ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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韓国映画「鯨とり」で歌われていた「乞食節」のこと

2011-09-08 23:44:46 | 韓国の音楽
 10数年前に観た時には記憶に残っていなかった韓国映画「鯨とり ナドヤカンダ」中の乞食親分ミヌ(アン・ソンギ)が歌う乞食節。この映画について書かれた多くのブログにとり上げられています。

 ミヌが村の子どもに乞食節を歌ってくれと言われて歌い踊ります。ということは、乞食節はミヌの個人芸ではなく、子どもも知っているほどの乞食一般の芸だということがわかります。
 原語では거지타령(コジタリョン.乞食打令)です。

 <거지타령>を動画検索すると、興味深い動画がいくつもヒットします。
 ところが、そのタイトルは<거지타령>以外にも각서리타령(カクソリ打令)품바타령(プンバ打令、あるいは장타령(チャン打令)となっているのもあります。しかし内容的には、大体が大道芸人が人々の笑いをとるような歌(+語り)で、どれも同じようなものです。

 その中で、忠清北道・チャゲ芸術村の公演の出し物の、なかなか芸達者なオジサンの<プンバ打令>の動画を見つけました。歌詞や節回し等は映画の乞食節とよく似ています。


    【 1:58からプンバ打令が始まります。】

 この他にも、民謡風のものをステージで演じているカクソリ打令ステージ歌謡のカクソリ打令(チャン打令)や、祭等の際に屋外で大道芸人が演じているもの等があります。

 NAVER辞典等で、上記の言葉の意味を調べた結果は次の通り。

장타령꾼(チャンタリョンクン)=各地の市場を廻って、장타령を歌いながら物乞いをする人。
각설이(カクソリ)=장타령꾼の蔑称。
품바(プンバ)=市場や往来を廻って物乞いをする人

 ・・・つまり、ほぼ同じような意味のようですね。
 ただ、プンバという言葉は、大邱で開かれた「プンバ祝祭」や、木浦文化芸術会館でのマダン劇の公演のタイトル「プンバ、プンバ」等々、多くの例にあるように、そんなに抵抗感なく、一般的に用いられる言葉のようです。


  【2009年8月大邱Wカップ競技場での第1回プンバ祝祭より。約21分と長いですが、14:15から例の「カクソリ打令」が始まります。】

 カクソリ打令の歌詞は、たとえばコチラに載っていますが、これはあくまでも一例。
 ただ、冒頭の一節は共通しています。

 얼씨구 씨구 들어간다 절씨구 씨구 들어간다
 작년에 왔던 각설이가 죽지도 않고 또왔네

 (試訳)エッサカエッサカ やってくる ホイサカホイサカ やってくる
     去年来ましたカクソリが 死にもしないでまた来たよ

 ・・・こんな感じですかねー。踊りの方も、手の振り方とか一定の型があるようですね。

 ネット内をいろいろ探っていくうちに、<デジタル公州文化大全>というサイト中に<カクソリ打令>についての詳しい説明記事をみつけました。
 そこには、「文化財庁から刊行された研究書によると、カクソリ打令は公州と礼山一円で発生したという」とあり、カクソリ打令の定義からして「忠清南道公州市一円で歌われた乞人の歌の通称」としています。
 また、公州市では、カクソリたちが歌っていた歌を次のように分類しています。
①プンバ打令・・・乞人たちが物乞いをする時に歌う歌。
②乞食私説(거지 사설.コジサソル)・・・乞人たちが自分の人生や世の中を嘆いたり称えたりする歌。
③チャン打令・・・5日市が立った市場の名称を歌う。「コリ(고리.輪)打令」「タリ(다리.足)打令」も同類。

 以下、さらに細かな分類が記されていますが、煩瑣になるので略します。つまりは、これらを総称してカクソリ打令としているわけですね。(公州市としては・・・。)

※上記の「私説」に関連して、「私説遊び(사설놀이)」と銘打った動画がありました。→コチラ。(「私説」と記しましたが、「邪説」かも・・・。)

 なお、この記事中で興味深いのは次の部分です。

 現代のカクソリ打令は物乞いの時歌う楽しい歌だが、公州では哀しいカクソリ打令は1970年代までよく歌われた。2000年までもこの歌をよく歌ったが、今はあまり歌われない。

 時代の変遷とともに、カクソリ打令を歌って物乞いをする本物の乞食も姿を消したということなんでしょうね。映画「鯨とり」のように、子どもが乞食に乞食節をリクエストする、というのも昔の話になったといっていいのかも・・・。
 日本でも、大道芸人やいろんな物売りが見られたのはほぼ60年代までだったし・・・。

 さて、最後になりましたが、映画「鯨とり」についてのオドロキの韓国サイトを発見しました。
 まさにオドロキの詳述+動画+画像+音声です。アン・ソンギの「乞食節」の音声も流れているし「傾けると水着が脱げるボールペン(笑)」の動画もありますよ。これは必見! →コチラ。(→日本語自動翻訳)
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歌手生活40年・楊姫銀(ヤン・ヒウン)さんの「朝露」をめぐる韓国現代史 (と、自分史) <その3>

2011-07-16 02:30:16 | 韓国の音楽

<その1>
<その2>
の続きです。

 「朝露」以外にもヤン・ヒウンさんの歌の多くが70~80年代の軍政下で禁止されました。
 つい今月初め(7月4日)の韓国MBC番組「遊びにきて」で、ヤン・ヒウンさんが当時のことを語ったという「韓国経済」の記事<ヤン・ヒウン禁止曲 理由聞いてみると「荒唐無稽」>(→コチラ)をたまたま読みました。
 まさにかつての不合理な禁止の実態を伝えています。彼女の禁止曲は30曲に及んだそうです。その理由は、たとえば「叶わない愛(이루어질 수 없는 사랑)」では「なぜ愛が叶わないのか」と問われ、「0時の愛(0시의 사랑)」は「なぜ通禁時間に別れをするのか」の理由で禁止された、とヤン・ヒウンさんは語ったそうです。

 <その2>で、<金冠のイエス>中の歌詞が当初は「おお! 主よ 今そこに(오! 주여 이제는 그곳에)」ではなく「ここに (여기에)」だったということを書きました。
 →在日韓国青年同盟関係のあるサイト(→コチラ)には次のようなカキコミがありました。
 「金冠のイエス」は、歌詞の「オー チューヨ イジェヌン ヨギエ」の「ヨギエ」を「チョギエ」に、変えて、お上の許可をもらったみたいですね。「チョギエ」は、38度線の向こう側、ということです。これで、学生達から、かなり、反発を買ったようです。しかし、歌自体は、よかったですが。
 「チョギエ(저기에)」は「クゴセ(그곳에)」と同じで「そこに」。キリストが来臨すべき問題の場所は「ここ=韓国ではなくそこ=北朝鮮」ということで許可を得た、ということです。

 <その1>で紹介した韓国サイト「ヤン・ヒウンの若い頃の事典」(→コチラ.→日本語訳)によると、彼女は71年に続いて72年、78年と3度キム・ミンギ氏と組んでアルバムを出します。
 「中央情報部の監視を受けて逃避生活をしたキム・ミンギと、彼の"ペルソナ"という罪で、常に熱いまなざしを受けていたヤン・ヒウン。彼らの人生は、70年代の痛みを代弁したという事実は、歴史に記録されるだけに本当に胸が痛むことだった」と、事典は記しています。
 彼女自身の話では「1970年代半ばにフォークの流れが滞ってしまった状況だったし、ラジオのDJをしている瞬間にも、放送局には情報部の要員が2人1組で配置されて監視され、時々「キム・ミンギといつ会ったか?」「どこにいるか知らないか?」と訊かれたりもした」という状況下で、自信もまた「アイデンティティについて悩んでいた」といいます。
 また、アルバムが売れても当時の状況でお金を得ることはできず貧しいままで、結局81年せわしない歌手生活をしばし畳んで1年間韓国を離れてヨーロッパへ。

