「道の駅・ララン」で見つけた艶やかな“ゼラニューム”に似た花が咲く“ペラルゴニューム(=別名:ファンシーゼラニューム)”を紹介します
“べラルゴニューム”は、フウロソウ科の常緑多年草で、“ゼラニューム”より花色も豊富で鮮やかな花が咲きます
しかし四季咲きではなく、3~6月に咲く一期咲きで、葉も“ゼラニューム”に比べると、柔らかで明るい色をしています・・・今の時期花が見られるとは、季節感がおかしくなりますね
“べラルゴニューム”は南アフリカ原産の改良園芸品種で、明治末期に渡来したそうです 和名では“ナツサキテンジクアオイ”とも呼ばれますが、晩春~初夏咲きなのにこれいかに!?!?です
花色は多彩で、ピンクの他に赤、赤紫、白、更に斑入りや覆輪などがあるそうです 5枚ある花びらのうち上の2枚には、大きく濃い色の斑模様が入るのが多いそうで、これも特徴の一つになっているようです
“べラルゴニューム”の花言葉は、「 君ありて幸福 」、「 篤い信仰 」、「 切ない望み 」 です
古代ギリシャの英雄“ヘラクレス”の奥さん“ヘーベ”を冠した花です
先日関越道・藤岡ICにある「道の駅・ララン」で、白い房状に咲いている花鉢を見つけました
どこか “オカトラノオ” の花に似ているなと思ってみたのですが、“オカトラノオ”は山野草だし花の時期も今頃は咲きません
鉢についていた名前は、“へーべ・グリーンフラッシュ”で、 ゴマノハグサ科の常緑低木だと知りました
“へーべ”は南米、オセアニア原産で140種以上の園芸品種があると言われ、花は3~6月に虎の尻尾状の花穂で咲きます そんな所から、別名を“トラノオノキ”というそうです・・・似てると思うはずでした
“へーべ”はたくさんの花色がありますが、“ヘーベ・グリーンフラッシュ”は小さな白い花が咲きとても可憐な感じがすると人気があるようです 事実この花は見かけのみならず、夏の高温多湿を嫌い、冬の寒さにも弱い為管理がとても難しいそうです
それでも好きだというファンが多く、幾鉢も買って、部屋で楽しむのだそうです
見かけた“へーべ”の4弁花はちょっと硬い感じですが、薄いピンク色で清純さを醸しています
“ヘーベ”は、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスの妻・女神「ヘーベ」の名前に由来しているそうです
女神・「へーべ」はギリシャ神話では、神々に不死を与える食べ物を配る役目を負っていたそうで、「へーべ」と結婚すると聖なる食べ物が食べられ、不死となれると、あこがれの女神だったそうです この為「青春の女神」とも目されているのだそうです
“へーべ”の花言葉は、「 永遠の命 」、 「 青春 」、 「 影の努力者 」 です
十字の花・“ヒナソウ”
先日花屋さんの花木だなで、小っちゃくって白い可愛い4弁花が咲いていました 小さなポット苗ですが、花の少ないこの時期・目立ってました
花の名は花の感じそのままに、“ヒナソウ”と名札にありました
“ヒナソウ”はアカネ科ヒナソウ属・別名は“トキワナズナ”といい、北アメリカ原産で明治時代に移入された帰化植物だそうです
今では野生化して、日当たりのいい草原に多く自生する多年草らしいのですが、あまり見たことがありませんでした
最近は“ヒナソウ”のやさしい感じから、庭にも植えられて園芸植物として定着してきたみたいです
“ヒナソウ”は小さく繊細な感じの姿に似合わずとても丈夫な花で、株はこんもりまとまった形に育ち匍匐性があるので、グランドカバーとしてもいいようです
葉は対生し、葉身はヘラ形で、花は花柄の先に一つ上向きにつけて咲いています 花形は十字架のような整った形で、花色は白か薄青で中心部が黄色がかっています
株を覆うように咲くたくさんの小花は3~5月ごろが盛りらしいのですが、花屋さんの花棚は一足早い春が来たようです
“ヒナソウ”の花言葉は、「 会える幸せ 」、「 甘い想い出 」、「 寛大な愛 」 です
“松ぼっくり”=“松かさ”→“松毬”・“松傘”・“松笠”と書きます
室内インテリアに、木の実を使ってリースを作って飾ろうというのが結構流行であるようです 言い換えると「木の実アート」と言った所でしょうか
デパートの花屋さんで、「松かさ」がかごの中にいっぱい入って売られていました
価格は約一個20~30円・先日公園で一杯落ちていたなと思いながら、パチリ!!してきました
買う人がいるのかな
「松かさ」は、松の果実のようなもの(毬果あるいは球果)のことで、松毬・松傘・松笠とも書きます 子供の頃は松ぼっくり(=松ぼくり)と呼んでました
「松ぼっくり」は、「松陰嚢(まつふぐり)」が転訛した言葉で、晩秋の季語となっているそうです
かごの中の「松かさ」の実を眺めると、心が温かになりました
“松”は裸子植物なので子房がないのですから、種だけができ、果実(=果肉がある)は出来ません 即ち「松かさ」は、雄花の鱗片のやくからでた花粉と雌花のりん片の胚珠とが受精して、胚珠が種子となったもので、種子の集まりだと言えます
パチリ!した「松かさ」は黒松の「松かさ」と思えます 形は軸かららせん状に鱗片がついて、全体的に卵型塊りになっています 種は鱗片の裏側に張り付くようにあり、鱗片が外側に広がると、鱗片の隙間にある種はこぼれるのですが、しっかり閉じこもった形なのでなかなか外から見ることが出来ません
種が成熟するのには2年かかるそうです
枝先に今年雌花が咲くと、来年未熟な松かさができ、更に1年掛けて成熟し種を放出します 種を放出した「松かさ」はしばらく枝についていますが、風などで自然に地上に落ち役目を終えます
役目の終えた「松かさ」は大きく開いてやや球形に近くなり、毬(まり)のように弾んだり、転がったり・・・ これで役目は終わりとばかりにアクションが大きいです
ちょっと、薀蓄(うんちく) です
「松かさ」は英語で、 pine-coneといい、直訳すると、「松の木の円錐(球果)」です
‘カラーリーフ’で、しかも四葉一杯の“クローバー”を見つけました
二日間、友人の死を悼みお休みしちゃった 今日から又頑張ろう
先日スーパーの花木販売コーナーで、鉢物された“クローバー”が並べて売られていました 野にある“クローバー”をみると、「四葉があるかな」なんてすぐ思ちゃうほど、幸せ感のある自然な植物ですが、わざわざ店頭で売られているなんてと、ちょっと驚きました
“クローバー”って結構種類があるんですね
通常“クローバー”はマメ科のトリフォリウム属の多年草の総称で、一般的には“シロツメクサ”といいます 世界中には約300種が分布しているそうです
茎は地を這うように長くのび、葉は三小葉が普通で、属名の“トリフォリウム”はラテン語の「tres」(三)と「folium」(葉)に由来し、三つの小葉を持つことを指しているそうです
“クローバー”と言えば、前記した様に四葉の“クローバ”を(特に偶然に)見つけると、幸運が訪れるという伝説があるといわれますが、この四つ葉の“クローバー”は三つ葉の“クローバー”から「1/10,000」ほどの頻度に出るといわれる稀な変異体だそうです
伝説によると、四つ葉の“クローバー”の小葉は、それぞれ「希望」・「誠実」・「愛情」・「幸運」を象徴しているとされています
ところで花棚に並んでいた“クローバー”はカラーリーフの四葉が一杯で、初めて見ました こんなに四葉があると、幸福の価値観が少し変っちゃう感じです 私には自然の中で見つける四葉が、やはり暖かさを覚えるけどなぁ~
この“クローバー”は「幸せ探しの四葉のクローバー」として最近人気が出ているようで、その名は“ブラッククローバー”と呼ばれているようです
“カラーリーフクローバー”は幾種類かあり、産直の花木コーナーでも、一つ見つけました
