学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

岩佐美代子氏『風雅和歌集全注釈』

2021-04-19 | 歌人としての足利尊氏
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 4月19日(月)09時54分59秒

「今むかふ方は明石の浦ながらまだはれやらぬわが思ひかな」が『源氏物語』を踏まえ、尊氏が自身を光源氏に模した一種の演劇的精神に基づく歌であろうことは私には自明なのですが、石川氏のみならず、岩佐美代子氏もその点を指摘されてはいないですね。
「風雅和歌集 巻第九 旅歌」所収のこの歌は、岩佐氏の大著『風雅和歌集全注釈』上中下全三巻では中巻(風間書房、2003)に出ています。(p24以下)

-------
      世の中さはがしく侍りけるころ、みくさの山をとおりておほくら谷といふ
      ところにて
                       前大納言尊氏
933  いまむかふかたはあかしの浦ながらまだはれやらぬわがおもひかな

【詞書】 世間が騒乱の中にありました頃、三草山を通って、大蔵谷という所で詠みました歌。
【通釈】 今、これから向う方角の海岸は、「明石の浦」という名だが、まだその名のように明るく晴れ晴れするというわけにはいかない、私の心中の思いだなあ。
【語釈】 〇世の中さはがしく……─延元元(建武三)年(一三三六)正月、鎌倉から京に進攻し、一旦後醍醐天皇方を破った尊氏が、北畠顕家らに追い落とされた動乱。〇みくさの山……─二月二日尊氏京を落ち、兵庫に逃れる。三草山は兵庫県加東郡多可郡の境界をなす高原地、大蔵谷は明石市。〇かた─「方」と表記する本も多いが、「浦」と対応するものとして「潟」をかけたと解してみた。如何。〇あかしのうら─播磨の歌枕、明石浦。兵庫県明石市の瀬戸内海沿岸。「明かし」をかけ、「晴れやらぬ」と対比する。
【校異】 〇みくさの山─「の」欠(章・流)
【補説】 太平記によれば尊氏は侍童薬師丸(熊野別当道有)を三草山から京に遣わして、光厳院の院宣を請うた。二月十日打出浜合戦、十一日豊島河原合戦に敗れ、十二日海路九州に落ちるが、その途次、光厳院の院宣を得、四月東上して京を恢復、八月十五日光明天皇を践祚せしめた。すなわち「三草山」は尊氏にとっても光厳院にとっても記念すべき地名、しかし本詠詠出の時期には前途暗澹として、まさに「まだ晴れやらぬ」心境であったであろう。
-------

加東市観光協会サイトによれば、

-------
三草山は標高423.9m、1184年源義経が平資盛を夜半に襲撃した“三草山合戦”で有名な山。現在は、畑・三草・鹿野と3ヶ所の登山道がつき、山頂には京都北野天満宮から勧請した三草山神社があります。山頂からは。明石海峡大橋や淡路島が一望できます。

https://www.kato-kanko.jp/2017/03/mikusayama/

とのことですが、その位置は現在の明石市中心部のほぼ真北、直線距離で30㎞以上離れた場所ですね。
海岸線を移動しているならともかく、明石の遥か北方の山の中から南方を望んでいる訳ですから、「「浦」と対応するものとして「潟」をかけたと解してみた。如何」と問われれば、その解釈はかなり不自然で、まあ駄目でしょう、と答えることになろうかと思います。
ま、そんな細かいことはともかくとして、石川氏の表現を借りれば、岩佐氏は尊氏が「さぞや沈痛の思いであったろうと推測」するだけで、「この一首に思い詰めた深刻さが欠如する気がする」とは思わず、「内容はさておき、詠みぶりにどこか飄々としたものを感じてしまう」こともなく、「絶望的状況の中で詠まれたこの和歌の飄逸ぶり」を感じることもなく、佐藤進一流の「精神的分析ではなかなか説明しにくい、また別の尊氏像が垣間見えるように思われる」こともなさそうですね。
石川氏は「こうした傾向が彼の和歌乃至和歌活動に多く看取されるとは言い難いが、尊氏にとっての和歌というものの意味を考える際に稿者には気になってならない」とされますが、私が共感する石川氏のこの心境は、岩佐氏にはまったく無縁のようです。
うーむ。
私にとって岩佐氏は、多くの国文学者の中で井上宗雄氏と並んで本当に畏敬すべき特別な存在なのですが、この歌の解釈に限っては、あまり賛同できる部分がありません。

-------
『笠間注釈叢刊 風雅和歌集全注釈』

最善本である京都女子大学図書館所蔵、谷山文庫「風雅和歌集」を底本として、通釈・語釈・参考・校異・出典・補説・作者で編成。著者の60年にわたる京極派研究が結実。上巻は真名序・仮名序から巻八まで。
http://shop.kasamashoin.jp/bd/isbn/9784305300348/
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 石川泰水氏「歌人足利尊氏粗... | トップ | 「持明院殿の院宣」を尊氏が... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歌人としての足利尊氏」カテゴリの最新記事