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「心を高くあげよ」(by 第三三代院長 深井智朗)

2019-05-25 | 森本あんり『異端の時代─正統のかたちを求めて』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 5月25日(土)10時32分3秒

深井智朗氏の捏造騒動で一番奇妙なのは、やはり深井氏の動機ですね。
マスコミでは旧石器捏造事件の再来だ、みたいな記事もありましたが、あの事件では捏造した人に名誉・功名を得たいという分かりやすい理由がありました。

旧石器捏造事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%8D%8F%E9%80%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

深井氏の場合、『ヴァイマールの聖なる政治的精神―ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム』(岩波書店、2012)のカール・レーフラーにしても、「エルンスト・トレルチの家計簿」(『図書』2015年8月号、岩波書店)にしても、その時点で深井氏は既に宗教思想史の世界で相当の実績をあげ、充分な学問的評価と社会的名誉を得ていました。
そして深井氏が捏造した架空の人物、架空の史料には、別にその存否が学界の動向に影響を与えるような重大性は全くなくて、本当につまらない、子供の悪戯のようなものです。
Aug.T 氏は、

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一つの私見。私は深井先生と面識はないが、上司や同僚は様々な被害に遭っていたそうだ。期限が過ぎても原稿が提出されないなどは、単なる多忙と片付けたが、脈絡もなく突然ブチ切れメールを送られた時には流石に「おかしい」となり、同業者の話も総合して、何らかの心因性の病気が推測されていた。

https://twitter.com/mad_sad_toad/status/1127662342492176384

と言われていますが、まあ、今回の事件がなければ、単に怒りっぽい人程度の話のような感じもします。
深井氏の文章は明晰だし、院長就任時の挨拶など実に立派なもので、病気とまで言うのは躊躇われますね。
捏造の舞台が二つとも岩波だったことで、岩波の校正のレベルも落ちたものだ、みたいなコメントもネットでは見かけましたが、深井氏が敢えて岩波を選んだのだとすれば、業界最高水準と自他ともに認める岩波の校正のレベルを試したい、からかってやりたい、みたいな愉快犯的心情があったのかもしれません。
ま、病気ではなく、屈折した愉快犯、学問の世界のタブーを犯すことに特異な喜びを感じる「変態」くらいでいいんじゃないですかね。

岩波書店:「謹告(深井智朗氏『ヴァイマールの聖なる政治的精神』ほかについて)」
https://www.iwanami.co.jp/news/n29826.html

Aug.T 氏のツイートで知った深井氏の院長就任挨拶(東洋英和女学院学院報『楓園』85号、2018.1.31)、本当に素晴らしいものですが、今後削除されるかもしれないので、記念に保存しておきます。

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深町正信前院長の任期満了に伴い、院長選考委員会での協議を経て、二〇一七年七月二十一日に開催された臨時理事会において深井智朗新院長が選任され、一〇月一日に就任しました。
九月二十九日に行われた院長就任式の様子を写真でお伝えするとともに、深井院長と深町前院長からのメッセージをご紹介いたします。


