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スチュアート・ヒューズ『意識と社会 ヨーロッパ社会思想 1890-1930』

2019-06-18 | 森本あんり『異端の時代─正統のかたちを求めて』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 6月18日(火)10時47分48秒

池田光穂氏は「マリアンヌ・ウェーバー」と書かれていますが、「マリアンネ」じゃないと別人みたいな感じもします。
ま、それはともかく、マリアンネ・ウェーバーによるマックス・ウェーバーの伝記は邦訳があるのに、何故に池田氏はスチュアート・ヒューズ『意識と社会』の生松敬三訳を引用しているのだろうと思って同書を確認してみたところ、原著は1958年、翻訳は1965年とかなり古い本ですが、概説として非常に良い内容ですね。

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アメリカにおけるヨーロッパ思想史のすぐれた理解者、ヒューズによる20世紀社会思想史第一部。19世紀末から第一次世界大戦にいたる社会的不安のなか、実証主義の超克をテーマとした社会思想を概観する。
歴史哲学者クローチェ、無意識を発見したフロイト、社会学の創始者ヴェーバー。20世紀の核となったこの三人の思想家を軸に、マルクス主義と格闘したパレート、ソレル、グラムシ、フロイトと同様に無意識を課題としたベルグソン、ユング、第一次世界大戦前後の小説家、ジード、ヘッセ、プルースト、ピランデルロ、20年代後半を知的総括する三冊の著作、マン『魔の山』、バンダ『聖職者の背任』、マンハイム『イデオロギーとユートピア』…「意識と社会」の問題を中心に、巧みな構成により全体的展望を与えようと試みている。
21世紀に向けて、これから台頭してくる思想に想いを馳せながら、本書を繙きたい。


>筆綾丸さん
いえいえ。
私は「宗教音痴」をボーッと見過ごしてしまっており、ご指摘がなければ『職業としての政治』を読み直すこともありませんでした。
『職業としての政治』を初めて読んだのは遥か昔、大学一年の頃で、教養学部の政治学の参考文献だったので眺めてみただけでしたが、当時はおよそチンプンカンブンであったはずの部分もそれなりに理解できるようになって、綾小路きみまろの「あれから四十年」的な感懐を覚えます。
ところで、「宗教音痴」の出典を明示していないのは些細なことで、「公言」も単なる勘違いでしょうが、森本氏の叙述と『職業としての政治』の関係部分を読み比べると、ちょっと引用の仕方が恣意的ではないかな、という感じがします。
森本氏の著作を読み始めた当初は同氏の学識に圧倒されるばかりだったのですが、暫く前から覚えていた森本氏に対する微かな違和感が徐々に拡大し、ウェーバーだけでなく、マイケル・サンデルの引用の仕方もおかしいのではないかな、と思って少し調べているところです。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Absolutes Gehör 2019/06/17(月) 14:22:54
小太郎さん
ご丁寧にありがとうございます。

https://de.wikipedia.org/wiki/Absolutes_Geh%C3%B6r
「Ich bin zwar religiös absolut unmusikalisch.」の absolut unmusikalisch は、 Absolutes Gehör(絶対音感)を踏まえた、苦虫を嚙み潰したような渋面でまるで洒落の似合わぬ神経質そうなマックス・ヴェーバーの、精一杯の洒落なのかもしれん、などと考えてみると、ちょっと笑えますね。

最近、私は三浦しをんの小説にはまっていますが、この人のユーモアのセンスは大したものです。
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