 しかし、1年ぶりに帰ってきた彼女はかつての明るくて元気な姿ではありませんでした。卵巣がん末期の状態という、まさに人生最大の試練を迎えます。2度の手術と抗癌治療で髪は抜け、声も力を失っていきましたが彼女はあきらめず、84年にはのが、今は私が「ヒギョンの姉」になったね」というほどに時代は変わりましたが、「90年代にもまだ彼女の歌は、メディアやお茶の間の中心を"貫通"し」、そして現代に至ります。

 「ヤン・ヒウンの若い頃の事典」の筆者氏は、自分が生まれた1985年に発表された「寒渓嶺(한계령)」が一番好きな歌だそうです。たしかに、しみじみとした情緒にあふれた良い歌です。→YouTube

 以前NHKでさだまさし氏とヤン・ヒウンさんが共演しているステージをたまたま見たことがありました。2人が知り合ったいきさつも語っていたようですが、忘れてしまいました。ダ・カーポ関係のサイトによると、2人の共演は2003年8月6日の「夏・長崎から」コンサートだったそうで、その時披露された新曲が「人生の贈り物~他に望むものはない~」という曲。なんと「作詞 楊姫銀/訳詩・作曲 さだまさし」なんですね。
 2人でこの歌を歌ってる動画、じゃなく音声だけですが、これもYouTubeで聴けます。→コチラ

 40年という長い歌手生活の間、韓国の政治・社会の激動の中で、いろんな苦難も味わってきたヤン・ヒウンさん。先に紹介したテレビ番組の中で若い人たちの前でかつての禁止歌のエピソード等も語れるようになったことは時代の進歩というべきでしょう。
 また、これもごく最近の7月12日「中央日報」のインタビュー記事で彼女が語っているのは「あまりにも「巨大な歌」として広まったデビュー曲「朝露」の圧迫から抜け出すのに38年かかった」ということ。決していわゆる<一発屋>でもない彼女がそう語るほど「朝露」の影響力が大きかったということですね。

 ようやく長々と書き連ねてきたこのブログ記事も終わりに近づいてきました。「ヤン・ヒウンさんの「朝露」をめぐる韓国現代史(と、自分史)」と銘打ちながらも、途中から「ヤン・ヒウンの若い頃の事典」に依拠した彼女の個人史のようになってしまいました。

 ・・・が、最後にどうしても書いておきたいことがあと2つあります。

 その1は、北朝鮮での「朝露」について。
 私ヌルボが1991年8月北朝鮮に行った時に、ディナーの際の出し物で当方の団体からギターを持って前に出た1人が歌い始めた歌が「朝露」でした。韓国の民主化運動に共感を寄せてきた人たちの間ですでにわりと知られてきた頃だったと思います。ところが反応は悲しいかなゼロでした。当時の北朝鮮の人たちはこの歌と、その背景を知らなかったようです。その後何かで「あのような反体制の歌は北朝鮮でもまずいんだ」という話を見たか聞いたかしたことがありました。
 2008年の<DailyNK>の記事(→コチラ)を見ると、「北朝鮮でも「朝露」は90年代半ばからよく歌われた」そうです。しかし「1998年公式に'禁止曲'になった」とか・・・。
 1991年に北朝鮮で「朝露」を歌った方、あるいは同様に自由と人権と平和を追求する方たち、(何をかくそう、私ヌルボもそのつもりなんだけどなー) もし今後北朝鮮に行く機会があったら、堂々と「朝露」を歌いましょう!(・・・って、歌えますか?)

 もう1つ。「朝露」とは直接関係ありませんが、日本の代表的な闘いの歌・岡林信康の友よの歌詞について。
 もう10年以上前になるか、私ヌルボ、たまたま高校の音楽の教科書を見る機会がありました。昔と違っていろんなジャンルの歌が載っている中に「友よ」もあって、ずいぶん時代が変わったなー、と感懐にふけりつつ歌詞を見ると、あれ!? 「友よ 夜明け前の闇の中で 友よ 戦いの炎を燃やすとなっているではありませんか! 炎を「燃やせが元の形なのに・・・。
 「燃やせ」だと扇動的だ、物騒だ、ということで「燃やす」にしたのか!(怒) 一体誰が判断したのか?責任者出てこい(怒怒)!
 ・・・これが日本のこの40年の変化の1つの表徴であるとしたら、とても悲しいです。(些細なことのようでも、すごく重要なことだと思います。)
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歌手生活40年・楊姫銀(ヤン・ヒウン)さんの「朝露」をめぐる韓国現代史 (と、自分史) <その2>

2011-07-15 19:15:13 | 韓国の音楽
<その1>の続き

 私ヌルボは李政美(イ・ジョンミ)さんのカセット・テープ「キム・ミンギを歌う」で初めて「朝露」を聴きました。このカセットを購入したのは、当時は京橋にあった三中堂だったと思います。私ヌルボが職安通り方面に行くようになったのは90年前後だったと思うので・・・。(まだハレルヤが韓国雑貨等も売っている店舗の奥側で食堂をやっていた頃です。)

         
     【まだカセットテープが一般的だった時代です。】

 李政美さんもやはり「伸びのある澄んだ声」です。「朝露」以外も良い曲がそろっています。たとえば「ひでり(가뭄)」→(YouTube)など。
 李政美さんのサイト中にある「朝露~キム・ミンギを歌う 楽譜と歌詞」(新幹社)も購入しました。今もわが家のどこかにあります(汗)。

 その後しばらくしてヤン・ヒウンさんのカセット・テープも購入。よく聴いたテープで、かなり傷んでしまいました。(今は所在不明。) 「양희은이 처음 부른 노래들(ヤン・ヒウンが初めて歌った歌)」というタイトルのCDが出ているようですが、ケースの中央部分の草の葉の写真が使われていたカセットでした。収録曲は少し異なります。
 1988年「아침이슬」のCDが出てさっそく購入。

    
       【「아침이슬(朝露)」のCD(1988)】

 上の写真のように、ヒウンさんはイッキにおばさんになってましたが、当時のヌルボはその間にヒウンさんが体験していた人生の波は全然知りませんでした。
 このCDの珠玉の(←月並みな表現)収録曲中、とくに3曲をピックアップして紹介します。

 その1が「セノヤ(세노야 세노야)」。民謡風の歌で、作詞がノーベル文学賞が期待されている高銀(コウン)です。→YouTube

 2つ目は「ペック(백구)」。漢字で書くと「白狗」。これは犬の名前で、日本風にいえば「シロ」ですね。「子犬を産んで弱ったシロを動物病院に連れていくが、注射に怯えたシロは逃げ出して、最後は車にぶつかって・・・」という歌詞は、ヤン・ヒウンさんの妹ヒギョンさん(俳優)の作文を基にキム・ミンギ氏が作った歌だとか。(→YouTube)
 ある韓国ブログの2010年3月の記事によると、32歳の自分が国民学校6年の時、先生がカセットテープで聞かせてくれ、歌詞を書き写して教わった歌で長く印象に残っている、ということを書いていますが、当時はそれがヤン・ヒウンの歌ということを知らなかったそうです。(1990年頃ですね。ヌルボ思うに、80年代民主化運動に関わってきたor共感を持っていた先生だったのでしょう。)

 3つ目は「おお! 主よ 今そこに(오! 주여 이제는 그곳에)」です。カセットではタイトルが「金冠のイエス(금관의 예수)」ではなかったかと思います。歌詞も「그곳에(クゴセ.そこに)」ではなく「여기에(ヨギエ.ここに)」でした。この問題については<その3>で記します。
 現在、ヤン・ヒウンさんが歌っているのを聴くと、タイトルは「金冠のイエス」、歌詞は「여기에(ヨギエ)」と歌っています。→YouTube
 この作詞は金芝河。モトは演劇です。内容は→コチラで。
 さる韓国サイトによると、金芝河釈放運動が日本でも展開されていた70年代、2枚のレコードが出されたそうです。(ヌルボは知りませんでした。)
 1枚は中山千夏さんが民衆プロから1976年に出したシングルレコード。「金冠のイエス」のB面は、これもキム・ミンギの「ソウルへの道」です。
 もう1枚は土曜美術社(!)から出された「しばられた手の祈り」。調べてみたら、「深夜・金芝河・富山妙子詩画集」の付録のEPレコード2枚なんですね。金芝河の詩に高橋悠治氏が曲をつけ、ピアノ林光、ヴァイオリン黒沼ユリ子という、うわーっという顔ぶれ。このEP中にヤン・ヒウンさんの「金冠のイエス」も収録されていたということです。
※翻訳者が最近自伝「歴史の不寝番(ねずのばん)」(藤原書店)を出した鄭敬謨(チョン・ギョンモ)氏というのも・・・。→「毎日新聞」関連記事

