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宮地正人氏「国家」(『日本史大事典』)(その1)

2014-01-31 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 1月31日(金)13時06分28秒

『国史大辞典』と比較すると、出発点としてあまり良くないのは『日本史大事典』ですね。
『日本史大事典』の「国家」の項目は「社会の全構成者の協同性を維持するための、社会から自立した、軍隊・警察・官僚・裁判所・監獄等の強制装置。社会が諸階級に分裂している場合には、通常種々の媒介を通じて支配的諸階級の階級支配の道具となる。階級対立のすでに存在しない社会主義国家においては、マルクス主義理論からは、国家機能の漸次的衰退が説かれているものの、現実には国家統治と経済運営を担当する官僚層に特権をもたらしている」という文章で始まります。
まあ、第二次世界大戦終了直後だったら斬新な記述だったでしょうが、ソ連崩壊後の1995年に、何でこんな文章を読まねばならないのだろうと不思議に思うくらい変てこな文章ですね。

そして「アダム・スミスの「国富論」第五編「主権者または国家の収入について」は、国家発生の問題を扱っているが、彼は「(狩猟民族は)自分の労働で自分を扶養する。事物のこういう状態のもとでは、本来、主権者もなければ国家もない」と述べ、他人の労働による冨の蓄積と国家成立との関係との関係を指摘し、「市民政府は、それが財産の安全のために確立されるものであるかぎり、実は貧者に対して富者を防衛するために、すなわち無財産の人々に対して若干の財産をもつ人々を防衛するために確立されるものなのである」と断言する」と続くので、我が国有数の歴史学者が執筆しているはずの『日本史大事典』を引いたつもりだったのに、いったいどういう方向に話が進んで行くのだろうか、と若干不安になります。

そんな不安を感じながらも、更に読み続けると、「右のような、市民社会の理論家達の国家成立史観を共有しながらも、そこに分業的視点を導入したのがエンゲルスであった。彼は「反デューリング論」第二編第四章において、国家権力のはじまりを、共同体内部の紛争の裁決、水利の監督、宗教的機能の遂行といった共同の利益を担う職務が分業によって特定の諸個人に委託されたことに求め、共同体が集まってより大きな全体をつくるようになると、共同の利益を保護し、相反する利害を撃退するためにさらに一つの新しい分業としての機関が創出され、社会に対する社会的機能のこのような独自化の過程のなかで、これら職務の担い手と機関が時とともに社会に対する支配者に転じていくとした」という展開となり、まあ、このあたりで、よほど暇な人以外は読む気をなくすだろうなと思います。

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