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井上宗雄氏『中世歌壇史の研究 南北朝期』(その11)

2021-03-28 | 歌人としての足利尊氏
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 3月28日(日)10時39分9秒

続きです。(p370)

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 建武二年正月十三日晴儀に準ずる内裏両席会、まず歌会で、題は竹有佳色、次に御遊(御遊抄・貞治六年中殿御会記・続史愚抄等)。尊氏の詠が風雅二一八〇、新千載二二八六にみえる(同一の詠歌)。前者詞書には元年、後者は二年、続史愚抄に「作元年謬歟」とある如くである。
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この尊氏詠は『新千載和歌集』では巻第廿の「慶賀歌」に載っていますが、前後の詠とともに紹介すると、

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       平重時朝臣子をうませて侍りける七夜によみてつかはしける
                               前大僧正隆弁
二二八四 ちとせまで行末とほき鶴の子をそだてても猶君ぞみるべき

       返し                      平重時朝臣
二二八五 千年ともかぎらぬものを鶴の子の猶つるの子の数をしらねば

       建武二年正月十三日内裏にて、竹有佳色といへることを講ぜられ
       けるに                   等持院贈左大臣
二二八六 百敷や生ひそふ竹の藪ごとにかはらぬ千世の色ぞ見えける

       式部卿久明親王家にて、竹不改色といふことを読み侍りける
                          平貞時朝臣
二二八七 万代も色はかはらじこの君とあふげばたかきそののくれ竹
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ということで、四条家出身で『徒然草』第216段に北条時頼・足利義氏とともに登場する「前大僧正隆弁」の後に北条重時・「等持院贈左大臣」尊氏・北条貞時と武家歌人が三人続いていますね。
尊氏が尊氏によって滅ぼされた鎌倉幕府の重鎮に挟まれていますが、何だか面白い配列です。
尊氏詠の「百敷や生ひそふ竹の藪ごとにかはらぬ千世の色ぞ見えける」は、いかにも慶賀の場にふさわしい目出度い歌で、尊氏の洗練された社交感覚を窺わせますね。
さて、井上著に戻ると、井上氏は二月四日に没した二条道平(良基の父)について少し論じられますが、省略して七夕の「内裏七首会」に進みます。(p371以下)

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 七夕には内裏七首会が行なわれた(題は七夕舟─光吉集。明題和歌全集等の年時不記「内御会」七夕舟=作者は為定・為親・為明・公時・行房=もこの時か)。しかしこの頃から新政府に対する不満はいよいよ嵩じ、七月には北条時行の挙兵があり、成良親王を奉じて鎌倉にいた足利直義はこれと戦って敗れ、幽閉の護良親王を殺して三河に退去した。時行は鎌倉に入った。京都ではこれより先に北条氏の残党と連絡して謀叛の挙兵を行なおうとした計画が漏れ、西園寺公宗・日野氏光・三善文衡らが捕えられていたが、八月二日に殺された。公宗と日野名子の間には建武元年に実俊が生まれていたが、名子は実俊とともに隠れ、西園寺の名跡は弟公重が嗣いだ。
 八月一日、天皇は、恐らく尊氏に征夷大将軍を与えたくないからであろう、成良親王を補し、二日、尊氏は勅命を待たず東下(この辺の事情は高柳光寿氏の『足利尊氏』に詳しい)、十九日早くも鎌倉を回復、その功によって三十日従二位に叙せられ、九月召還の命が下ったが尊氏はそれに応じなかった。
 この騒乱によってであろうが、十五夜・十三夜の記録はない。この年内裏千首が行なわれた。
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「八月一日、天皇は、恐らく尊氏に征夷大将軍を与えたくないからであろう、成良親王を補し」とありますが、成良親王が征夷大将軍となった時期については、私は田中義成以降の定説(八月一日説)は誤りだろうと考えています。

吉原弘道氏「建武政権における足利尊氏の立場」(その15)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/989850646f5823b76c039003fdb62205
帰京後の成良親王
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f9263c48e615c99949952173370ff559
同母兄弟による同母兄弟の毒殺、しかも鴆毒(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/32d6571d5c77d753fb36d0dbff8c15a9
峰岸純夫氏「私は尊氏の関与はもとより、毒殺そのものが『太平記』の捏造と考えている」(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/509a8a7307af6da03899e5bc1e1ed0e3
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