   
     【70年代にこのような音盤が出ていたとは! 聴いてみたいものです。】 

 閑話休題。「朝露」は1973年政府から健全歌謡に選定されりもしたが翌74年には禁止されます。
 「朝露」の歌詞は次のようなものです。

長い夜を明かし、草葉に実る/真珠より美しい、朝露のように/心に悲しみが、実る時/朝の丘に登り、ほほえみを学ぶ。/太陽は墓地の上に、赤く昇り/真昼の暑さは、私の試練か。/私は行く、荒れ果てた荒野へ。/悲しみふり捨て、私は行く。(訳:李政美)

 韓国ウィキペディアの「ヤン・ヒウン」の項目等によると、「太陽」は金日成、「赤く昇り」は社会主義への期待を暗示している・・・というのが笑えないその禁止理由です。
※1975年頃の韓国の民衆歌謡をめぐる状況については、日本ウィキペディアの「民衆歌謡」の項目参照。→コチラ

 ・・・ヤン・ヒウンさんと「朝露」を中心に、知っていることだけでなく、新たに調べて知ったことも含めてあれもこれも書き込んでいたら、もうかなりの字数になってしまいました。
 ということで、あと1回分続きます。

<その3>
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歌手生活40年・楊姫銀(ヤン・ヒウン)さんの「朝露」をめぐる韓国現代史 (と、自分史) <その1>

2011-07-14 23:54:51 | 韓国の音楽
 「コンサート7080(콘서트 7080)」というのは、韓国KBSテレビで日曜の午後23:10~0:20に放映している懐メロ番組です。
 7080は1970~80年代ということで、特にこの頃よく目にする言葉(数字)です。司会のペ・チョルス氏も80年代の韓国のロック界をリードしたグループ・ソンゴルメのメンバーでした。
※「7080」は「チルシプパルシプ(칠십팔십)」ではなく「チルゴンパルゴン(칠공팔공)」と発音しています。

 7月10日(日)の夜、たまたまこの番組を見たら、ヤン・ヒウン(楊姫銀.양희은)さんが出演していました。妹の俳優ヤン・ヒギョン(楊喜経.양희경)さんも一緒です。

※ヤン・ヒウン姉妹の後、キム・ヘリム(김혜림)さんとキム・ジョンソ(김종서)氏も歌ってますが、今回はコメント省略。

 この番組は、うれしいことに、KBSのサイト(→コチラ)でアーカイブを見ることができるのです。
 最近2回分は上のリンク先から黒い[일반]ボタンを押せばそのまま見られます。それ以前は、画面最上部の言語選択の日本語の2つ右で「회원가입」(会員加入)を済ませた上で[저화질](低画質)ボタンを押せば見ることができます。

 さて、「この方の歌は、われわれの若い頃の「青春の主題」でした」というペ・チョルス氏の紹介で登場したヤン・ヒウンさんがこの日最初に歌った歌は「私が40歳の頃には(내 나이 마흔 살에는)」(→コチラ)。2曲目の「叶わぬ愛(이루어질 수 없는 사랑)」(→コチラではヒギョンさんも一緒に歌っています。
 生まれた年はヒウンさん1952年、ヒギョンさん54年、そしてペ・チョルス氏がその間の53年とか。皆さん、もうじき順々に還暦なんですね・・・。
 そのあと「美しいものたち(아름다운 것들)」、「明け方の道(새벽길)」、「ソウル夜曲(서울야곡)」、「私が去った後でも(나 떠난 후에라도)」と計6曲を歌いました。
 ※ヤン・ヒウンと少女時代が一緒に歌っている「美しいものたち」は、→コチラ!!(YouTube)
 ※「ソウル夜曲」はやっぱり周炫美(チュ・ヒョンミ)でしょ。→コチラ[ハングル字幕付き]

 この中で、私ヌルボが懐かしさを覚えた歌が「美しいものたち(아름다운 것들)」。姉妹でいい雰囲気で歌ってます。観客の皆さんも拍子を取りながら・・・。

 私ヌルボがこの歌を初めて聴いたのは、ジョーン・バエズが歌っているもので、「THE BEST OF JOAN BAEZ」というLPに収録されていた「Mary Hamilton」という曲。つまりそれが元歌。今確認すると1964年発売ですね。
 たまたま最近(2011/06/09)にジョーン・バエズの若かりし頃(1965)の素晴らしい声の動画がupされています。→コチラ
 ジョーン・バエズの歌はイギリスの伝説に基づく物語的民謡なんですが、上記のLPでヌルボが聴いたのが35年ほど前。(映画「マイ・バック・ページ」の1シーンにもあったように)私ヌルボも生ギターの伴奏をコピーして弾きながら歌ったものです。(あー恥ずかし・・・。)

 そしてその約20年後、カセットテープでヤン・ヒウンの「美しいものたち」を聴いて、歌詞の内容こそ違え「なんだ、同じ曲じゃないの」と気づいた歌なんですね。・・・ということで、二重に懐かしい曲というわけです。

 ジョーン・バエズのような伸びのある澄んだ声の歌手は初めて聴いたのですが、その後森山良子本田路津子、赤い鳥の山本潤子等と続きます。
 デビュー時に森山良子が“日本のジョーン・バエズ”といわれたように、“韓国のジョーン・バエズともいわれたフォーク歌手がヤン・ヒウン”でした。(どれだけ一般的にいわれているかはわかりませんが、多くの韓国ブログで2人が並べて語られているのは事実です。)

 彼女の代表曲「朝露(아침이슬.アチミスル)」はご存知の方も多いでしょう。70~80年代韓国の民主化運動を象徴する歌ともなった歌。長く政府から禁止されていた歌。ヤン・ヒウン自身は政治的な発言は避けていたそうですが、それでも2008年のローソク集会の時に彼女も前に立って多くの人々とともにこの歌を歌いました。

 YouTubeには、ステージ等で歌った動画もいくつかありますが、1971年の最初のアルバムのものを貼っておきます。冒頭が「朝露」ですが、他の曲も入っているので全部だと30分を少し超えます。3曲目の「セノヤ」を知らなかった方は聴いてみて下さい。「パフ」、「七つの水仙」等々、団塊の世代には懐かしい洋楽ポップスのヒット曲も数曲あります。ジョーン・バエズが歌っていた「All My Trials」も個人的には懐かしい歌です。

 この「朝露」の作詞・作曲はキム・ミンギ(金敏基.김민기)。1971年ヤン・ヒウンが「朝露」を発表するに至る経緯について、ヌルボはこれまでよく知らなかったのですが、「ヤン・ヒウンの若い頃の事典」と題したさる韓国のブログ記事にいろいろ書かれていました。(→日本語自動翻訳)
 ヒウンさんは1952年8月13日生まれ。10歳の頃両親が離婚したヒウンさん姉妹はお母さんと共に暮らしますが、苦しい家計を助けるため、歌でお金を稼ごうということだったとか・・・。京畿女子高校在学中から歌が上手いと知られていた彼女は、サークルの先輩だったフォーク歌手尹亨柱(ユン・ヒョンジュ.윤형주)の前で歌い、さらに彼が2人組フォークのトウィン・ポリオを結成して人気を得ると、その相方の宋昌植(ソン・チャンシク.송창식)や、尹亨柱の出身校・京畿高校の3年後輩の金敏基とも出会った、ということのようです。それが1970年頃。

 ※宋昌植は「鯨取り(コレサニャン)」等の歌で有名。
[2015年6月24日の追記]※金敏基はソウル斎洞(チェドン)初等学校の1年先輩なのだそうですが、1969年に初めて会うまでたがいのことを知らなかったそうです。
 ※京畿高校については2010年11月4日の記事で記しましたが、韓国の各界に錚々たる人材を輩出してきた、名門中の名門だった高校です。(まあ、今も「名門」公立高校ですけど・・・。) 京畿女子高校もそれとペアになる(?)女子の名門高。
 ・・・で、彼女は一浪して1971年西江大学校史学科に入学します。ミッション系の名門校で、日本だと上智大といったところ。西江大といえばあの朴槿恵も同窓で、ヒウンさんと同年の2月ですが、彼女は現役で電子工学科に入っている(※首席卒業)ので大学では1年先輩になります。在学中朴槿恵が朴正熙大刀利用の娘ということは知ってはいたが、遠くで弁当を食べているのを見かけたことがあるという程度の接触(?)に止まるとのことです。

 ヒウンさんが大学に入学した年の1971年に発表された歌が「朝露」でした。→韓国ウィキペディアのヤン・ヒウンの項をみると「金敏基は詞について「民主化に対する熱望のような直接的な内容は盛り込まなかった」というが、当時の大衆は時代状況と民主化に対する熱望によって民主化にふさわしいと解釈してこの曲をよく歌って7、80年代民主化運動の象徴的な歌となった」と記しています。

 ところが、民衆の間に広まっていったこの歌も、そして金敏基が作りヤン・ヒウンが歌った他の多くの歌も、その後20年近く続いた軍事政権下で禁止歌に指定され(計30曲以上)、またヤン・ヒウンの人生も苦境に陥ってしまいます。

 私ヌルボが「朝露」を初めて聴いたのは、韓国の民主化運動が再び高揚しはじめた1986年だと思います。それは在日2世の歌手・李政美(イ・ジョンミ)さんのカセット・テープでした。

<その2>
<その3>
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[韓国の歌] 歌詞の一部から曲名を探索する

2011-02-06 00:15:30 | 韓国の音楽
 Googleについてはいろいろと批判もあり、実際に問題はあるとはいえ、便利なことは否定できません。

 先日、30年ほど前だったか、スキー場で小耳にはさんで印象に残っていた歌の一節を思い出しました。メロディラインは4小節ばかり、歌詞は「ジェラシー」と「悲しいわ」しか記憶に残ってなかったのですが、その2語と「歌詞」の計3語で検索した結果、その歌が五輪真弓の「ジェラシー」であるということがわかりました。

 ※この歌、なんと、<바라기의 꿈>という韓国の日本演歌オタクっぽいブログにもありました。

 さて、そこで思い出したのが本ブログ2009年8月18日の記事。「韓国のタクシー運転手さんがくれたCDの話」について書きました。
 つまり、私のサークル仲間が韓国でタクシーの運転手さんからもらったCDの話なんですが、そこに収められた歌(ほとんどトロット(演歌))が知らないものばかり。
 そこでちょっと思い立ったのが曲名調べ。

 まず歌を聴いて、私ヌルボの拙い能力なりに、かろうじて聴き取れた部分だけをメモし、切れ切れのままgoogleの検索窓にまず「가사(歌詞)」とハングル入力します。(省いてもいい場合もありますが、念のため。) そして、聴き取れた言葉、たとえば「한번쯤」と「사랑의 고통이라면」の2つをつづけて検索窓に入力して検索すると・・・・。→結果
 ラッキー、ラッキー!
 最初に「가사집 아픈만큼 성숙해지고 – 구창모(歌詞集 痛いくらいに成熟して–ク・チャンモ)」がヒットしました。
 「한번쯤 겪어야만 될 사랑의 고통이라면」の太字部分を見ればバッチリですね。聴き取れなかった部分の「겪어야만 될」、再び聴くまでもなくたしかにその通りです。
 もちろん、これをクリックすれば歌詞全体がわかります。
 さらに구창모と아픈만큼 성숙해지고で動画検索すると、YouTubeにク・チャンモが歌っている動画があるし、その画面から1986年に5週連続1位だったこともわかります。(ジンとくる歌だなー・・・。)

 ・・・とまあ、こんな作業を全21曲についてやったわけです。なんともヒマなこってす(笑)。
 ついでに、この時に曲名をつきとめた中から、以前韓国でドラマに用いられてかなりヒットしたティッシュ・イノホサという歌手の「Donde Voy」という歌もYouTubeにありました。これも聴いてみてください。
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少女時代等について、対馬亘氏のすご~い文章

2010-12-03 15:14:01 | 韓国の音楽
 1つ前の記事で少し少女時代のことについて書いていて思い出したのが、ちょっと意外な感じ(?)の「週刊金曜日」(10月15日号)の音楽欄の、対馬亘「「韓流」が芯にはらむプロの世界」と題したなんともスゴい(!)一文。
 対馬亘という人は、相田冬二というペンネームの映画評論家でもあり、また「息もできない」等々のノベライズもしている人です。
 2ヵ月前の記事ですが、他のサイト等を見ても載っていないので、以下一部抜粋します。

 韓流を「洋楽」として捉えるか否かについては議論があってしかるべきだが、「洋楽」として捉えない場合、国際問題に発展しかねないので、「洋楽」として捉えたいと思うのだが、だとすれば、今回の一件は、「洋楽」としての快挙ということになるだろう。少女時代の日本上陸である。 
(中略)
 彼女たち(日本の若い女性ファン)もそのビジュアルに惹かれていることは間違いないが、プロモ映像を一切封印してCDに向き合ってみると、「GENIE」のありようは決してAKB48あたりと比較するべきではなく、むしろPerfumeなどの傍らに置いたほうがしっくりくることがわかる。
 未成熟なものを愛でる日本のカルチャーは長いこと、それこそ「少女時代」だったわけだが、韓流の根本は歌唱力の有無にかかわらずプロフェッショナリズムにある。そう、きわめてショウビズ的なのだ。少女時代にしてもそれは同じ。スタッカートされるリズムに、群唱がトッピングされる呼吸は、なめらかなムースのようなテクスチャーを持続させる。あたかも曇り空を切り裂いていく飛行機雲のごとく、あいまいな時空をさすらう怠(だる)い失踪は優れて現代的だ。もちろん日本語は「未成熟」である。しかしながら彼女たちが芯にはらんでいる「プロの世界」が、これから我が国のオーディエンスの耳をどう侵蝕し、調教していくのか楽しみだ。


 ・・・うーむ、すごいなー。こんな文章は私ヌルボにはどう逆立ちしたって書けそうにありません。と言いながらも、つい茶々をいれたくなっちゃいます。

 「洋楽」として捉えなければ「邦楽」になっちゃうから「国際問題に発展しかねない」というわけですか? しかし、ここまで脳細胞をムダに(?)働かせるのであれば、ムダついでに「洋楽」と「邦楽」という用語や音楽の分類についてまで疑問を呈してほしかったところです。
 「邦楽」といえば私ヌルボがまず思い浮かぶのはNHKでやっていた「邦楽百選」という番組。つまりこの語は本来的には日本の伝統音楽、狭義にはとくに三味線や箏等を用いた近世の音楽のことで、それがいつからかJ-POP等々も含めて国産の音楽を包括的にさす言葉となり、上述の本来的「邦楽」は「純邦楽」とよばれるようになっているようです。
 「洋楽」も本来は(音楽の様式上の分類の)西洋音楽のことなので、学校の音楽の授業で教わった音楽もほとんどは(「越天楽」等を除いて)洋楽で、J-POPも国産の「洋楽」ということになります。
 ・・・などと正面切って理屈をこねても現実には話をややこしくするだけだから(ブログ上は別として)言わないことにしてますが・・・。
 音楽の分類にまで踏み込むとさらに複雑になるので深入りは避けますが、「邦楽」「洋楽」という用語も、そうした言葉による分類も便宜的なものにすぎない、というのが当たり前すぎる結論です。

