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千葉県・九十九里・真亀海岸に行ってきました

涼しかった日から、又猛暑が戻ってきた感じです

ここ二日、出かけたりして勝手にお休みしちゃいました                                                              独りよがりのたいしたブログじゃないけど、いつも見ていてくれてる方たちにお詫びします                                          何せ毎日書くのが取り柄だと多分思ってくれていたでしょうに・・・

ちょっと所用が出来、車  で関越道を通り、首都高を抜けて京葉道から千葉に行ってきました                   所用を済ませてから思い立って、R126から 九十九里の豊海海岸 へと足を伸ばしてきました

昨年数十年ぶりに見た砂浜がまた見たくなったのですが、今年は3・11の大震災後の浜の変化もちょっと気になった事もあります

浜辺は海水浴客がチラホラ、うんと賑わっている様子ではありませんでしたが、私には少年時代観光客なんて見たこともなかった事を思い出すと、雲泥の賑やかさだなと思われました

画像は豊海・真亀海岸「国民宿舎・サンライズ九十九里」前の海岸で撮りました                                         

下の画像で、右手奥の高架橋は波乗り有料道路です                                                             この道路は砂浜をさえ切るように海岸線に沿って、延長17.2km、昭和47年・九十九里片貝~一宮の間に造られたものです

観光客を呼ぶためにつくられた道路ですが、私の眼には九十九里浜の景観には、なんかそぐわない感じに見えます

ここ豊海・真亀海岸は、大正~昭和にかけて多くの文人が好んで訪れた地ですが、特に高村光太郎が、精神を病んだ智恵子夫人を転地療養させた地としてよく知られています

「光太郎」は海岸の砂浜、防砂林として植えられた松林を「智恵子」と歩きながら、散文「智恵子の半生」、「九十九里浜の初夏」などの文筆を残しました                                                             更には智恵子の死後書いた「智恵子抄」は昭和初期の文壇を代表する詩文として詠まれています

そんな「智恵子抄」の一文が療養地跡の砂浜に建てられた「高村光太郎詩碑」に刻まれていました                 詩碑は波打ち際から100m程のところにあり、海がとてもよく見通せます

 

 

刻まれた詩文はちょっと読めませんでしたが、 この文が刻まれていたと思われます

     人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
     砂にすわつて智恵子は遊ぶ
     無数の友だちが智恵子の名をよぶ
     ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
     砂に小さな趾(あし)あとをつけて
     千鳥が智恵子に寄つて来る。
     口の中でいつでも何か言つてる智恵子が
     両手をあげてよびかへす。
     ちい、ちい、ちい――
     両手の貝を千鳥がねだる。
     智恵子はそれをぱらぱら投げる
     群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ
     ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
     人間商売さらりとやめて、
     もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
     うしろ姿がぽつんと見える
     二丁も離れた防風林の夕日の中で
     松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す

行ってみた九十九里の海岸は、3・11の影響は目に見えるところでは感じませんでしたが、光太郎が智恵子と見た自然とはさぞかし違っているでしょうね

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