“銅葉クローバー”の名で、ポット苗で売られていました
四葉はありませんが、冬の寒い時期なのに、葉色はなかなか綺麗でグランドカバーにしたらきれいでしょうね
ところで“クローバー”の小葉の数は四葉が珍しいと昔からされていましたが、五つ葉、六つ葉、七つ葉、八つ葉が見つかっているそうです 更には2009年岩手県花巻市で、56枚葉のクローバーが見つかって、ギネスに乗ったそうです
こんな多数の小葉をもつ“クローバー”なんて、どういう状態なんでしょう
やはり幸せは四葉の“クローバー”がもたらすと信じるのがいいですね しかもカラーリーフでなく、グリーンの葉がいいな
「つるべ井戸」を見つけました→「滑車」っていつ頃からあるのかな
先日、群馬・甘楽町にある名勝「楽山園」に行った折、園内の片隅で、往時に使った「つるべ井戸」が復元されていました
近寄って覗いてみると、4~5m下には水が湧き今でも充分使えそうでした 復元されたばかりで、古さは残念ながら感じられませんが、逆に現代文化にも充分通用する生活設備だなと感じます 井戸掘り技術は世界中何処に行っても、通用するはずですから、今でも水を欲しがる地域ではきっとこんな形の井戸があるのでしょうね
現代では井戸を掘って、きっと電動ポンプでくみ上げるのでしょうね でも昔は勿論電気はなかったし、今でもいたるところに電気が豊富にあるわけではないのですから、人力で(水を)くみ上げねばならないのですから大変です
そこで考えられたのは、「滑車」を使って軽々と汲み上げる方法です
「滑車」は紀元前1世紀頃からあったそうです もともとは、車輪として考え出され、更には船の帆を張るロープ張りに考えられた事から、色々のものに応用されるようになったと思われます
「楽山園」で見た「つるべ滑車」はもっとも単純な定滑車ですが、しっかりした構造で作られていました
情報の少なかった大昔に、その地その地の生活の中からさまざまな技術が生まれてきた訳ですが、「滑車」は人間が創造した最も最古の知恵の産物群に入ると思えます
「てこ」の利用は生きる中で、「滑車」よりも古いかもしれませんね
「てこの原理」を理論化したアルキメデスは 「立つ場所さえあれば、地球も動かしてみせる」 と言ったそうですが、非力な私も地球が動かせるのかなと思うと、なんかとても愉快になりました
“タンキリマメ(痰切豆)”!?か “トキリマメ(吐切豆)”!?
先月末近くの公園を散策した時、赤い豆形の殻を破って、黒光りをした種子が顔を出しているつる植物を見つけました
杉林の縁近くに出た笹竹に絡まって、周りの寒さの中で、果実がとても目立っていました
時たま歩いていたこの路ですが、初めて見た果実です
生えていたのは道路横ですが、2~3m奥で 撮影の足場が悪く、ややブレてしまいましたが、まあ面白い顔つきに撮れたと独りよがりしています
帰宅して、ネットやら図鑑で名前探しをしましたら、“タンキリマメ”か、もしくは“トキリマメ”ではないかと分りました
共にマメ科のタンキリマメ属で、花の色形、果実の色形もそっくりのようです 唯一の違いは葉の形が少し違っているらしいのですが、見つけたこの時期は葉が落ちて見分けがつきませんでした
“トキリマメ”の別名は“オオバタンキリマメ”と呼ぶそうなので、正確名称は葉の出たときにまかせるとして、今回は“タンキリマメ”としておこう・・・と
“タンキリマメ”はつる性の多年草で、暖地の山野に自生し、葉は互生し、柄の長い三出複葉です 夏・葉腋に黄色の蝶形花が総状に咲きます 秋になると、豆果が赤く熟し弾けて、黒色の種が露出します この種を煎じて飲むと、「淡きり」の効能があることから、“タンキリマメ”の名の由来になったようです
名前がちゃんと“痰きり”なのに、“タンキリマメ”の薬効は「知る人ぞ知る」ことなのか、薬用図鑑では載っていません
何でかな~!?・・・ちょっと妖しいと言う事なんでしょうか??
