学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

再び「ジュディ」のユダヤ人性について

2015-02-04 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月 4日(水)12時21分4秒

私はリサ・ブルームという方を全く知りませんでしたが、1980年にコネティカット州のトリニティ・カレッジを卒業されているそうなので、井野瀬久美恵氏や北原恵氏とほぼ同世代みたいですね。

http://www.lisabloom.net/bio.html

井野瀬久美恵氏の論文には、リサ・ブルーム氏の見解の「詳細は、Lisa Bloom, "Ethnic Notions and Feminist Strategies of the 1970s: Some Works by Eleanor Antin and Judy Chicago." 城西国際大学で口頭発表されたこの原稿(一九九七年九月二〇日)は、北原氏の好意で論者も目を通すことができた」とあります。
北原恵氏の論文は1998年なので前年の口頭発表を利用するのはよいとしても、2005年の井野瀬久美恵氏の論文で1997年の口頭発表の原稿を利用しているのは若干奇異に感じましたが、リサ・ブルーム氏は1999年にJewish Identity and Art History という雑誌に"Ethnic Notions and Feminist Strategies of the 1970s: The Work of Eleanor Antin and Judy Chicago." という論文を発表されていて、井野瀬氏はそれは未入手だったということみたいですね。
また、リサ・ブルーム氏の経歴を見ると、1998年から2001年にかけてChiba-kenのJosai International University の助教授をされていたそうなので、日本のフェミニズム関係者とも交流のある人なんですね。
ま、知りたがりの性格なので、ついつい細かいことが気になってしまいますが、話を「ジュディ」という名前のユダヤ人性に戻すと、リサ・ブルーム氏の原稿に詳細に言及している北原恵氏の論文にも、ディナーパーティに呼ばれた39人の中に「ユディット」が存在することをジュディ・シカゴの「ジュディ」という名前と関係づけて検討している部分は全くないので、リサ・ブルーム氏も特に問題にしなかったのでしょうね。
ウィキペディア情報ですが、ジュディ(Judy=Judith)という名前は1936年から1956年の間は女の子につける名前のベスト50に入っていたものの、その後減少して1960年に74位、2012年には893位だそうです。

Judith (given name)
http://en.wikipedia.org/wiki/Judith_(name)

ジュディ・シカゴがJudith Cohenとして生まれたのは1939年ですが、この時期、Judithはベスト50以内のありふれた名前ですから、Judithという名前が直ちにユダヤ人を連想させるような関係はなかったと考えてよさそうですね。

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ルイーズ・ブルジョワ?

2015-02-04 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月 4日(水)11時13分36秒

>筆綾丸さん
>左から四番目のユダ役の女性は誰なのか
私はアメリカの現代美術に疎いので女性アーティストの顔と作品が全く結びつきませんが、左から四番目の人は割と上品な雰囲気がありますから、若い頃のルイーズ・ブルジョワかもしれないですね。
検索したら Vanity Fair の2007年の記事が出てきて、一瞬、オビチュアリーかなと思いましたが、このときは95歳でご存命であり、亡くなったのは2010年だそうですね。

Honoring the Queen of Existential Art

Louise Bourgeois(1911-2010)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

花とブロンズ 2015/02/02(月) 21:43:25
小太郎さん
http://www.sankei.com/photo/daily/news/141121/dly1411210013-n1.html
Mary Beth Edelson のウィキの説明に、
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In 1972 Edelson used an image of Leonardo da Vinci’s mural to create Some Living Women Artists / Last Supper. She used collage to add notable women artist's heads to the men in Da Vinci's painting, which quickly became "one of the most iconic images of the Feminist Art movement." John the Baptist's head was covered by Nancy Graves and Christ by Georgia O'Keeffe.
----------------
とあり、ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」のキリストはパロディ「最後の晩餐」ではジョージア・オキーフなんですね。女性芸術家として最高の落札額を記録したという昨年の記事には驚いたものですが、オキーフの絵はどれこれも要するに vigina の variation に過ぎず、なぜこんなものが高額で取り引きされるのか、よくわかりません。この絵の作者が男ならばまず評価されないだろう、という気がします。