 また対馬さんは、「歌だけ聴いてみると」ですみそうなところを、「プロモ映像を一切封印してCDに向き合ってみると」と書いてますが、ヌルボが思うに、韓流各グループの魅力は歌も振り付けも全部ひっくるめての魅力ではないでしょうかねー・・・。
 ・・・などと心にいくつもの「?」を残しながら、いまだに記憶に残るユニークな音楽評でありました。

 ほんの少しだけ関連する記事で、11月23日付「朝鮮日報」に「소녀시대•보아 노래는 '메이드 인 북유럽'(少女時代、BoAの歌は<メイドイン北欧>)」という記事がありました。
 「願いを言って(소원을 말해봐')」や「ハリケーンビーナス(허리케인 비너스)」等の作曲はノルウェイの作曲家グループ、少女時代の「HOOT」はデンマークの作曲家によるもので、それに韓国で歌詞をつけて編曲し、アメリカと日本の振付師が振りをつけるそうです。

 音楽を聴く側だけでなく、作る側もまさにボーダーレスといったところですね。楽曲を聴いてもホントにどこの音楽だかわからないご時世です。久しい前から、日本のアーティストも曲名もアルファベット(またはカタカナ)が大半になってしまって、ヌルボのような昭和のおじさんはよくわかりませんがな・・・。
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「K-POP DREAM CONCERT-History’07~’09」を観てきました

2010-11-17 23:35:12 | 韓国の音楽
 昨日桜木町駅至近の映画館・横浜ブルク13に行って「K-POP DREAM CONCERT-History'07~'09」を観てきました。

 この映画館では、サッカーWカップの中継もやってましたね。観に行ってはいませんが・・・。
 また、劇団☆新感線の舞台をそのまま撮って映画にした「ゲキ×シネ蛮幽鬼」(オススメ!)等も含めて、映画館の大画面を利した企画は今後もいろいろありそうです。

 さて、この「DREAM CONCERT」ですが、1995年のスタート以来毎年約7万人の観客を動員する韓国最大級の音楽イベントなのだそうです。
 ※公式サイトもありますが、<asianHANA>のサイトに概要がわかる記事があります。

 今回の「History'07~'09」は、その最近3回分を編集したもので、出演12グループと演奏楽曲は次の通り。

T-ara&超新星・・「TTL/Listen.2」
f(x)・・・・・・・・・・・・・「LA chA TA」
4Minute ・・・・・・・「Muzik」
2AM・・・・・・・・・・・・「友だちの告白」・「この歌」
KARA・・・・・・・・・・・「ミスター」・「Wanna」
少女時代・・・・・・・・「願いを言ってみて(Genie)」・「Gee」
2NE1 ・・・・・・・・・・・「I Don't Care」
SUPER JUNIOR・・「U」・「Don't Don」・「Sorry,Sorry」
SHINee・・・・・・・・・・「お姉さんは本当に可愛い」・「ジュリエット」
SS501・・・・・・・・・・・「DEJA VU」・「Fighter」
Wonder Girls・・・・「Irony + Tell Me」
東方神起 ・・・・・・・・「”O” -正・反・合」・「Rising Sun」・「Purple Line」・「Tonight」

 まあ、ちょっと前からのK-POPファンにとっては「ちょっと懐かしいかな」という感じかも・・・。
 '09の分が計60分、'08が40分、'07が20分で計2時間。来年1月上映の「DREAM CONCERT'10」に向けての長~い予告編という感じかも・・・。しかし、大画面ならではの魅力は十分ありますね。
ただ私ヌルボが行った時の観客は女性3グループ+男性1名×2の計10名(たぶん)。
出演者&スタッフの数十分の一(たぶん)、現地観客の数千分の一(たぶん)。

 この映画館では1日6回上映なんですが、他の回の客の入りはどうなのかな?

 K-POP関係の話題では、今夏(8月)KARAの「ミスター」がオリコン週間ランキングで初登場5位にランクインし話題になったのに続いて、10月25日付オリコンデイリーチャートで少女時代の「Gee」が1位を獲得したことが<asahi.com>等で伝えられていますが、この件については、いずれ別記事にします。
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[韓国のわらべ歌] アチムパラム チャンパラメ・・・・

2010-09-28 11:17:13 | 韓国の音楽
 私ヌルボの知り合いの小2の女の子Rちゃんはパパが日本人、ママが韓国人です。
 彼女が韓国に行った時に、韓国のおばあさんから教わったのが次のわらべ歌。

아침바람 찬바람에(アチムパラム チャンパラメ)     朝の風 冷たい風に
울고가는 저 기러기(ウルゴカヌン チョキロギ)      鳴いて行く あのカリ(雁)
우리선생 계실적에(ウリソンセン ケシルチョゲ)     私の先生 いらっしゃる時に
엽서한장 써주세요(ヨプソハンジャン ソジュセヨ)     葉書1枚 書いてください
[한장말고 두장이요(ハンジャンマルゴ トゥジャンイヨ)  1枚じゃなくて2枚ですよ]
구리구리구리구리(グリグリグリグリ)             グリグリグリグリ
가위바위보!(カウィバウィボ)                  ジャンケンポン!

※最初に쎄쎄쎄(セッセッセッ)が入ったり、[  ]の部分が追加されたり、言葉が少し違ったり等々、民間伝承歌なのでいろんなバリエーションがあります。

 私ヌルボはこの歌を今まで知らず、上記の歌詞もネット上で少し調べた結果です。

 「아침바람 찬바람에」とか「구리구리구리구리 가위바위보」とかで動画検索すると、案の定いくつもありましたね。ほとんどどれも子煩悩の親が子どもを撮ったものです。

 →その1 →その2 →その3

 歌ってる子どもよりも、歌わせてる親の方がハッピーな感じかも・・・。
 見比べてみるとわかるように、共通の振り付けがあるんですね。(些細なことですが、ウルゴカヌンは鳴いて行くなのに、泣くまねをするのはちょっと違うんじゃないの?)

 団扇太鼓を叩きながら歌ってる子もいます。
 歌いながら、ネコにこのフリをさせてあそんでる人もいますよ。

 こういう歌についての知識は、韓国では常識でも、日本人の韓国語学習者としては、たまたまドラマの中で歌われていたのを気にとめて調べてみるとか、直接韓国の人とのコミュニケーションの中で知ったとかじゃないと、まず知り得ないのでは・・・。
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「毎日新聞」 オヤジ記者の見た少女時代のライブ

2010-08-27 23:54:50 | 韓国の音楽
 今日の「毎日新聞」の夕刊。2面に「特集ワイド」としてドカーンと紙面の半分くらいをあてて25日に有明コロシアムに行って少女時代のライブを見てきたおやじ記者(鈴木琢磨記者)のルポが載ってました。
 予想をはるかに超える2万2千人のファンが駆けつけて、急遽1回公演を3回に増やしたんだそうです。
 記事は→コチラ

 記事の冒頭から「しまった、場違いなところに来たかな」で始まって、李成愛の「カスマプゲ」だの趙容弼の「釜山港へ帰れ」を思い起こしたりするところはやっぱり50歳のおやじ記者。さらに100年前石川啄木が詠んだ短歌<地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつヽ秋風を聴く>まで引用して「時は流れた」とごく自然な感懐。
 ・・・で、大きな見出しが「大切なのは次の100年」。

 私ヌルボも、この数日<日韓併合条約>の無効論だとか、過去史の清算問題とか、朝鮮学校の無償化問題とか、ややこしい問題に関するサイトをいろいろ見たりしてましたが、おやじ世代がごじゃごじゃしてる間に新しい事態がどんどん進行してるのかもねー・・・。

 そういえば、ちょっと前にはオヤジ週刊誌のグラビアかなんかでKARAの渋谷でのゲリラコンサートに3千人殺到というのを見ましたね。去年韓国で話題となった<お尻踊り>「ミスター」が日本デビュー曲で、いきなりオリコンのデイリーチャート5位に入ったとか・・・。

 あ、少女時代の日本デビュー曲「Genie」は→コチラ
 原題は「소원을 말해봐(ソウォヌル マレバ)」=願いを言ってみて。
 マレバ♪なんて去年よく耳に入ってきましたねー。今は少女時代やKARAについてヌルボより詳しい日本人はわんさかいるんでしょうね、間違いなく。

