goo

安曇野の歴史:」吉祥山・東光寺」と「等々力邸」の紹介

信州・安曇野をあっちこっち歩いてきましたが、自然の雄大さだけでなく、歴史を物語る古い史跡が目立ちました

安曇野は九州北部地方を本拠としていた安曇族が九州での政争に破れ、日本海沿いにこの地まで逃れ、土着し、開発した地域だと言われています                                                                  平安時代に編纂された「延喜式神名帳」に記載されている 「明神大社・穂高神社」 には、安曇族の祖神とされる海に関係する神々が祭られています

古い神社の多い中で、安曇野・穂高にある曹洞宗の寺院・「東光寺(とうこうじ)(山号は吉祥山)」は、信州七福神の大黒天の札所として知られています

東光寺の本尊・薬師如来像は室町時代中期から後期に制作された像高107cm、総高129cmの木彫立像で、昭和46年に安曇野市指定有形文化財に指定されているそうです

 

「東光寺」正面には比較的新しく建てられたと思われる三間一戸、入母屋、銅版葺きの楼門が建立され、吉祥門と掲額されています

楼門内に仁王像があり、パチリ!!してこなかったのですが、このモデルは元横綱北の湖とされているそうです                                                                                     楼門の前には、「吉祥仁王様の大下駄」と呼ばれる朱塗りの大きな下駄があり、この大下駄を"履けば願い事が叶う"といわれています

 

“東光寺”の斜め向かいに、“等々力家”史跡があります

“等々力家”は案内板によると、                                                                           「 室町時代から仁科氏に仕え、東龍寺の開基である。大坂冬の陣にも出陣し、江戸時代は庄屋として鮭、鴨猟の際、松本藩主の休息所として御本陣と呼ばれた。須弥山式石組の庭園は江戸時代中期のもので、書院と共に良く保存されている。」とありました

“等々力家”の正面門は「長屋門」と呼ばれ、江戸時代後期に建てられた桁行き20間、梁間4間と大型な門です                                                                                         この当時、大名屋敷など格式の高い身分しか建てられなかった事からも大門は“等々力家”の格式の高さを偲ぶ事ができます                                                                      “等々力家”の「長屋門」は当家に伝わる古文書と庭園にある“ビャクシン”と共に、安曇野市指定文化財に指定されているようです

 

長屋門をくぐって中に入ってみたのですが、訪ねたのが朝早すぎて誰も居らず、奥の須弥山式石組み庭園は見れませんでしたが、入り口の庭園一部で窺い知れたかな!?

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )