ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

8月29日は韓国の「国恥日」でした。(も一つあるけど・・・)

2009-08-30 21:37:39 | 韓国・朝鮮関係の知識教養(歴史・地理・社会等)
 8月15日の<終戦記念日>が、韓国では<光復節>(クァンボクチョル)といって祝祭日になっていることは日本でもかなり知られているようです。
 しかし、昨日8月29日<庚戌国恥日(キョンスルククチイル)>であることはほとんど知られていないのでは?
 実は私ヌルボも知らなかったのですが、たまたま聴いていたKBSラジオでそのことを知りました。
 <庚戌>(キョンスル)は1910年のこと。つまりこの日は「韓国併合に関する条約」が発効した日なんですね。(※この条約が寺内正毅統監と李完用首相により調印されたのは1週間前の8月22日でした。)
 この記念日は2005年制定。当時の盧武鉉政権が、<親日派>追及と同様のねらいで行った政策だと思います。ということで歴史も浅く、今多くの韓国国民の間に広く定着しているとは(私ヌルボとしては)感じられません。
 <光復節>なら皆で喜んで祝えますが、<国恥日>ではどうも・・・ですしねー。

 来年は<韓日合邦>(と韓国ではいう)からょうど100年、韓国ではどのような迎え方をするのでしょうか?

 関連で、YTNで「韓国 日帝の建物取り壊し反対!日帝への恨みを忘れないために」という記事がありました。(YouTubeで動画が見られます。) 内容を略述します。

 南山にあった中央情報部(KCIA)の建物は1996年からソウル市庁舎別館等として用いられてきたが、今年3月ソウル市は自然の生態と歴史復元のため建物を撤去し、「南山ルネサンス」と称して水路や緑地を造成すると発表した。
 これに対し、ある市民団体が待ったをかけた。「恥辱の歴史を象徴する建物を保存して未来に向け<歴史の鏡>とすべきだ」というのがその主張。具体的には、併合条約が締結されたその地に、朝鮮統監府の官署を復元しよう、というもの。

 市側は、計画の修正はむずかしいとの対応ですが、このような声もあるんだなあ、と興味をもちました。

 あ、特に関係はないですが、8月29日はヨン様の誕生日だったんですね~。「ペ・ヨンジュンの誕生日8月29日を前に、韓国と日本のファンが寄付金を募り、国際救護団体「ワールドビジョン」の両国支部に寄付した」とか。他にもいろいろあったことと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ディア・ピョンヤン」にみる北朝鮮(その1) あれ?景色がゆがんで見える!

2009-08-30 09:10:20 | 北朝鮮のもろもろ
 別の記事に記したように、梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督のドキュメント映画「ディア・ピョンヤン」はいい映画です。その映画自体の評価とは別に、私ヌルボ、その画面から読み取ったピョンヤンの実情(の一端)その他をメモしました。

①映画の最初の方で映されていた平壌の街並み。と見ると、波状のゆがみが上下に動いているのに気付きました。
 私ヌルボが思い出したのは、1991年北朝鮮に行った時のこと。団体バスで元山から平壌に向かう途中の休憩所で、なんとなく外を眺めると、なんかヘン。景色がゆがんで見えるのです。
 つまり、窓ガラスが均質でないため、そう見えるんですね。
 日本ならふつうの、平らで均質なガラスを作るということが、国によっては必ずしも当り前ではないんだな、と思ったものです。湯呑み茶碗をテーブルに置いても、底が真っ平らになっていないので、少しぐらぐらするし・・・。またこれは北朝鮮だけでなく韓国や中国でも思ったのですが、扇子の要があまりしっかりしていない等々。
 技術レベルの問題だけでなく、国民性といったものとも関わりがあるのかもしれませんが・・・。

②新潟港を出た万景峰号が着くのは元山(ウォンサン)港。「20年間変わっていない」とナレーション。
 ・・・ということは、私ヌルボが行った1991年も同じだったということ。たしかに、迎える側の人々の姿、ブラスバンドの曲(ミーミ/ミッミミレド/レッミレドミ/レッソソッソ/ラーラ/ソッソミレド/レッミレドラ/ドッドド  (/と/の間は2拍)、映画に映っていたそのままです。
 着岸前、甲板から元山の街を見て、私はその人通りの少ない、何かどろーんと停滞しているような雰囲気に、まったく違った世界、まったく違った時代に来てしまったような感覚にとらわれました。
 1959年以降、帰国船でこの元山や清津に下り立った人たちのかなり多くが、その時点で自らが選択を間違ったと悟ったということです。ヌルボの場合は「私は旅行者だから日本に帰れるのだ」ということを頭の中で確認して少しほっとしたのですが、彼らの気持ちを推し量ると、心が痛みます。

③元山の丘の中腹等に、大きくスローガンの板が掲げられているのもヌルボが見たまま。
 その文字は「速度戦」「電撃戦」「殲滅戦」のハングル表記。元山だけでなく、いろんな所に同様のものがありました。(そのように鼓舞しないと働く気にならない?)

④平壌の街で、路上で練炭を干している光景が映されていました。家々の中は暗く、電力不足は慢性的なんでしょうね。
 山に緑が乏しく、ヌルボは最初緯度とか気候の関係かなと思いましたが、燃料用に木を切ってしまった結果だとある本で読みました。
 5年前に、中国東北地方の、北朝鮮との国境近くに行ったのですが、そちら方面の山は木々がふつうに生い茂っていました。

⑤映画を見ていてこれも同じだったなあと思ったのは、土埃で霞んだ平壌の空気。 ヌルボが行ったのは夏で乾燥していたためか・・・。バスの車窓から見ると、工事現場がかなりの土埃の発生源のようでした。(季節にもよるが中国からの黄砂の関係があるかも。) 重機類は全然と言っていいほど見られず、大きな立方体のコンクリート塊をほとんど人力で積み重ねているような建築現場でした。

⑥高級アパートに見えても、実際はいろいろ問題が・・・。
 パンフレットによると、「映画で見ると兄貴たちはいい部屋に暮らしているように見えますが、実際は床に空いた穴をカーペットで隠しています。兄たちの家族の一ヵ月の生活費は日本円で約3万円なんですが、これは兄貴たちが内職して生活を切り詰めて1日3回ご飯を食べられるレベルです。北朝鮮では上の中くらいの水準でしょうか」とあります。
 ※ヌルボが払った約30万円がいかに<大金>であったことか・・・
 高層アパートも、エレベーターが稼働していなくて階段を上り下りしなければならなかったり、④で書いたように日常的に停電の時間帯が設定されるようなこともあったりして、日本のモノサシで考えると不便なことがたくさんあるようです。それでも北朝鮮では平壌に住んでいること自体が恵まれている証しですが・・・。

⑦芸術やスポーツ等の隠れた名手はいるかも・・・。
 兄の息子、つまり梁監督の甥は、1995年の訪問時点で平壌音楽舞踊大学付属小学校。2001年の訪問時にはリストとか弾いていました。上手いです。(パンフには「学校でトップ3に入る名手」とありました。) ショパンの「革命」も。<この曲>が<ここ>で<このような少年>によって弾かれるというのは、相当にスケールの大きな、一種の皮肉である、と思いました。これらの楽譜は、日本から送られた物です。
 このような学校に通えて、自宅にもピアノがあって、というのはやはり<上流階級>なんでしょう。
※平壌音楽舞踊大学は日本でいえば東京芸術大学、といったところ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする