ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

金薫「孤将」を読む  壬辰倭乱(文禄の役)で耳や鼻を切って送ったのは・・・

2009-08-26 19:08:10 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 文禄・慶長の役(韓国では壬辰倭乱・丁酉再乱)の時、朝鮮に派遣された日本兵は朝鮮兵の鼻を切り、塩漬けにして樽に入れて日本に送った。それを埋葬し弔ったのが京都の豊国神社門前にある耳塚(元来は鼻塚)である。

 このことは(一部の?)日本史の教科書にも記述があり、また韓国に興味関心のある人であればおおよそは知っていることだと思います。ヌルボもその一人です。

 ところが、韓国の人気作家金薫が李舜臣を描いた小説「孤将」(新潮文庫)を読んでアレレ!?と思いました。
 援軍としてやってきた明軍が、ちゃんと戦って戦果をあげたぞっ、という証拠として、敵の戦死者の耳(右耳だっけな?)を切って本国に送っているんですね。(金薫が史実にしたがって書いてるとすれば。)

 つまり、日本兵だけがやってたことじゃないのか、ということ。

 また、日本では昔から合戦で敵を倒したら、その首級を上げる、つまり首を切る習慣が長く続いていたわけで、これは自らの戦功の証しと、プラスαの何かがあったのだと思います。

 ヌルボの言いたいことは、文禄・慶長の役で、鼻切りをもって「日本兵は朝鮮人に対してかくも残酷なことをやっていた」と説明するのはちょっと違うな、ということです。

 日本人だけじゃない、というと「自虐史観」を否定する皆さんの常套句と重なってしまいますが、たしかに中国の歴史を見ると残酷の具体例は山ほどあるし、意外な感はないですねー。
 また朝鮮人の耳鼻を切ったというのは日本人どうしで首を取り合う延長みたいなところもあるし、「残酷だ」というのはどうも現在のモノサシをそのまま用いているという感じですね。それをいうと、日本人は(他の多くの民族同様)ずっと昔から残酷だったことになります。
 もちろん、突然半島に大軍を送りこんで云々というこの戦いの基本的性格は侵略そのものですよ。誤解なきよう。

 この本を読むと、朝鮮の政府と軍、さらに民衆との間の関係性が日本と違う点がいろいろあるようです。まとまりのなさ、なんて一言で言っちゃうと問題もありそうですが、まあそういった感じですかねー・・・。

 前述のようにちょっと読む側も力を要しますが(?)、絶版にならないうちにとりあえず買っておいて、できれば読んでみてください。

蓮池薫さん・小倉紀蔵さんの対談

2009-08-26 19:03:05 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 日販発行の「新刊展望」は、書店のレジ横などにおかれている小冊子です。
その9月号に、「韓国文学とその周辺」というタイトルの蓮池薫さん・小倉紀蔵さんの対談が(判型は小さいが)11ページにわたって収められています。
 なかなか濃い内容で、読み応えがありました。韓国の文学や社会に興味をお持ちの方、ぜひ書店にあるうちにお求めください! (タダだし、全然かさばらない冊子だし・・・。)

 小倉さんは、蓮池さんの新刊書「半島へ、ふたたび」の中で、蓮池さんが金薫の「孤将」(原題は「刀(カル)」)で翻訳家デビューするまでの顛末について「特におもしろく読ませていただいた」と述べています。
 また「闘う将軍(李舜臣)の内面を哲学的に描いた内容はもちろんのこと、文章の素晴らしさに驚いた」、さらに「孤将」以外の翻訳ではがらっと違う(軽やかな)日本語になっていて、・・・これはプロだなと思いました」との感想を語っています。

 「孤将」の訳出について蓮池さんは、「特に昔の言葉がたくさん出てくるので、ずいぶん辞書を引いて調べました」、「この本が難しかったおかげで、たくさん勉強をさせていただきましたし、最初のハードルが高かったので、その後がスムーズにできたという思いもあります」とのこと。

 ☆私ヌルボも、この本のモトとなった新潮社のサイト中の蓮池さんのブログを読んでいた時から、蓮池さんの翻訳家修行については興味をひかれました。→ヌルボ・イルボ 8月12日「孔枝泳の最新作「るつぼ」を読む①」参照

 ☆ヌルボも以前「孤将」を新潮文庫で読みました。訳者が蓮池さんということと関係なく、作者の金薫が韓国で高い評価を得ている作家なので、ぜひ読んでみなければ、と思っていたからです。
 で、読んだ感想なんですが、(先入観と違って)反日の英雄を英雄らしく描いた物語ではなく、彼の内面を、時には国王や明軍に対する冷めた観察も含んで描いた作品で、いろいろ勉強になりました。ただ、蓮池さんの言葉にもあるように、懸命に「辞書を引いて調べた」等で力が入り過ぎたためか、元の金薫の文体ゆえか、堅苦しさが2~3割ほど混じっている感じで、その分読書の感興といったものは今ひとつ欠けるかなという印象を持ちました。

 小倉さんが韓国について具体的に語っている事例はおもしろいです。たとえば・・・
①民衆は警察を完全に馬鹿にしている。「パトカーが赤信号で停まっていたら、横断歩道を歩く酔っ払いたちがみんなパトカーを蹴っ飛ばしていく(笑)。おまわりさんも慣れてる様子で何も言わない」。
②韓国人がよく議論し主張するのは、「伝統的に家族と国家の間に位置するものがほとんどなかった」から。会社や趣味のサークルといったものが数十年前までの韓国には基本的に存在しなかった。「昔は会社の掟より自分の道徳性のほうが重要だった」。したがって自分が嫌だったら会社をすぐ辞めてしまうから離職率は高い。それが今だいぶ変わってきて、「だんだん浸透しつつある段階」という。
③韓国も1980年代までは「我々の願いは統一」というスローガンをテレビでも毎日掲げていたような状態だったが、ベルリンの壁崩壊後のドイツの現実を見てからは「統一の話は急にしぼんでしまった」。「政権によって雰囲気は大きく変わりますが、基本的には今は統一を考えてはいないと思います」。

 ☆「我々の願いは統一」=<ウリエソウォヌン トンイル>・・・この南北両方でしばしば歌われる歌については、いずれこのブログで取り上げます。③の小倉さんの見解は一般的なものでしょうね、ヌルボもそう思います。

 蓮池さんは、韓国の小説は1990年代に転機を迎えたと述べています。
それ以前は、「60年代は戦争を、80~90年代には民主化を書かなければならない雰囲気があった」が、「90年代以降の韓国の小説は、私小説的なもの、個人の悩みや問題を描いたものが主流になってきました」と概観しています。

 ☆蓮池さん、帰国後にずいぶん<南>の本なんかも読んで努力してこられたんだな、と思います。また続けて、「しかし、個人の問題を描く小説であれば、日本のほうがはるかに先を行っていますよね。韓国でも日本の現代小説はかなり受け入れられ、よく売れているようです。韓国の小説はまだ始まったばかりで、洗練されていない。ゆえになかなか日本で浸透できないという現実もあるみたいですね」。
 うーむ、蓮池さん、私ヌルボはほとんどそのお話の線でひとつ文章をアップさせようともくろんでいたんですよー。・・・と言ってもオッチョルス オプソヨ(しょうがないです)。