学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

赤い旗の人

2015-02-20 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月20日(金)20時39分35秒

ジル・ケペルの『ジハード─イスラム主義の発展と衰退』(丸岡高弘訳、産業図書、2006)は本文が500ページ、詳細な注を加えると650ページの大著で、なかなか読みごたえがありますね。
やっと200ページほど進んだところですが、ジル・ケペルの知識の膨大さと分析の鋭さには圧倒されます。

>筆綾丸さん
>この人はダメなんじゃないか
まあ、そうなんですよね。
「現代史とは何か」には「帝国主義の全面展開」という勇ましい表現が合計六箇所も登場するのですが、その最初は、

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(前略)現代は、帝国主義の全面展開の時代といえるのではないか。
 いうまでもなく、現在の世界資本主義が示すさまざまな様相や形態を把握するにあたり、レーニンが二〇世紀初頭に行った分析を機械的に適用するだけでは全く不充分であることは当然である。(1)
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とあって、この注1を見ると、

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(1)現在の資本主義の性格をどうとらえるかをめぐっては、たとえば「新自由主義」の歴史的性格をめぐる小沢弘明の分析がある。(中略)また、日本共産党は、おそらくはレーニンの「帝国主義」概念はもはや現在の世界情勢を分析するにあたり必ずしも有効ではないという判断から、綱領等で「帝国主義」という用語の使用を保留するようになっている。
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という具合です。
栗田氏自身の考えに従えば「帝国主義」こそ、まさにこの論文における最重要の基本概念となるでしょうが、その説明をすべき部分に日本共産党の綱領云々と出てくるので愕然とします。
まあ、この論文が日本共産党の理論誌『前衛』あたりに載るのならこのような表現も良いでしょうが、歴史学の学会のシンポジウムをまとめた本なのですから、政治と学問の区別はきちんとつけてほしいですね。
なお、『歴史学のアクチュアリティ』には岸本美緒氏の「中国史研究におけるアクチュアリティとリアリティ」という思慮深い論文や、岸本・栗田氏の論文を比較検討し、穏やかな表現ながら栗田氏を批判する松沢裕作氏のコメントなども載っていて、全体として栗田氏に肯定的な内容になっている訳ではありません。

「解釈で憲法9条壊すな」国会包囲“人間の鎖”
「平和国家日本というイメージは中東でも完全に崩れ去りつつある」

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

エジプト革命 2015/02/19(木) 14:47:06
小太郎さん
栗田禎子氏は、小太郎さんが最初に引用された『歴史学のアクチュアリティ』所載の文章を読んで、甚だ僭越ながら、この人はダメなんじゃないか、と思いました。

鈴木恵美氏の『エジプト革命』を読み終えました。優秀な方ですね。エジプトの事情が少しわかりました。アメリカとの軍事的関係を考えると、最新鋭の戦闘機を売り込んだフランス外交の狡猾さ・したたかさに、あらためて驚きました。

http://www.rfi.fr/afrique/20150217-egypte-demande-une-intervention-internationale-libye/
フランスの国営ラジオ放送RFIは、「Abdel Fattah al-Sissi, maréchal à la retraite et président de l'Egypte」というように、 大統領を「退役元帥」と書いていて、現役の軍人は大統領にはなれないのですね。鈴木氏の表記は「スィースィー」です。

http://www.heibonsha.co.jp/book/b163570.html
長沢栄治氏は鈴木氏の恩師とのことですが、次はこの本を読んでみようかと思います。恩師の書名と同じというところに、鈴木氏の自信が溢れていますね。

http://www.shinchosha.co.jp/book/603643/
池内氏は、『中東 危機の震源』も面白そうですね。

座漁荘における棋聖戦 2015/02/20(金) 13:49:08
http://www.yomiuri.co.jp/local/aichi/news/20150218-OYTNT50151.html
棋聖戦第四局は「座漁荘」で。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784166606092
伊藤之雄氏『元老西園寺公望―古希からの挑戦』には、静岡県興津の座漁荘について、以下のような記述があります。
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その名は、古代中国の呂尚(太公望)が、茅(かや)に坐して漁したという故事による。座茅漁荘とすべきところを、座漁荘と略した。周王朝を建てる文王の師となった釣好きの「太公望」と、西園寺の名の「公望」の字をかけている。(194頁)
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(二・二六事件の起きた日の午前六時半、宮内省から座漁荘に知らせがあり、西園寺は静岡県警の自動車で知事官舎に避難した)
その夜、西園寺は知事官舎で晩酌をするなど、落ち着いていた。一夜明けて二月二七日になると、東京の情勢が好転したという情報が入ってきた。また西園寺はどうせ死ぬなら座漁荘の居間で死ぬ方がよいので、帰宅したいと側近に漏らした。そこで、西園寺は座漁荘に戻ることになり、午後三時に知事官舎を出発し、三時半頃に帰宅した。
この二七日には、座漁荘内に西園寺公特別警備本部が設置され、県警察部長が本部長となった。西園寺の避難も、自動車では無理な場合に備え、県の沿岸警備船等を待機させた。(300頁~)
(一九四〇年一一月二四日、於座漁荘、永眠、享年九一)
西園寺の葬儀は国葬となり、一二月五日に東京市の日比谷公園でとり行われた。寒中にもかかわらず、数万人もの参列者があった。国葬の当日、座漁荘が公開された。ここにも参観者が八〇〇〇人を超えた。(341頁)
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昨日のNHKBSプレミアムの解説者小林九段によると、世界王者を目指す井山棋聖らしい凄味のある布石とのことでした。対局室の床の間にあった「極楽」の掛軸はおそらく旧主自筆の書で、そこは、「どうせ死ぬなら座漁荘の居間で死ぬ方がよい」と云ったという永眠の居間なのかどうか。公が碁に通じていたか、不案内ながら、碁によるオシャレな追善供養と云うべきなんでしょうね。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/0teika100.html#VR
こととへよ思ひ興津の浜千鳥 なくなく出でし跡の月影
定家卿百番自歌合中の歌が、元老の人生に対する反歌のように見えてきますね。これに番えた歌は、
関の戸をさそひし人は出でやらで 有明の月のさやの中山
コメント
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