投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 4月15日(月)11時18分57秒
うーむ。
『明月記研究』第7号(2002年12月)に掲載された小川論文はもっと早く読んでおくべき重要論文でしたが、今更後悔しても仕方のないことであります。
そこで、小川剛生氏が既に十七年前に到達していた認識について、改めてここで確認しておくことにします。
小川論文は「宗冬卿記」で検索すればすぐに出てきますが、参照の便宜のため、少し引用させてもらいます。
さて、小川論文の構成は、
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はじめに
一 『宗冬卿記』とその記主
二 御賀の出来事
三 公家日記から見た『とはずがたり』
四 「北山准后九十賀」の制作年代
附、翻刻
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となっていますが、まず、中御門宗冬は『中右記』の作者、中御門右大臣藤原宗忠の七代目の子孫で、おそらく建長年間(1249-56)の出生、康元元年(1256)に叙爵、以後は典型的な羽林家の昇進ルートを歩み、「北山准后九十賀」のあった弘安八年(1285)には正四位下左中将ですね。
正応三年(1290)に伏見天皇の下で蔵人頭、従三位、参議となかなかの出世をしています。
嘉元元年(1303)に権中納言となってこれが極官、徳治二年(1307)に出家して応長元年(1311)没ですね。
特段の政治的事蹟はないようですが、「宗忠以降、この一門は楽道に精進してとりわけ御遊で所作することを何よりの名誉と考えており、かれは朗詠を得意とした」(p248)のだそうです。
ついで、「二 御賀の出来事」に入ると、
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それでは『宗冬卿記』に基づいて、九十賀の一連の行事を見ていくことにする。まず、御賀の準備のため、二月五日と二十日に仙洞(亀山院御所)で沙汰があった。大宮院の主催とはいえ、治天の君である亀山院としても取り組むべき盛儀であったことが分かる。
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とありますが(p249以下)、「御賀の準備のため、二月五日と二十日に仙洞(亀山院御所)で沙汰があった」云々については、私は大宮院があくまで亀山院側の人であったことを示すものではないかと思います。
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また二十日と二十八日には内裏で、御賀の習礼のため内々御遊があり、宗冬は付歌を担当している。二十八日には後深草・亀山の両上皇と、大宮・東二条・新陽明門(亀山妃、藤原位子)の三女院が北山に御幸している。翌二十九日には天皇と春宮の行幸啓を迎えている。『実冬卿記』には殊に詳しいが、宗冬は参仕していないため、行幸・御幸についてはほとんど記していない。
二月三十日は御賀の第一日である。『とはずがたり』では「かの准后ときこゆるは西園寺の太政大臣実氏公の家、大宮院・東二条院御はゝ、一院・新院御祖母、内・春宮御曾祖母なれば、世こそりてもてなしたてまつるもことはりなり」と、長文にわたる准后と自分のゆかりを載せ、これを受けた『増鏡』でも「いとやむことなかりける御事也、むかし、御堂殿の北の方鷹司殿ときこえしにはおとり給はす」とし、後嵯峨院の中宮になって寵を一身に受け、二代の国母となった大宮院の果報までも絶賛するのであるが、そういう部分はここにはない。但し『宗冬卿記』には「今度被用治安・長元・久安等例也」と見えていて、治安三年(一〇二三)十月十三日の鷹司殿源倫子(藤原道長室、上東門院・頼通等の母)の六十賀、長元六年(一〇三三)十伊井月二十八日の同じく倫子の七十賀、久安五年(一一四九)六月二十七日の一条殿藤原全子(藤原師通室、忠実母)の九十賀の例に倣ったことが記されており、『増鏡』が貞子を倫子と比較するのも自然な発想である。
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小川氏は「後嵯峨院の中宮になって寵を一身に受け、二代の国母となった大宮院の果報までも絶賛する」と書かれていますが、『増鏡』を実際に読むと、北山准后への言及は僅少で、むしろ大宮院への絶賛の分量がすごいですね。
北山准后の老後とその健康状態(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/339221d74ae254dd4c44890d1ebbba2a
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