今日は「節分」です → 明日は勿論「立春」
今日は、2月3日・「節分」ですね
「節分」は季節の移り変る時を意味しており、春夏秋冬の切れ目を指していましたが、立春が新年と考えると大きく季節の変りと年の変りを兼ねる事から、「節分」といえば、春の「節分」を指すようになったと考えられます
「節分」は古来から、前年の邪気を祓う意味で、悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う豆まき行事が行われてきています
なんで、「豆まき」するのでしょう
この行事習慣は中国から伝わったもので、豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があることに通じているそうです
更に言い伝えでは、昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天様のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っているそうで、「魔の目(魔目=まめ)」に大豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるという訳です
尚豆は北東の方向にまくのがいいのだそうですが、北東が東洋占星術では「鬼門」と呼ばれる方位になるそうでそこに向かって『鬼は外』と言う訳です・・・大抵方向は気にせず、玄関から外に向って『鬼は外』ですかね
鬼門の方角は十二支では「丑」と「寅」の方角(うしとら)に当ります 鬼の姿はこの牛の角をもち、トラのパンツを身に付けています 一年でいうと「丑」というのは12月を、「寅」は1月を指しますから、ちょうど12月から1月にかけての季節の節目に「鬼門」がある意味にもなり、この邪気を祓い、春を迎えたいと考えられてきたようです
豆まきに使った大豆は、邪気を祓う効果があるので、人が自分の数え年の数だけ豆を食べると病気にならず健康でいられると云われてきました
ネットでこんな句を見つけました
“ 節分や 来し方数え 豆を食う ”
今朝の新聞で、こんな句が載っていました
“ 豆ごときでは 出て行かぬ 欝(うつ)の鬼 ”
こんな世の中・心配事一杯あるから、気合を入れて、『 鬼は外 、福は内 』 を今晩叫ぼう
明日から春が待ってるはずです
群馬・甘楽の名勝・「楽山園(らくさんえん)」は近々開園です
二三日前、ふと思い立って、群馬・甘楽町にある 「楽山園」 に行ってきました
「楽山園」は群馬県甘楽町小幡にある大名庭園で、平成12年に国名勝として指定された群馬県では初の名勝指定庭園だそうです
小幡は「小幡二万石」の城下町で、落ち着いた小京都風の町並が残っていますが、城跡には織田信長の次男である織田信雄が築庭した「楽山園」が面影を残すのみで、往時の陣屋の建物遺構としては何も残されていないようです
国指定の名勝庭園になった事で、「楽山園」の往時の姿に改修・陣屋の遺構復元整備事業が行われ、今年3月が竣工だそうです 訪ねた「楽山園」は勿論工事中で、あと1ヶ月余に近づいた竣工予定に工事担当者が植え込みしたりと忙しく働いておりました
「楽山園」名の由来は、『論語』の故事・「智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」の一文から取ったものだそうで、江戸時代初期の池泉回遊式庭園になっています
「楽山園」は、織田信雄が京都の桂離宮を模して作ったと言われ、広い昆明池の周りに48のいろは石を配し、周囲の山を借景として取り込んで、そういってはなんですが、文化の高さを感じさせます
戦国時代を駆け抜けた織田家の宗家として、他の大名陣屋には見られない規模の庭園らしいのですが、信長が茶の湯を愛したように、信雄も文化人として優れた素養があったのでしょうね
上の画像は庭園南側からパチリ!! したのですが、左側は梅見茶屋、正面奥は上毛三山の一つ榛名山塊です なんとも豪快な借景です 榛名山の下の建物は「長岡今朝吉記念ギャラリー」だそうですが、覗かずに帰ってきました
復元された中門
奥:梅見茶屋 左手前:古木梅・まだツボミでした
園内中央の小高い丘に建つ梅見茶屋は、ちょっと腰掛けて梅の木を見たり、周りの借景を眺めたりと、四季の移ろいを感じられる場所になっています
正式開園になれば随分賑わうのでしょうが、この静けさはなくならないようにと思うのは身勝手ですかね
暖冬かなと思っていましたが、今年の降雪は凄い??
今日は2月1日、新年に入って一か月が早くも経ちました
今朝は大雪情報で、テレビ画面を見入ってました 記録的な豪雪になりそうだと大分懸念される日が続いています
新潟津南では昨日は3mを記録したそうです 今朝は昨日一時止んだので3mはきったようですが・・・
こんなに雪はどうして降るのでしょう
通常の豪雪の特徴としては強い冬型の気圧配置が続くことで、雪雲が季節風により山地まで運ばれ山間部や内陸部に大雪をもたらす「山雪型」のものが多いのだそうです しかし平野部でも豪雪になるのは、季節風によって気圧配置が大きく変わるためのようです
この原因は北極振動の発生により北極と日本付近との気圧の差が小さくなり、北極付近の寒気が南下しやすくなることによると考えられているそうです
さらに季節風と言われる偏西風が蛇行し、日本列島に寒気団が流れ込みやすくなると雪が降りやすくなると言います 前年の夏が猛暑だったり、秋が暖秋で日本海の海水温が上昇したままで、寒気が強くなると日本海側は多量の雪になります
自然現象だから仕方ないのですが、現在の生き方を考えさせられるものがあります
大雪と経済の影響、豪雪地帯の生活防衛、等々・・・これ等は色々な課題、問題を含んでいます 言い方を変えれば、電力確保、水、燃料確保配給、医療、産業振興、更に見方を変えて高齢社会のあり方、少子化による過疎化問題等々、まだまだ枚挙にいとまの無いくらい様々な問題が絡んでいます
国会が開かれていますが、拙速はいけないけど、なんかいらだつ国会運営に胃が痛くなってます
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