ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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映画「ディア・ピョンヤン」にみる北朝鮮(その2) 国外にも知られる冷麺の店・玉流館

2009-08-31 17:01:56 | 北朝鮮のもろもろ
 映画「ディア・ピョンヤン」を観て、北朝鮮や在日関係についてわかること、わかったこと。(その1)の続きです。

①梁英姫監督がお父さんに、「お父さんのお墓は北朝鮮に? それとも(故郷の)済州島?」とたずねると、「いや日本で・・・。統国寺。」との答え。この統国寺のことをヌルボは知りませんでした。
大阪にある、在日と密接な結びつきのあるお寺なんですね。サイトを見るとな~るほど、です。
 境内に在日の信徒が祖国統一を願って1998年喜捨したという「ベルリンの壁」があるとのことです。

②父親がゴキゲンで歌っていた歌は「島の村の先生(섬마을 선생님)」(1967年)。「椿娘」とともに李美子の代表曲。この歌を愛唱している人はけっこう多いようです。 以前読んだ「母の思い出の歌(?)」とかいう本(韓国語)で、韓国各界の人が母にまつわる歌をいろいろ挙げていましたが、その中で多かったのが「皇城旧跡(황성 옛터.ファンソンイェット)とこの「島の村の先生」でした。

③一家の部屋に金日成・金正日の<御神影>が掲げられています。以前テレビで見た、中国の田舎の貧しい農家の部屋に毛沢東の写真が飾られていたのを思い出しました。まあ今の日本でもないことはないけど・・・。
 書斎には金日成全集が揃えられていました。

④お母さんは30年間せっと平壌の息子たちへ仕送りを続けています。ボールペンや消しゴムが喜ばれる、というのはちょっと意味ありかも。薬類の不足はつとに知られている、かな?

⑤平壌市内の、冷麺で韓国等にも広く知られている店が玉流館。その2階で父親の誕生会。私ヌルボがこの店に行った時も2階でした。1階は現地の人たちで一杯! 2階は観光客とか、地元の人以外用なんでしょう。
※北朝鮮観光客に対する受け入れ側の<鉄則>は、「北朝鮮の一般人との接触をさせないこと」です。
 ヌルボが1991年行った時、平壌→開城の列車での移動があったのですが、駅の近くの高麗ホテルからなのにわれわれをバスに乗せ、そのバスがそのままプラットフォームに入っていったのは驚きました。われわれが下車したのはブラットホフォーム前方で、一般市民は後方。きっちり区分されていました。

 ヌルボが冷麺を初めて食べたのがその平壌の玉流館だったのです。そんなに美味しいとも思わなかったのですが(不味くはなかった)、帰国後大阪鶴橋で食べた冷麺はとても美味しかった!
※北朝鮮旅行者のブログに、それぞれの感想や現地の写真が載っています。たとえば、<トンガリキさんの旅行ブログ>。

⑥平壌から帰る監督と、兄たちとの別れの時に交わす「がんばって!」の言葉には、第三者のヌルボにもその重みがずっしりと感じられました。
 生き抜くためには、何をおいても<がんばる>という強い意志と体力を要する<北>と、ヌルボも含めてお気楽な日本人の「がんばってネ」とのなんという落差!

★「ディア・ピョンヤン」に映し出される映像、ずっと以前なら<お宝映像>の部類だったかもしれませんが、パンフによると「税関ですべてチェック済み」とありました。北朝鮮当局には不都合と思われるシーンとかもあるんですが、チェックがいいかげんになってきてるのか、そんなに気にしていないのか、そんな重大なものとは考えていないということなのか・・・・
コメント
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