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鯖色の手紙

2014-03-28 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 3月28日(金)09時21分33秒

>筆綾丸さん
いつものクセでブチブチ文句を言ってしまいましたが、桜井英治氏の学説整理は相変わらず見事なものですね。
私は法的な面での関心が強いので、時期区分などの点では若干の違和感を覚えるのですが、現時点での学説の到達点を経済を中心に概観すると、おそらく桜井氏が一番正確な見取り図を描いているのでしょうね。

>かぎりなく透明に近い「理論」
これは権門体制論があまりに形式的という従来からの批判を、ちょっと洒落た言い方にしてみただけなんでしょうね。
ただ、「限りなく透明に近い」にしろ「権門体制論の一人勝ち」にしろ、桜井氏のレトリックは少し陰気くさいですね。

 限りなく 透明に近い鯖 深海魚


桜井氏のレトリックが陰気くさいのは持って生まれた内省的な性格によるんでしょうけど、長い間、中世史の世界で「職人」さんたちに囲まれていて、いいかげんうんざりしているという事情もあるのでしょうね。
「職人」の青い群れに囲まれた孤独な知識人の悲しみですかね。

 白鳥は 哀しからずや 空の鯖 海の鯖にも 染まずただよふ


無駄に明るい網野善彦氏あたりと比べると「一般読者層」に人気がないのは仕方ありませんが、誰しも認める中世史学界のリーダーとしては、もう少し元気があった方がよいように思います。
ということで、応援歌として昔なつかしいあべ鯖江のメロディーなど。

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 鯖色の手紙

 Ça va?(サバ?)

 “お元気ですか
 そして 今でも
 愛しているといって下さいますか”

 鯖いろは涙いろ そんな便箋に
 泣きそうな心をたくします
 あれこれと楽しげなことを書きならべ
 さびしさをまぎらす私です


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Almost Transparent theory と 限りなく透明に近い中世 2014/03/27(木) 17:18:37
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%90%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%8F%E9%80%8F%E6%98%8E%E3%81%AB%E8%BF%91%E3%81%84%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC
桜井英治氏の「中世史への招待」を読んでみました。
ご引用中の「このようにかぎりなく透明に近い「理論」」という表現は、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』のパロディらしく、権門体制論を小馬鹿にしたものかな、と思いました。この小説は未読なので、桜井氏が何を言いたいのか不明ですが、要するに空虚な理論、LSD による乱交パーティの後のような荒廃した理論にすぎぬ、ということが言いたいのか・・・大雑把な感覚的文章のため真意が見えにくいですね。しかし、Almost Transparent theory(theoretical?)などという言い方は、そもそも論理的に意味があるのでしょうかね(blue ならば意味があるけれども)。権門体制論に対して、この程度のことしか言えないのか、という感じです。

注(27)が面白いので、『中世社会の基層をさぐる』で確認してみます。
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勝俣鎮夫「バック トゥ ザ フューチュアー」(『日本歴史』七〇四号、二〇〇七年、のち勝俣『中世社会の基層をさぐる』山川出版社、二〇一一年、に再録)は、「サキ」と「アト」という語の用例を吟味した結果、中世以前の「サキ」がすべて過去を、「アト」が未来をさしていたのにたいし、十七世紀初頭から前半ごろをさかいに意味が入れ替わって「サキ」が未来を、「アト」が過去をさすようになることを明らかにし、その背後に時間意識、歴史認識上の大きな転換があったことを推測している。(後略)(27頁)
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