 韓国のメディアでも日本での彼女たちの人気をさっそく伝えているようです。→「中央日報(日本語版)」
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韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[13] 流行歌「死の賛美」と尹心悳

2010-07-17 17:47:55 | 韓国の音楽
 この<「英雄時代」を読み解く>で、これまで「オッパセンガク」「愛国歌」「希望歌」と、12回中3回歌をとりあげてきました。今回が4度目。元来音楽が好きで、このドラマでも歌が出てくると既知・未知を問わず耳をそばだててしまいます。

 第18話で、テサンやテホを支援する金持ちのオルシン(大人)カン・ユングンの次女でテサンへの思いを断ち切れないヘヨンがレコードを聴いています。

ソヒ(姉)「またその歌?」
ヘヨン「いい歌じゃないの。お姉さんはきらい?」
ソヒ「自分で命を絶った女でしょ? 尹心悳とかいう歌手と恋人の金祐鎮・・・」


 ・・・あ、この歌は知ってるゾ! 「夕べとなれば美し・・・、ってイヴァノヴィチ作曲の「ドナウ川のさざなみ」だったな」と思って<도나우강의>(ドナウ川の)でググると、案の定「도나우강의 잔물결」がありましたが、YouTube中には器楽演奏のみ。

 DVDを再度見てみると、何のことはない、「死の賛美」という歌のタイトルまで台詞中にありました。
 YouTubeで検索しなおすと、ドラマで流れていた1926年吹き込みの歌がみつかりました。
 とりあえず、聴いてみてください。→尹心悳(歌)「死の賛美(사의 찬미)」
 しかし、どこのどなたか、こういう歌をYouTubeにのっけてくれる人がいるんですねー。

 また尹心悳(윤심덕.ユン・シムドク)という歌手について記されているサイトもいろいろありました。

 たとえば「東洋経済日報」の<関釜フェリーにて―玄界灘に消えた尹心眞(崔碩義)>という記事や「朝鮮新報」の<朝鮮近代史の中の苦闘する女性たち[](金学烈)>という記事。

 上記サイトから、彼女の生涯を略述すると以下の通りです。

 朝鮮最初のソプラノ歌手・尹心悳(1897~1926)は平壌生まれ。京城女高普を1914年卒業した後、1915年官費留学生として渡日し、青山学院をへて上野音楽学校声楽科に入学した。卒業公演で「人形の家」のノラ役を好演し、帝国劇場支配人からスカウトされたが、イタリア留学を夢見る彼女はこれを断った。 
 帰国した彼女は、オペラのアリアやシューベルトの歌曲を朝鮮で初めて披露した。美貌も幸いし、大変な人気を博した。
1921年夏。東京留学生たちの劇芸術協会による朝鮮での演劇巡演に参加した。趙明煕作・金祐鎮演出の「金英一の死」などと音楽、講演の組み合わせで朝鮮の25都市を回った。
観客の熱狂ぶりを「東亜日報」も報じている。しかし、劇中セリフの「10年前には自由があったが、今はない」が臨席警官の摘発となり、公演中止となってしまった。
 1926年尹心悳は「死の賛美」という歌をレコードに吹き込み、これが爆発的にヒットする。
ところが同年、あたかも「死の賛美」を実演するかのように、関釜連絡船の徳寿丸から玄界灘に投身、金裕鎮(劇作家で、妻帯者)とともに心中を遂げた。相手の金裕鎮は木浦の資産家の息子で、築地小劇場の運動に影響を受け、劇団を組織して朝鮮各地を巡演していた。


 この心中事件には、「松井須磨子が師の島村抱月の後を追って自殺したこと(1919)と、有島武郎の軽井沢での情死事件(1923)の影響が多分にあったようである」と崔碩義さんは記しています。

 上記「朝鮮新報」の記事はかなり詳しく書かれていますが、筆者の金学烈さんは7月12日の記事に記したように金素月の詩「山つつじ」も「痛恨の亡国の情と独立への願望のうた」と考える人なので、尹心悳の祖国愛・民族愛の強さについての記述も相当部分ご自身の願望が込められているのではと思ってしまいます。
   
   
            【尹心悳

 ドラマの時代は心中事件から19年も経った1945年。それでも人々の記憶に残るほどの印象的な事件だったということでしょうか。
 1991年には韓国でこの心中事件を描いた「死の賛美(사의 찬미)」という映画も作られています。

 ※<京城蒼月倶楽部>というサイトにもかなり詳しくこの歌について、歌詞とその翻訳つきで記されています。
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韓国では記念日が続く5月、横浜でまったりとデプコンのラップを聴いて・・・

2010-05-16 22:26:47 | 韓国の音楽
 韓国は5月は祝祭日・記念日が続く月。5日の子どもの日は日韓共通ですが、韓国ではその後8日には両親の日(어버이날)と続きます。
 5月21日(金)は旧暦4月8日、つまり釈迦生誕日(석가탄신일.釈迦誕辰日)で公休日ですが、14日(金)、市街にはもう提灯が飾られたりしています。

   
   【世宗路にも提灯がたくさん飾られていました。(2007年4月29日ヌルボ撮影)

 昨日15日は<先生の日(스승의 날)>。以前GWに韓国に行った時は、いろんなところで<先生の贈り物>のセールをやっていました。(→「朝鮮日報」の関連記事)

   
    【龍山駅ビルで。「先生の日 贈り物セット」「お早めにご準備を」とあります。(2007年4月30日ヌルボ撮影)

 また5月第3月曜日、つまり明日17日は休日にはなりませんが<成年の日(성인의 닐)>
(→<コネスト>の関連記事)

 はてさて、増える一方のネタの整理がつかないまま、韓国ドラマを観たり、「ちょっと食べ比べてみるか」と韓国風カップ麵&カップスープをいくつか食べてみたり、K-Popを聴いたり、図書館に行って韓国紙を読んだりなんかして、ますますもって収拾がつかない状態になってしまいました。(汗笑)

 はてさてはてさて、今流行っているK-Popの中では、デプコン(데프콘)というラッパー自身の作詞・作曲の「ラッパーたちが別れる方法(래퍼들이 헤어지는 방법)」に注目。フィーチャリングで参加しているレーシングモデルのク・チソンがクールに、なかなかいい雰囲気で歌っています。まあ、→YouTubeで聴いてみてください。

 ラップだけあって、韓国語の聴き取りはヌルボの語学レベルではほとんど無理。一応歌詞を下に載せておきます。同レベルの学習者の皆さんは参考にしてください。

그 사람이 나를 떠나요 눈물이 마르질 않죠
불안한 이별이 또 시작된건지
사랑이 나를 떠나요 언젠간 돌아오겠죠
I can not live without you love no more

Yeah it your boy D-conn
this song is (another 두근두근 레이싱)
break ups to make up make ups to break up
break ups to make up make ups to break up

I never 사랑만 남겨두고 떠나버린 너
난 또다시 그 상처를 안겠지
가질수 없는게 그 사람이라면
I can not live without you love no more

hey 미안 이렇게 되버렸어 난 역시 안돼 내버려둬
I will make it feel another woman
딴 사람에게 꽂혔어 나 그건
잔인한 짓이라고는 생각해도
내 감정을 속일수는 없는법
같이 걷는것 밥 먹는것 이제 그만해라 말 놓는것
일주일 뒤에는 번호가 바뀔꺼야
어차피 모르는 번호로 바뀔꺼야
억지로 술 마시거나 하지는 마라
사랑해보면 아무것도 아냐
니 남자친구는 래퍼라서
말을 요딴식으로 밖에는 못해
야속해 더는 맘 속에 손해
보는 일은 하지마 그게 더 독해

I never 사랑만 남겨두고 떠나버린 너
난 또다시 그 상처를 안겠지
가질수 없는게 그 사람이라면
I can not live without you love no more

