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烏森神社の「多喜尼天」

2011-02-24 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 2月24日(木)07時21分1秒

JR新橋駅には「烏森口」改札があり、近くに烏森神社が鎮座していますが、出張先に向かう途中だったのでこちらも参詣してみました。
同社の公式ブログには、

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平安時代の天慶三年(940年)に、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治の説話で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白矢の矢を与えた。その矢をもって、すみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現われて、神烏の群がる所が霊地だと告げた。そこで桜田村の森まできたところ、夢想の如く烏が森に群がっていたので、そこに社頭を造営した。
それが烏森稲荷の起こりである。
http://plaza.rakuten.co.jp/karasumorijinja/

とありますが、実際に訪問してみると、稲荷社であることを感じさせる要素は全くないですね。
立派な狛犬はありますが、狐は一匹も存在しておらず、境内のポスターに「初午祭」とはあっても、それが稲荷の祭礼である旨の説明はありません。
大森恵子氏の大著『稲荷信仰と宗教民俗』(岩田書院、1994)第二章「荼枳尼天と稲荷信仰」p380によると、「烏森稲荷社」の神体は「多喜尼天」、別当寺は「快長院 聖護院宮末京六角住心院霞下」(『御府内寺社備考』)とのことなので、同社が隆盛を極めた江戸時代には本山派修験の支配下にあった訳ですね。
そして神仏分離の時期に仏教的要素を排し、ついでに稲荷としての側面も極力排してしまったということでしょうか。
参拝時、私はお狐様へのバンダナ奉納を狐視眈々と狙っていたのですが、肝心のお狐様がいないのでは仕方ないので空しく引き返しました。

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