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Last Supper are Lynda Benglis, Louise Bourgeois, Elaine de Kooning, Helen Frankenthaler, Nancy Graves, Lila Katzen, Lee Krasner, Georgia O'Keeffe, Louise Nevelson, Yoko Ono, M. C. Richards, Alma Thomas, and June Wayne
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パロディ「最後の晩餐」の右端の女性はオノ・ヨ-コらしく、ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」のシモンに当たるようですが、オノ・ヨーコがなぜシモンなのか、理由はわかりません。左から四番目のユダ役の女性は誰なのか、あらためて興味を惹かれます。

http://en.wikipedia.org/wiki/Datura_metel
チョウセンアサガオは英語圏では devil's trumpet として知られていて、日本では華岡青洲の全身麻酔の実験で有名ですが、オウム真理教によってさらに有名になりましたね。

追記
http://www.bbc.com/news/uk-england-cambridgeshire-31085336
ミケランジョロの作品である可能性がまた出てきたようですね。
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リサ・ブルーム氏の批判

2015-02-01 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月 1日(日)21時36分56秒

北原恵氏「"招待"への再考─《ディナー・パーティ》をめぐるフェミニズム美術批評」の続きです。
井野瀬久美恵氏の要約では分かりにくかった事実関係が、この説明で概ね把握できますね。

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 ところが最近、合州国の研究者リサ・ブルームによって、シカゴのユダヤ人性に注目しながら彼女のアート活動と《ディナー・パーティ》を再解釈する試みがなされた。「1970年代の民族概念とフェミニストの戦略─エレノア・アントンとジュディ・シカゴの作品をめぐって」と題された1997年の論文において、ブルームは、シカゴが「最後の晩餐」のメタファーを使ったのは、白人クリスチャンのアイデンティティを引用することであったと述べている。さらに、シカゴの改名についても同様の理由があったのではないかと指摘している。
 ジュディ・シカゴは、ジュディ・コーエンとして、1939年、シカゴのユダヤ人家庭に生まれた。1961年に最初の結婚をし相手の姓ゲロウィッツを名乗っていたが、夫の死後1970年、「LAの男っぽい美術界でやっていけるよう」荒っぽく攻撃的な感じのする「シカゴ」に変えるようにという画廊のオーナーのアドヴァイスに従って改名した、と最近になってシカゴ自身が説明している。
 だがこの改姓について、シカゴが一冊目の自伝『花もつ女』(1975年)のなかで行っていた説明は、異なっていた。

「私はまた、作品の中で女であることを明白にしたかったので、そのために私の名前をジュディ・ゲロウィッツからジュディ・シカゴに変えることにした。これは私自身をひとりの独立した女性として認識するための行動だった。・・・そして私の名前変更の件が入口の真向かいの壁に掲げられた。こんな言葉で─『ジュディ・ゲロウィッツはここに男性支配を通して彼女に課せられたすべての名前を捨て、自由に彼女自身の名、ジュディ・シカゴを選ぶ』。」

 このように改姓は、家父長制に対するフェミニストの抵抗として説明されていたのである。彼女の名前変更については、1970年10月号に掲載したシカゴの展覧会広告においても宣言されたが、リサ・ブルームはこの広告を取りあげ、「シカゴは、もともとの民族的な名前を変えて、有名な白人の非ユダヤ人女性として、自分の民族より優勢なグループへと乗り換えた」と分析した。さらにシカゴがモハメッド・アリに自らを擬している点に注目し、「黒人性とフェミニズムの親和は、アヴァンギャルドの<人種的ロマンティシズム>の伝統を呼び起こすものになりかねない」と厳しく批判した。だが、なぜ、1970年代、ユダヤ人女性アーティストや作家たちは、自分たちの民族性を公においては軽視し、合州国のフェミニストの政治学や文化に同化したのであろうか? ブルームはその理由を「第一に、当時文化的エリートの一員として認められるためには、カリフォルニアで蔓延していた反ユダヤ主義的な公的文化に同化しなければならないという抑圧が存在したことと、第二に、伝統的ユダヤ文化内には女性のステロタイプが根強くあり、それに当てはめたいという家族や家庭の期待から切り離されたいという願望があったのではないかということ、第三に、「女」のカテゴリーを本質化・普遍化したいという願望は、女がユダヤ的ダイアスポラという特殊な民族性の外部にいると同時に、国家的文化の外部にいることを位置づけるのに役立った」からだ、と分析している。シカゴのユダヤ人性に注目した批評がこれまでなかったこと自体、フェミニズムの抱える問題を表していると言えるが、今後、「白人内部」の差異や民族性に着目したフェミニスト批評は増えるものと思われる。
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まあ、私のような門外漢にはずいぶん難しい世界ですが、それでもリサ・ブルーム氏の批判内容には若干の疑問を感じない訳でもありません。
その点はまた後で少し書きます。
なお、北原恵氏は『超域文化科学紀要』第3号の執筆者紹介には博士課程在学とありますが、現在は大阪大学大学院教授だそうですね。