心を高くあげよ
        第三三代院長 深井 智朗

 今から三〇年も前のことです。その頃住んでおりましたアウクスブルクの町でカトリック教会の司教の着座式がありました。この町の教会を指導する新しい司教が選ばれたのです。世界最古のステンドグラスがある大きな教会でその式は行われました。カトリックの教会ですから荘厳な衣装を身にまとった、威厳に満ちた司教たちが入場し、その式ははじまりました。式の中で、新しく司教となる司祭が神と会衆の前で誓約をします。その姿を忘れることはできません。新しい司教はどのように誓約をしたのでしょうか。彼は誓約にあたって姿勢を正すのでも、ひざまずくのでもなく、聖壇から降りて、会衆の前で、人々が座っているその足元でうつ伏せになったのです。両手を左右に広げ、まさに上から見れば十字架のような姿になり誓約したのです。そして司教は、床に顔をこすりつけるようにしながら、三度ラテン語で「私をお選びになられた神よ、あなたに私のすべてを明け渡します」と叫ぶのです。そして誓約が行われる間ずっとそのままの姿でした。そして司式をする司教が誓約の最後に「私の羊を養え」とラテン語で告げると、司教は立ち上がるのです。そして新しい司教はこういうのです。「スルスム・コルダ(sursum corda)、「心を高くあげよ」。
 式が終わってから、一緒に出席した友人に新しく就任する司教がうつ伏せになって誓約したことに驚いたと述べますと、これは一四世紀から続く伝統だと教えてくれました。司教に就任する際、誰によってこの職を与えられたのかということを明らかにすること、そして間違っても司教になることで傲慢になったり、また自分の使命を誤って理解し、権力や名誉を手に入れることだと思わないために、誰よりもへりくだって、地べたにうつ伏せになって、誓約をするのだと教えてくれました。
 就任式の朝、三〇年前の出来事を思い起こしながら六本木に向かいました。そしてこう考えました。この姿はマーサ・カートメル先生から第三二代院長として四年間ご奉仕くださった深町正信先生に至るまでの本学院の院長の姿でもある。先生方はみなこの学院を心から愛し、先生方の豊かな才能のすべてを捧げてこの学院に仕え、指導してこられました。しかし先生方はみな誰よりも謙虚で、献身的で、この学院とそこで学ぶ者、働く者に仕えてこられました。まさに神を愛し、隣人に仕えてこられたのです。
 私はこの職に就くにあたり、この精神を先生方から受け継ぎ、学院とここで学ぶ者、働く者のすべてに仕える者となり、「喜ぶ者とともに喜び、悲しむ者とともに悲しむ」者となることを神の前で約束したいと思います。
 わが国の教育機関が置かれている状況は決して楽観できるようなものではありません。本学院も例外ではありません。幸いなことに本学院は神のご恩寵のもと、また歴代の優れた学院指導者たちによって守られ、今日の姿にまで発展してきました。しかしそれでもいくつもの難題の前に今日の教育機関は立たされていると思います。社会的、経済的な要因もありますが、教育システムそれ自体が問われている時代なのです。変わらねばならない、勇気をもって変えてゆかねばならないことがあるはずです。決断しなければなりません。それが東洋英和女学院の将来を生み出すことになります。しかし他方で変えてはならないものがあります。それは本学院が建学以来一三三年間それを堅持してきたキリスト教の教えに基づく教育です。院長の職務はこの二つのこと、建学の精神の堅持と、それに基づいた将来の学院のヴィジョンを共に描き出すことだと考えています。
 これからご一緒に歩いて行きましょう。一緒に考え、悩み、議論し、決断し、東洋英和女学院という大きな船を約束の地へと導いて行きましょう。これまでの本学院の歴史は神の導きのもとに祝福された歴史でありましたが、いつも平穏であったわけではありません。困難な時にこそ、大きな課題に直面した時にこそ、壁や隔てを超えて、ひとつになって問題と取り組み、戦おうではありませんか。ここで学ぶ園児、児童、生徒、学生、院生のために、ここで働く全ての者たちのため、同窓生の方々、この学院に連なるすべての関係者の方々のために。これからなさねばならないいくつもの大きな課題と取り組むために心をひとつにし、心を高くあげ、学院の将来のために、一緒に歩んで行きましょう。
 一九〇〇年に完成した木造校舎が、その建築中にやってきた台風によって二度も倒壊した時、イサベラ・ブラックモア先生は大きな痛みと困難の中で、生徒や職員にこう呼びかけたことはこの学院を愛するすべての者がいつも思い起こすことです。「雨のあとには虹が出ます。恵みの虹を信じましょう。」みなさん。愛する東洋英和女学院のみなさん。一緒に「恵みの虹」を見ようではないですか。

http://www.toyoeiwa.ac.jp/publications/pdf/fuen85.pdf
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