친구들이 많이 위로 위로 해주겠지
남자들은 많아 믿어 믿어 해주겠지
얼른 잊어버리고는 딴 사람 찾아
더이상은 바보같이 딴따라딴딴
한꺼번에 많은걸 다 줘버린 여자야
착해 너는 그것밖에 없잖아
신비롭지 않은 그런 연애방식
질려 지겨워 안해 절대 다시는
아쉽고 안 아쉽고가 무슨 소용이냐 싶고
이별을 준비하는 네 자세가 서툴어서 싫고
니 남자친구는 래퍼라서
말을 요딴식으로 밖에는 못해
야속해 더는 맘 속에 손해
보는 일은 하지마 그게 더 독해

I never 사랑만 남겨두고 떠나버린 너
난 또다시 그 상처를 안겠지
가질수 없는게 그 사람이라면
I can not live without you love no more

한번만 나를 두고 고민을 해줬으면
우리의 사랑이 이렇게 끝나는게 난 너무 싫어

그 사람이 나를 떠나요 눈물이 마르질 않죠
불안한 이별이 또 시작된건지
사랑이 나를 떠나요 언젠간 돌아오겠죠
I can not live without you love no more

사랑만 남겨두고 떠나버린 너
난 또다시 그 상처를 안겠지
가질수 없는게 그 사람이라면
I can not live without you love no more


 デプコンとは何なんだ?と思ったら、英語のdefcon。Defense Conditionの略で、防御(戦闘)準備体制のことなんだそうです。
 芸名もさることながら、なかなかの悪ラツそうな(?)面がまえで、経歴等探りを入れてみたら、案の定(??)、ちょっと前に「彼女は堕胎中(그녀는 낙태중)」という曲で論議をひきおこしたこともあるとか・・・。タイトルも歌詞も過激で、特定のインターネットTVの女性ジョッキーをターゲットにしたような歌なんだそうです。

 歌詞を知りたい方は→コチラのサイトを参照されたし。

 概して、韓国の方が日本よりラップの占める比重が日本より大きいように思われますが、日本のラップ事情についてはよくわからないのではっきりしたことは言えません。
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韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[8] 「真白き富士の根」と韓国の「希望の歌」 

2010-05-01 23:23:27 | 韓国の音楽
 [6][7]「オッパセンガク」>、「愛国歌」をとりあげましたが、今回も歌の話です。

 私ヌルボの誕生日は1月23日なんですが、歴史をひもとくと、1902(明治35)年のその日が新田次郎の小説で知られる八甲田山での雪中行軍で199人が犠牲になった日。
 他にないかと見てみれば、同じ明治末の1910(明治43)年1月23日、逗子開成中学の生徒12人が七里ヶ浜沖でボート遭難事故死。不幸が重なってる日なんですねー・・・。

 実は私ヌルボ、30年以上前逗子に住んでいたことがありました。その頃は夕方5時だったか、毎日「七里ヶ浜の哀歌」のオルゴール・メロディーが逗子駅近辺の金融機関から流されていました。(今は金融機関もなくなり、流されていません。)
 開成中学の合同葬儀で、近くの鎌倉女学校の生徒たちが歌ったのが「七里ヶ浜の哀歌」でした。作詞は当時鎌倉女学校の教師だった三角錫子、そして曲の来歴が問題なんですねー。

 「真白き富士の根(嶺)」のタイトルでも知られるこの歌、YouTube中で探すと戦前の人気歌手・松原操(ミス・コロンビア)が歌ったものがありました。

 ・・・で、本題なんですが、この歌とほぼ同じメロディーの歌が「英雄時代」に出てくるのですよ。第7話でも少し流れてきますが、とくに第12話。自動車整備工場で、部下たちのケンカに割って入ったテサンは、大量の酒をイッキ飲みして、この歌を歌います。

 韓国では「希望歌(희망가.ヒマンガ)」というこの歌、YouTubeにトゥルグックァが歌っているものがあったので聴いてみてください。

 「七里ヶ浜の哀歌」は8分の6拍子で弱起の曲になってますが、「希望の歌」は4分の3拍子、強起です。メロディーも少し違っています。(トゥルグックァは弱起にしてますが、楽譜では強起。)
 
※そういえば、「愛国歌」もやや不自然な強起の4拍子ですね。弱起の方が自然では、とかねがね思っているんですが、と言ってもしょうがないけど・・・。

 私ヌルボ、この「希望の歌」の存在は以前から知っていました。というのは、韓国の昔からの流行歌を集めた歌集に載っていたから。
 たとえば、3月18日の記事で紹介した三中堂で見つけて購入した「歌謡半世紀」。古い順に並べたこの歌集の、4番目に載っています。

       
 【1979年刊。最初に載っている歌は「学徒歌」。「鉄道唱歌」のメロディーです。

 その歌詞なんですが、Morrisさんのすごいブログ中にありました。
 Morrisさんもヌルボと同じ出版社から出た、よく似た歌集をお持ちのようです。また、この歌の来歴についても詳しく記されています。

 また、ドラマ「京城スキャンダル」中で「ソンジュによって切々と歌い上げられ」たこの歌に「衝撃を受けた」というtorako2007さんもMorrisさんの記事を参考に<京城蒼月倶楽部>というブログでさらに考察を深めています。

 「希望歌」についての上記2つのブログを見た後、今さらの感はありますが、私ヌルボも横浜市立図書館が近いという地の利を生かして少し調べてみたところによると、<京城蒼月倶楽部>でもふれている安田寛という大学の先生がこの歌も含めて往年の唱歌の来歴について精緻な追究と考察を本にまとめていることがわかりました。
 「日韓唱歌の源流」(音楽之友社.1999)と、「「唱歌」という奇跡 十二の物語」(文春新書.2003)です。

 とくに「日韓唱歌の源流」によると、逗子開成の事故からさかのぼれば、日本の唱歌1890年の「夢の外」。さらに19世紀前半のアメリカの讃美歌。
 この讃美歌は「聖歌623番 いつかは知らねど」で、なんとYouTubeにありました。メロディーは「希望歌」の方ではなく「七里ヶ浜の哀歌」と同じですね。

 讃美歌からさらに時代をさかのぼると、1760年頃のイギリスの流行歌「ナンシー・ドーソン」、さらには1740年頃のイギリスのダンス曲「たちしょんべん」(!)にまで源流をたどることができるそうです。

 朝鮮では「「希望歌」は初めは芝居の幕間で歌われましたが、1920年頃、レコードに吹き込まれたのがきっかけとなって、広く韓国の民衆の中に浸透していきました」とのことですが、安田先生は<京城蒼月倶楽部>に記されているように、日韓の唱歌や流行歌の伝播の背景には、讃美歌の果たした役割が大きかったと指摘しています。

 若干の韓国の方に聞いたところでは、この歌を知ってる人もあり、よく知らない人もあり。コッタジとかヤン・ヒウンとかが歌っているところをみると、運動圏(学生運動・労働運動)の歌のような雰囲気かも・・・。
 歌詞が「この風塵の世の中に生を受けて/お前の希望は何なのだ?/富貴と栄華をきわめれば希望が充たされるのか?」ですからねー。


付記①
 韓国サイト「歴代大統領が一番好きだった一八番の歌」というサイトによると、李承晩大統領の好きな歌がこの「希望歌」だったそうです。
 このサイトには次のような説明文がついています。
 「アメリカ人の作曲家ゴードンが作った(←誤)「われらが家に帰る時」という歌だったが、1910年代朝鮮に渡ってきて当時苦学生たちの集まりだったカルトプ会(갈톱회)会員の中の一学生が日帝の圧政下で抗日の雰囲気を歌える歌詞をつけて今の「希望歌」とよばれているわが国最初の近代式歌謡です。」

付記②
 2005年KBS「ドラマシティ みんなでチャチャチャ!」の中でク・ヘソンが酔っぱらって「希望歌」を歌っている映像をみつけました。

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韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[7] 時代考証の疑問 親日派と「愛国歌」

2010-04-18 23:53:23 | 韓国の音楽
 歴史ドラマの時代考証はすごく難しそうです。江戸時代の茶店で、椅子に腰かけるような造りはなかったそうですし、かといって既婚女性を当時そのままに鉄漿(おはぐろ)をつけたりしたら現代人にはブキミでしょう。
 言葉使いだけに限定しても専門的な知識がないとダメでしょうね。
 たとえば1960年代以前のドラマに「しらける」という言葉が出てくると、私ヌルボをはじめ年配者は「ヘンだぞ」と思いますが、70年以降に生まれた人にはわからないのでは? 1930年頃の言葉となると、専門家以外の日本人は皆お手上げでしょう。

