学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「歴史に追い抜かれる瞬間」(by 栗田禎子氏)

2015-02-12 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月12日(木)21時32分43秒

>筆綾丸さん
植民地云々が、例えば沖縄基地反対のデモとかでスローガン的に叫ばれるなら私も理解できるのですが、歴史学研究会のシンポジウムは学問の場ですからねー。
私が聴衆の一人だったら、栗田氏の言うところの「植民地」の定義は何か、また「帝国主義」の定義は何か、程度の質問はしたはずですが、当日の質疑応答はどんな状況だったのか。

さて、栗田氏の論文には「エジプト民衆革命」への詳しい言及がありますが、シンポジウムが2012年12月に行われ、『歴史学のアクチュアリティ』の発刊は2013年5月ですから、なかなか微妙な時期です。
少し引用してみます。(p92以下)

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三 「たたかいの記憶」を伝えることの重要性
1 エジプト二〇一一年「民衆革命」とたたかいの記憶

 このようにわれわれは、「新自由主義」と「対テロ戦争」の名のもと、資本の論理によって世界が支配される時代、帝国主義の全面展開の時代を生きているが、ではこのような状況を打開し、歴史を動かすものは何だろうか。単純すぎると言われるかもしれないが、それが民衆のたたかい以外にないことを、現在の世界の動きは示している。
 このような展望は、おそらくラテンアメリカの情勢を観察している人の目には、かなり前から映じ始めていたのかもしれない。中南米ではすでに二一世紀初頭以来、「新自由主義」と決別し、社会的公正を実現しようとする民衆のたたかいが高揚し、めざましい成果を挙げている。だが、中東を専門とする筆者の場合、「新自由主義」・「対テロ戦争」体制が民衆のたたかいによって打ち破られることが実感されたのは、ほかならぬ二〇一一年春の中東革命、特にエジプト民衆革命の過程においてであった。
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いったんここで切りますが、<中南米ではすでに二一世紀初頭以来、「新自由主義」と決別し、社会的公正を実現しようとする民衆のたたかいが高揚し、めざましい成果を挙げている>というのは具体的に何のことですかね。
ベネズエラのチャベス前大統領やエクアドルのコレア大統領の反米的政策のことのような感じもしますが、それが「民衆のたたかい」といえるのか、また「めざましい成果」が上がっているのか。
ま、それはともかくとして、続きです。

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 それは筆者にとって、いってみれば、「歴史に追い抜かれる」瞬間、ともいうべきものを味わわせてくれる、得難い経験であった。ある意味で「現代史」のひとつの定義は、まさにこの点、現代史を研究している場合には、「歴史家が歴史に追い抜かれる瞬間がある」ということかもしれない。歴史家は社会が抱える矛盾をさまざまな角度から分析し、民衆のたたかいが勝利することを信じて長年仕事を続けてはいても、時には惰性的な研究態度になり、また変化がおきることに懐疑的になったりもする。すると──あたかもその肩をポンと叩くかのように──民衆の側が動き出し、呆然としている「現代史家」を尻目に不可逆的変化が起きて、歴史は次の段階へと移っていくのである。このように「歴史に追い抜かれる」経験は、(民衆の力量や変化の起きるタイミングを見きわめ損なったという意味で)不面目なものなのではあるが、同時に、歴史家にとって至福の瞬間、現代史家の幸福ともいえる。
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時系列で少し整理しておくと、

2011年1月 ムバラク大統領辞任を求める大規模デモ発生
2011年2月 ムバラク大統領辞任 軍による暫定統治
2012年6月 ムスリム同胞団のムルシーが大統領に就任
2012年11月 新憲法案をめぐり対立激化
2013年7月 軍部クーデターによりムルシー大統領失脚