北原恵
http://www.let.osaka-u.ac.jp/nihongaku/member/kitahara.html
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「"招待"への再考─《ディナー・パーティ》をめぐるフェミニズム美術批評」

2015-02-01 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月 1日(日)21時18分36秒

>筆綾丸さん
>最後の晩餐
あまり深入りしても仕方ないかなと思いつつ、『超域文化科学紀要』第3号(1998年)所収の北原恵氏の論文、「"招待"への再考─《ディナー・パーティ》をめぐるフェミニズム美術批評」を読んでみました。
この雑誌は「東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻の発行する,査読付き研究雑誌」だそうですね。

「超域文化科学紀要」

「最後の晩餐」に関連する箇所を少し引用してみます。(p106以下)

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(2)女の経験を探る伝記としてのアートと、主題「最後の晩餐」
   ─女の経験を継承するのか、白人普遍主義か、ユダヤ性の消去か?

(中略)キリストの「最後の晩餐」を主題に採り入れた最初のいわゆるフェミニスト・アーティストは、合州国のメアリー・ベス・エーデルソンだろうと言われている。エーデルソンの《現存のアメリカ女性アーティストたち/最後の晩餐》(Some Living American Women Artists/ Last Supper)は、1971年に制作されたオフセットのポスターである。レオナルド・ダヴィンチの《最後の晩餐》を下敷きに構成された画面には、ジョージア・オキーフ、オノ・ヨーコなど13人の女性アーティストが食卓に着き、さらにこの「最後の晩餐」の周囲を、59人の女性たちが取り囲んでいる。
 これまでの「犠牲」の労をねぎらい、女性たちの業績を讃え、また、ひとつの空間に集合させることによって女性たちの連帯を呼びかける、というコンセプトは、シカゴの《ディナー・パーティ》にも引き継がれていると言われている。シカゴ自身によれば、─「《最後の晩餐》には女たちは登場しない。彼らが食べる食事はおそらく女たちが準備したのだろうけれども、どのように準備したのかは絵の中には描かれなかった。女性たちは、実際どのように受難を受けてきただろうか」─と述べ、「最後の晩餐」を主題に選んだ理由を説明してきた。
-------

メアリー・ベス・エーデルソンのサイトを見たら《現存のアメリカ女性アーティストたち/最後の晩餐》が出ていました。
これはダヴィンチの「最後の晩餐」そのものをベースに女性アーティストの写真を切り貼りしたコラージュですね。

Some Living American Women Artists/ Last Supper

メアリー・ベス・エーデルソンは1933年シカゴ生まれとのことなのでジュディ・シカゴと出身地が共通であり、年齢は6歳上ですね。

Mary Beth Edelson

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

クォークの父 2015/01/31(土) 14:29:14
小太郎さん
http://en.wikipedia.org/wiki/Murray_Gell-Mann
ノーベル物理学賞受賞者「「クォークの父」マレー・ゲルマンは、専門の物理学などは余技とも云うべき怪物的な知識人で、趣味の一つとして欧米人の姓名の由来をほとんど記憶している、と何かの本で読んだことがあります。
本人はオーストリア=ハンガリー帝国からのユダヤ系移民とのことですが、この人に訊ねれば、Judith と Judy や(女優ジョディ・フォスターの)Jodie との関係について明快に説明してくれるだろうな、とは思います。
蛇足ながら、ゲルマンの趣味の内、 ranching(牧場経営)は James Joyce『Finnegans Wake』の愛読者らしからぬ意外性がありますね。

「ディナー・パーティ」の39人という数字が13(最後の晩餐の出席者)×3(辺)であるとすれば、最後の晩餐は少なくとも三度は繰り返されるウロボロスのようなもの、という解釈も成り立ちますね。その場合、各辺の女性のなかで、(キリストはさることながら)イスカリオテのユダに相当するのは誰なのか、さらに、女性の裏切りとは家父長制への加担を意味するのか、など色々な疑問が湧いてきますね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF
クォークは、現在のところ、反粒子を入れても12個で、最後の晩餐の出席者数には一つ足りませんが、仮に12個を12使徒とすれば、イスカリオテのユダは名称からして反ストレンジあたりかな、という気がします。
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