 しかし、「英雄時代」の中で私ヌルボが「これは違うんじゃないの?」と思った箇所が第3~4話あたりで2つありました。

 1つ目は、会話の中で<親日派>という言葉が現在と同じ意味、つまり支配国日本に協力した売国奴という意味で使われていたこと。
 ウィキペディアの「親日派」の項目の説明によると、「外交史料館等の資料を検索する限り、朝鮮半島地域において明治後期から大正、昭和(終戦前)までは現在の親日派の意味での報告は無い」とあります。
 つまり、この言葉が現在のような意味で使われるようになったのは戦後のことです。

 2つ目は「愛国歌」のメロディーについて。
 劇中で義烈団という抗日運動組織の闘士のソン・ドンミンという男が登場します。この組織は実在しますが、ソン・ドンミンは架空の人物です。
 警察から指名手配されていたドンミンは結局みつかって撃たれてしまい、現在韓国の国歌になっている「愛国歌」を歌いつつ死んでゆきます。

 ところが、「愛国歌」の歴史をさぐると、現在の愛国歌の歌詞は「1896年の独立門定礎式の際、白頭山を歌った愛国詩に「蛍の光」のメロディーをつけて歌ったもの」で、その後「1948年8月15日の大韓民国の独立記念式典で、安益泰が1935年に作曲したメロディーを同じ歌詞にのせた新「愛國歌」が歌われた」とのことです。
 つまり、このドラマの時代では、まだ「蛍の光」のメロディーで歌われていた、ということになると思います。

 上記2つの誤りは、やはり現代の韓国人の歴史に対する「こうあってほしい」という思い入れがモトになっているのではないでしょうかねー・・・。

 なお、「君が代」の場合は1880年(明治13年)に今の曲がつけられたということなので、それ以前の時代設定のドラマで用いられたら間違いになります。
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韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[6] 今も愛唱される童謡「オッパセンガク」

2010-04-17 23:59:45 | 韓国の音楽
 ドラマ「英雄時代」の中で、いろんな歌が歌われたり、流れてきたりしています。
 「歌は世につれ・・・」で、それらの歌から当時の世の中をうかがいしることができます。

 3話で、家を出ていった兄テサンのことを思って、2人の妹が「兄への思い(オッパセンガク. 오빠 생각)」という歌を歌います。

 この歌は、今でも韓国人なら誰もが知っている、韓国の代表的な童謡の1つです。
 「오빠 생각」で動画検索すると、いくつもヒットして、聴くことができます。たとえば→コチラ
 歌詞は次の通りです。

뜸북 뜸북 뜸북새 (トゥムブク トゥムブク トゥムブクセ)  トゥムブク トゥムブク クイナが
논에서 울고 (ノネソ ウルゴ)  たんぼで鳴いて
뻐꾹 뻐꾹 뻐꾹새 (ポックク ポックク ポッククセ)  ポックク ポックク カッコーが
숲에서 울 때 (スペソ ウル テ) 森で鳴く頃
우리오빠 말 타고 (ウリオッパ マル タゴ)  兄さんは馬に乗って
서울 가시며 (ソウル カシミョ)  ソウルに行って
비단구두 사가지고 (ピダン クドウ サガジゴ)  絹張りの靴を買って
오신다더니 (オシンダドニ)  帰ってくると言ったのに

기럭 기럭 기러기 (キロク キロク キロギ)  キロク キロク 雁が
북에서 오고 (プゲソ オゴ)  北から来て
귓들 귓들 귀뚜라미 (クィトゥル クィトゥル クィトゥラミ)  クィトゥル クィトゥル コオロギが
슬피 울건만 (スルピ ウルゴンマン)  悲しく鳴いているばかり
서울 가신 오빠는 (ソウル カシン オッパヌン)  ソウルに行った 兄さんは
소식도 없고 (ソシクト オプコ)  たよりも 絶えて
나뭇잎만 우수수 (ナムンニムマン ウスス)  木の葉だけが はらはらと
떨어집니다 (トロジムニダ)  散ってゆきます

 国民的な童謡といっても過言ではないこの歌ですが、「作詞者が12歳の少女だということは韓国人でもそんなに多くはない」とある韓国サイトにありました。
 その少女の名はチェ・スネ(최순애.崔順愛)。1925年に、水原に住んでいた彼女が、韓国児童文学の父・方定煥(パン・ジョンファン.방정환)が出していた「オリニ.어린이(こども)」という雑誌の童詩欄に投稿して入選した作品です。
 この童詩欄では、翌1926年、馬山のイ・ウォンス(이원수.李元寿)少年の書いた「故郷の春」が当選しました。韓国語講座等でも教わったりする、韓国を代表する歌ですね。
 このチェ・スネちゃんと2歳年上のイ・ウォンス君、「オリニ」誌投稿仲間同士の文通が機縁となって、1936年結婚に至るわけですよ。まさに物語的な展開ですねー。

 実は私ヌルボ、以前韓国の代表的な児童文学作家・権正生(クォン・ジョンセン.권정생)が書いたイ・ウォンスの伝記「내가 살던 고향은」を読んだのですが、このご夫妻、朝鮮戦争では子どもを亡くしたりして苦労されたようです。しかしイ・ウォンスは「故郷の春」の一発屋で終わるどころか、戦後も感動的な童話をいくつも書いて、韓国の代表的な童話作家としても名を成しています。

        
  【李元寿の伝記「ネガサルドンコヒャンウン」(権正生:著)は読みやすい韓国語で、内容も感動的!

 ドラマの中で、妹たちが歌う「オッパ・センガク」、馬と汽車の違いはあるものの、歌詞が物語とちょうど重なる感じです。村を出た兄を妹たちが待つ、そんな場面は当時けっこうふつうにあったんでしょうね。

あるサイトで、この歌にまつわるエピソードが記されていました。

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最近のK-POP いろんなグループの代表曲(の一部)

2010-03-05 00:14:52 | 韓国の音楽
 今日はポレポレ東中野まで足を運んで「今、このままがいい(지금,이대로가 좋아요)」と「空を歩く少年(하늘을 걷는 소년)を続けて観てきました。
 すごい良かった!とまではいかなくても、それぞれに考えさせる要素があり、みどころもあって、行ってよかったという映画でした。詳しい感想はまたあとで・・・。

 しかし、映画の感想を詳しく記すには時間的余裕がないので、今回は昨日の記事の落ち穂拾いで、最近のK-POPを展望する、ということで、女性&男性グループのヒット曲・話題曲をいろいろあげてみました。
 はっきりいって雑多です。人気グループで抜けているのがけっこうあります。そして、バラード系はありませんのであしからず・・・。ソチラはまたいずれ・・・。

《女性》

★少女時代
 「Oh!」

★Son Dambi
 「Saturday Night」
 「heartbeat」

★2NE1(トゥ・エニー・ワン)
 「I Don't Care」
 「Fire(Street)」
 「FIRE (Space)」

★f(x)
 「LA CHA TA」
 「CHU~♡」

★T-ara
 「Lies」
 「Apple is A」

★4MINUTE
 「HOT ISSUE」
 「MUZIK」
 「what a girl want」

★After School
 「あなたのせいで(Because of You)」
 「DIVA」
 「when I fall」

★Brown Eyed Girls
 http://www.youtube.com/watch?v=ei9CF98Qbow
 「sign」


《男性》

★キャンギハと顔たち(장기하와 얼굴들)
 「安物コーヒー(싸구려 커피)」

★BEAST
 「Bad Girl」
 「Mystery」

★2PM
 「Again&Again」

★MBLAQ(エム・ブラック)
 「Oh Yeah」

★CNBLUE
 「Alone」

★U-KISS
 「見くびるな(Man Man Ha Ni)」

★sg WANNA BE+
 「愛してる」
コメント (5)
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