といった具合に「エジプト民衆革命」は展開したのですが、2012年12月の歴史学研究会シンポジウムの頃、エジプトはムルシーの新憲法案をきっかけとする厳しい対立と混乱の中にあり、翌年5月の『歴史学のアクチュアリティ』発刊後間もなく、軍事クーデターによりムルシーが失脚してしまった訳ですね。
とすると、「エジプト民衆革命」で「歴史に追い抜かれる」経験をした栗田氏は、ムルシー失脚後のエジプト情勢をどのように評価されるのか。
栗田氏の立場からすれば、ムバラク辞任から初めて民主的な選挙で選ばれたムルシー大統領の誕生までは「不可逆的変化」だったはずで、それがクーデターでひっくり返ってしまったのだから相当な驚きだったと思いますが、ではこの事態はいったい何なのか。
呆然としている「現代史家」を尻目に、「歴史」が猛然と後退し、再び「現代史家」が呆然としたまま「歴史」の先に立ってしまった、ということなのでしょうか。

ムハンマド・ムルシー

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

ゴラン高原 2015/02/11(水) 13:41:55
小太郎さん
栗田禎子氏の考え方は、祖父の遺志を継いで戦後レジームからの脱却を声高に訴えて宗主国(?)の不信を買っている現首相に似ていて、ブレーン入りも近いのかな、という感がします。「第二次世界大戦後の日本は、米軍によって国土の重要部分を占領され、アメリカの事実上の植民地となるに至った」という場合の「国土の重要部分」とは、具体的に何処を指しているのか・・・皇居と永田町と霞が関(並びに憲法)? また、「重要部分」という言い方からすると、国土には重要でない部分もあるということなんでしょうね、きっと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E7%94%B0%E7%A6%8E%E5%AD%90
ウィキの「社会的活動」を見ると、うーん、ブレーン入りは無理かな、と思われますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Golan_Heights
ゴラン高原のフランス語名は Plateau du Golan、ドゥルーズ/ガタリ共著「千のプラトー」の原題は Mille Plateaux なので、イスラエル軍人の Plateau を踏まえたジョークだった、という気が確かにしますね。mille に対してはさらにキリスト教終末論 Millenarianism(千年王国)が暗示されているのかもしれないですね。ゴラン高原の歴史や地理は不案内なので、ただの勘にすぎませんが。
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The Golan Heights borders Israel, Lebanon, and Jordan. According to Israel, it has captured 1,150 square kilometres (440 sq mi).??According to Syria the Golan Heights measures 1,860 square kilometres (718 sq mi), of which 1,500 km2 (580 sq mi) are occupied by Israel. According to the CIA, Israel holds 1,300 square kilometres (500 sq mi)
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以上のようなウィキの Geography の説明は、「千のプラトー」の副題にある Schizophrénie(分裂病)を思わせるものがありますね。

『フランス現代思想史ー構造主義からデリダ以後へ』に次のような記述があるのですが、「アメリカの変な地名に関する folk etymology には Post Office が登場することが多い」と小太郎さんが言われていたことを思い出しました。地名決定に郵便局が関与するという背景には、「思想の巨匠は郵便の巨匠」という欧米の事情があるのかもしれないですね。
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デリダが「郵便」として想定しているのは、じっさいの「郵便」だけでなく、哲学的な書簡や、さらには著作そのものをも含み、広大な領域をなしている。たとえば、フロイトやハイデガーのような「思想の巨匠は郵便の巨匠(郵便局長)」でもある」と言われている。プラトンの『書簡』は、次々に配達され、プラトン自身が想像さえしなかった人々にまで、届けられる。(191頁)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E5%B3%B6%E5%AF%86
http://www.h2.dion.ne.jp/~pv0ngdn/jourakuji.html
「郵便制度の父」前島密の眠る浄楽寺には和田義盛寄進の運慶仏があり、尋ねる機会があれば、デリダって野郎が「盗まれた手紙(アラン・ポー)」は d'aventure(時には)届かないこともある、てなことを言ってましたぜ、旦那、と鴻爪翁に密告しようかと思います。
コメント
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