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小川剛生『兼好法師─徒然草に記されなかった真実』

2017-11-25 | 小川剛生『兼好法師─徒然草に記されなかった真実』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年11月25日(土)11時05分58秒

暫く止める、みたいに書いた後もロシア・ソ連ものをズリズリと引きずり、工藤精一郎・鈴木康雄訳『ゴルバチョフ回想録 上巻』(新潮社、1996)を読み始めていたところ、これが上下二段組みで765ページもあるためなかなか進まず、気分転換に小川剛生氏の話題の近刊、『兼好法師─徒然草に記されなかった真実』(中公新書)を読んでみました。

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兼好は鎌倉時代後期に京都・吉田神社の神職である卜部家に生まれた。六位蔵人・左兵衛佐となり朝廷に仕えた後、出家して「徒然草」を著す――。この、現在広く知られる彼の出自や経歴は、兼好没後に捏造されたものである。著者は同時代史料をつぶさに調べ、鎌倉、京都、伊勢に残る足跡を辿りながら、「徒然草」の再解釈を試みる。無位無官のまま、自らの才知で中世社会を渡り歩いた「都市の隠者」の正体を明らかにする。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2017/11/102463.html

小川剛生氏の著書・論文についてはこの掲示板でも何回か取り上げたことがあり、2014年3月、「卜部兼好伝批判―「兼好法師」から「吉田兼好」へ―」が話題になったときには、何としても入手しなければ、みたいに興奮したのですが、暫くして熱が冷め、そのうち本になるだろう、みたいに思って、結局読まず仕舞いでした。

http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/69c1b4fe0cedad95f41ad2e44f775c94

あれから三年半経って出版された『兼好法師』の参考文献を見ると(p223)、

「徒然草と金沢北条氏」荒木浩編『中世の随筆─成立・展開と文体』<中世文学と隣接諸学10>竹林舎、平26
「卜部兼好の実像─金沢文庫古文書の再検討」明月記研究14、平28・1
「徒然草をどう読むか─「作者問題」と併せて考える」日本女子大学国語国文学会研究ノート44、平28・2
「兼好法師の伊勢参宮─祭主大中臣氏との関係を考証し出自の推定に及ぶ」日本文学研究ジャーナル1、平29・3
「勅撰集入集を辞退すること─新千載集と冷泉家の門弟たち」『中世和歌史の研究 撰歌と歌人社会』塙書房、平29
「「河東」の地に住む人々─佐々木導誉と是法法師」藝文研究113、平29・12

という具合に、小川氏は徒然草関係について着々と論文を積み重ねて来たのですね。
小川氏は「はしがき」で、

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 現在、徒然草ないし兼好に関する論文は三〇〇〇篇をはるかに超え、昭和四十二年度以降の半世紀に限れば約二三〇〇篇に上る(単著を除く)。実に一年に四〇篇以上が発表された計算となる。研究は隆盛を極めているが、細分化も不可避である。著名な作品は、それ自体を論じてしまえば足りてしまう懐の深さがあるにしても、通説を無批判に踏襲し作品に自閉する安易な姿勢がなかったとは言えまい。現代人にとって兼好はまず徒然草作者であるとはいっても、作品から帰納された作者像を兼好の実人生として記述してきたことが異様な偏りを生んだ。作品とは一定の距離を保ちつつ、できるだけ外部の史料を活用して、兼好の伝記を記述するのが最上であろう。
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と書かれていますが、私も一時期、徒然草にかなり興味を抱き、さすがに千の単位にはならないものの、相当数の論文を読んだことがあります。
ここ十年くらいは中世文学から離れていたので最近の研究水準は把握していなかったのですが、小川氏の今回の著書を読む限りでは、小川氏自身の論文を除くと「通説を無批判に踏襲し作品に自閉する」のではなく、実証的な歴史学ときちんとした接点を持った論文はそれほど出ていないようですね。
昨日、一気に読み終えた時点では本当に素晴らしい本だと思ったのですが、一日経ってみると若干の疑問も湧いてきます。
読まなければならない本は沢山あるのですが、久しぶりにちょこっとだけ徒然草の世界に戻ってみようかな、という誘惑も感じ、少し悩んでいるところです。
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