学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

天阿上人

2011-02-25 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 2月25日(金)07時41分27秒

大森恵子氏の「荼枳尼天と稲荷信仰」は次のような趣旨の論文です。(p375)。

-----------
 神仏分離以前の創立とか勧請と伝えられる稲荷小祠は、全国津々浦々に鎮座する。この種の稲荷社は、章末に掲載した表5の「荼枳尼天像を御神体とする稲荷社一覧表」や表6の「荼枳尼天像を御神体とする寺鎮守稲荷一覧表」に示したように、現在でも仏教的稲荷神である荼枳尼天像を御神体とするものが多い。明治維新後は、山城国の伏見稲荷本願所愛染寺が廃されたために、荼枳尼天像も神道の正一位稲荷大明神とされ、伏見稲荷大社から神道的稲荷神の宇迦之御魂をむかえて、一緒に奉斎されている稲荷社が数多く存在するのも現状である。一方では、神仏分離で荼枳尼天を安置するかぎり、稲荷神社と称することができなかったので、もと別当や縁りの寺に荼枳尼天像を遷座するなどして、祀り継いだものもある。このほかに三河地方の豊川稲荷(曹洞宗・妙厳寺)や、吉備地方の最上稲荷(日蓮宗・妙教寺)などから勧請された※枳尼真天や※枳尼尊天を御神体とする稲荷祠もある。
(中略)
 ところがこれまで、稲荷信仰に関する様々な研究がなされてきたが、荼枳尼天を中心に論じた研究は、五来重氏が「稲荷信仰と仏教」を執筆するまでは、ほとんど進行していないのが現状であった。五来氏は同稿で日蓮宗や禅宗・浄土宗・天台宗・真言諸宗で祭祀されている荼枳尼天を主にとりあげて、その宗教現象を詳細に分析するとともに、仏教経典や仏教的稲荷信仰に関する伝書をとおして、稲荷信仰の仏教的側面を論証している。また、栖川隆道氏は「禅宗寺院と稲荷信仰」の論中で、妙厳寺豊川稲荷が明治以後急速に人々の信仰を集めた理由を考察している。
 しかし、各地に鎮座する稲荷社の別当寺に着眼して、荼枳尼天を祀る仏教的稲荷信仰が民間に伝播していった過程を解明する研究はいまだなされていない。本章では特にこの点に焦点を当てて、近世における稲荷社の別当寺と修験、あるいは伏見稲荷本願所愛染寺と勧進聖、愛染寺の初代住持天阿上人と荼枳尼天信仰の関わりについて究明していくことにする。
-----------

この天阿上人は非常に興味深い人物ですね。
後で少し紹介するつもりです。
また、天阿上人ゆかりの、愛染寺伝来の品々を多数保管しているという滋賀県長浜市の日出山神照寺にも行ってみたいと思っています。

神照寺
http://www.h2.dion.ne.jp/~jinsyoji/index.htm
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 烏森神社の「多喜尼天」  | トップ | 「江湖の野子」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

妙音天・弁才天」カテゴリの最新記事