投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 2月 1日(日)21時18分36秒
>筆綾丸さん
>最後の晩餐
あまり深入りしても仕方ないかなと思いつつ、『超域文化科学紀要』第3号(1998年)所収の北原恵氏の論文、「"招待"への再考─《ディナー・パーティ》をめぐるフェミニズム美術批評」を読んでみました。
この雑誌は「東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻の発行する,査読付き研究雑誌」だそうですね。
「超域文化科学紀要」
「最後の晩餐」に関連する箇所を少し引用してみます。(p106以下)
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(2)女の経験を探る伝記としてのアートと、主題「最後の晩餐」
─女の経験を継承するのか、白人普遍主義か、ユダヤ性の消去か?
(中略)キリストの「最後の晩餐」を主題に採り入れた最初のいわゆるフェミニスト・アーティストは、合州国のメアリー・ベス・エーデルソンだろうと言われている。エーデルソンの《現存のアメリカ女性アーティストたち/最後の晩餐》(Some Living American Women Artists/ Last Supper)は、1971年に制作されたオフセットのポスターである。レオナルド・ダヴィンチの《最後の晩餐》を下敷きに構成された画面には、ジョージア・オキーフ、オノ・ヨーコなど13人の女性アーティストが食卓に着き、さらにこの「最後の晩餐」の周囲を、59人の女性たちが取り囲んでいる。
これまでの「犠牲」の労をねぎらい、女性たちの業績を讃え、また、ひとつの空間に集合させることによって女性たちの連帯を呼びかける、というコンセプトは、シカゴの《ディナー・パーティ》にも引き継がれていると言われている。シカゴ自身によれば、─「《最後の晩餐》には女たちは登場しない。彼らが食べる食事はおそらく女たちが準備したのだろうけれども、どのように準備したのかは絵の中には描かれなかった。女性たちは、実際どのように受難を受けてきただろうか」─と述べ、「最後の晩餐」を主題に選んだ理由を説明してきた。
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メアリー・ベス・エーデルソンのサイトを見たら《現存のアメリカ女性アーティストたち/最後の晩餐》が出ていました。
これはダヴィンチの「最後の晩餐」そのものをベースに女性アーティストの写真を切り貼りしたコラージュですね。
Some Living American Women Artists/ Last Supper
メアリー・ベス・エーデルソンは1933年シカゴ生まれとのことなのでジュディ・シカゴと出身地が共通であり、年齢は6歳上ですね。
Mary Beth Edelson
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
クォークの父 2015/01/31(土) 14:29:14
小太郎さん
http://en.wikipedia.org/wiki/Murray_Gell-Mann
ノーベル物理学賞受賞者「「クォークの父」マレー・ゲルマンは、専門の物理学などは余技とも云うべき怪物的な知識人で、趣味の一つとして欧米人の姓名の由来をほとんど記憶している、と何かの本で読んだことがあります。
本人はオーストリア=ハンガリー帝国からのユダヤ系移民とのことですが、この人に訊ねれば、Judith と Judy や(女優ジョディ・フォスターの)Jodie との関係について明快に説明してくれるだろうな、とは思います。
蛇足ながら、ゲルマンの趣味の内、 ranching(牧場経営)は James Joyce『Finnegans Wake』の愛読者らしからぬ意外性がありますね。
「ディナー・パーティ」の39人という数字が13(最後の晩餐の出席者)×3(辺)であるとすれば、最後の晩餐は少なくとも三度は繰り返されるウロボロスのようなもの、という解釈も成り立ちますね。その場合、各辺の女性のなかで、(キリストはさることながら)イスカリオテのユダに相当するのは誰なのか、さらに、女性の裏切りとは家父長制への加担を意味するのか、など色々な疑問が湧いてきますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF
クォークは、現在のところ、反粒子を入れても12個で、最後の晩餐の出席者数には一つ足りませんが、仮に12個を12使徒とすれば、イスカリオテのユダは名称からして反ストレンジあたりかな、という気がします。
小太郎さん
http://en.wikipedia.org/wiki/Murray_Gell-Mann
ノーベル物理学賞受賞者「「クォークの父」マレー・ゲルマンは、専門の物理学などは余技とも云うべき怪物的な知識人で、趣味の一つとして欧米人の姓名の由来をほとんど記憶している、と何かの本で読んだことがあります。
本人はオーストリア=ハンガリー帝国からのユダヤ系移民とのことですが、この人に訊ねれば、Judith と Judy や(女優ジョディ・フォスターの)Jodie との関係について明快に説明してくれるだろうな、とは思います。
蛇足ながら、ゲルマンの趣味の内、 ranching(牧場経営)は James Joyce『Finnegans Wake』の愛読者らしからぬ意外性がありますね。
「ディナー・パーティ」の39人という数字が13(最後の晩餐の出席者)×3(辺)であるとすれば、最後の晩餐は少なくとも三度は繰り返されるウロボロスのようなもの、という解釈も成り立ちますね。その場合、各辺の女性のなかで、(キリストはさることながら)イスカリオテのユダに相当するのは誰なのか、さらに、女性の裏切りとは家父長制への加担を意味するのか、など色々な疑問が湧いてきますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF
クォークは、現在のところ、反粒子を入れても12個で、最後の晩餐の出席者数には一つ足りませんが、仮に12個を12使徒とすれば、イスカリオテのユダは名称からして反ストレンジあたりかな、という気がします。
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