学問空間

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「解題 エルンスト・トレルチ『キリスト教の絶対性と宗教の歴史』を読む」を読む。

2019-05-24 | 森本あんり『異端の時代─正統のかたちを求めて』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 5月24日(金)12時10分15秒

一昨日、ツイッターで、

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春秋社サイト、『キリスト教の絶対性と宗教の歴史』の紹介に「社会学者マックス・ウェーバーの同僚兼同居人としてたがいに深く影響を与え合った著者」とあるけど、これは誤解を与える表現だなあ。
ハイデルブルクのネッカー川沿いの広い邸宅の一・二階にウェーバー夫妻が住み、三階にトレルチ夫妻が住んでいたという関係であって、二人が一緒に暮らしていた訳ではない。

https://twitter.com/IichiroJingu/status/1131168720062099456

と書いたのですが、たった今、同社サイトを見たら、「社会学者マックス・ウェーバーの同じ大学、同じ屋根の下の住人としてたがいに深く影響を与え合った著者」となっていますね。

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新しい学問的方法の台頭や多元化する宗教・文化状況で、キリスト教が無条件に超越的・絶対的真理性を主張することは不可能ではないか。社会学者マックス・ウェーバーの同じ大学、同じ屋根の下の住人としてたがいに深く影響を与え合った著者は、それまでの神学的・哲学的議論を精査し、キリスト教がひとつの歴史的形態にすぎないことを認めつつも、なお他の啓典宗教やインド思想・仏教との比較を通じて、キリスト教の偉大さを示そうとする。みずからの価値を再確認し、さらなる前進を促す本書は、トレルチ生誕150年、ますます多元化する現代において、必ず読みかえされなくてはならない古典的名著である

http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-32363-2/

まあ、確かに「同居人」よりは「同じ屋根の下の住人」の方が正確ですが、妄想を生む可能性という点ではあまり変わりばえがしないような感じもします。
さて、私は二年前に『キリスト教の絶対性と宗教の歴史』を手に取ったのですが、当時の私の関心は深井英五(1871-1945)と「普及福音新教伝道会」にあったので、本文はパラパラと眺めただけで済ませ、熟読したのは深井智朗氏による「「解題 エルンスト・トレルチ『キリスト教の絶対性と宗教の歴史』を読む」(p269-313)の方でした。

「ドイツ普及福音伝道会」と深井英五
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dd168ff37949c37c3fb6e1b1e281018d
鴎外の「序文」代筆の先行例?
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/75803c5688a8c05b023524457fa8211a
「教祖を神とせずとも基督教の信仰は維持されると云ふのが其の主たる主張」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dba8684a32224ba07f9d5669214ebcee
「マルクスの著作の訓詁」の謎
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d5842d14e9ed0509c11313c5091ba93d
「宗教を信ぜずと言明する人の中に却て宗教家らしい人がある」(by 三並良)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/caa939de572224d0778a282b372bfddf
「マルクスの著作の訓詁」の謎、回答編
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/34b1e7e6eca291c2adcbfaf5fcb38167
深井英五と井上準之助
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/514e0313f20fb94a93256f796aa4e1c6

今回、改めて「解題」を読み直してみると、深井氏の引用の仕方は本当にいい加減ですね。
(その4)でチラッと触れた部分は、

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 ところでハイデルベルク時代のトレルチは、公的な仕事における成功とは裏腹に、家庭ではひとなみの苦労を経験していた。彼はハイデルブルクに赴任した時には独身であったが、一八九七年になって大学の同僚のヤーコブ・ヴァッサーマンの娘マリアと婚約したのであるが、その数週間後に婚約は解消された。理由は定かではないが、トレルチのウッテンルティア以来の性的志向が問題だったようで、その後ハイデルベルクの大土地所有者の娘マルタ・フィックとの結婚までトレルチは独身のままだった。実はその結婚が一九〇一年であり、ちょうど『絶対性』論文が刊行される時と重なっている。トレルチは本書の刊行元であるJ・C・B・モール社のパウル・ジーベックと何度も手紙のやり取りをし、少しでも有利な条件で印税の契約をしようとしている。
 二人の結婚生活はその後も決して順調とは言えず、トレルチの長男エルンスト・エーベルハルトが誕生したのはようやく一九一三年六月三〇日で、結婚後一二年目で、トレルチは一九二三年に亡くなっているので、彼の人生はあと一〇年しかなかった。晩年になってもトレルチは常に数名の自分の学生たちと非常に密接な関係を求め続け、「婚姻生活は常に不安定で、幸福なものとはいえなかった」。
 このハイデルベルク時代に迎えた、彼の人生にとっては大きな転機となる結婚式を五月三一日に終えたトレルチは、夏の休暇を新婦との旅行に費やし、一〇月四日にミューラッカーでの講演に望んだ【ママ】のであった。それ故にその年は人生の転機であると同時に、彼の学者としての生活の、あるいは思想にとっての大きな分岐点となった。彼自身この『絶対性』論文は「以後の〔自らの研究の〕あらゆるものの萌芽」であったと述べている。
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となっていますが(p292)、「婚姻生活は常に不安定で、幸福なものとはいえなかった」・「以後の〔自らの研究の〕あらゆるものの萌芽」のいずれも出典不明です。
また、「トレルチは本書の刊行元であるJ・C・B・モール社のパウル・ジーベックと何度も手紙のやり取りをし、少しでも有利な条件で印税の契約をしようとしている」とありますが、これと酷似した表現が『図書』2015年8月号の「エルンスト・トレルチの家計簿」にもあって、しかし、「エルンスト・トレルチの家計簿」の方では明らかに第一次世界大戦終了後の話になっています。

「エルンスト・トレルチの家計簿」を読む。(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8ba9b2399f97450e6a8ae2e00d694561


約二十年の時を隔てて同一の相手と厳しい印税の交渉をしているのだったら、単にトレルチが金銭面に細かい人というだけの話で、生活の困窮や、まして「性的志向」とは全然関係ないことになりますね。

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