学問空間

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0110 平雅行氏「序章 鎌倉仏教研究の課題と総括的検討」を読む。(その10)

2024-06-30 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第110回配信です。


一、前回配信の補足

「祈祷・呪詛の効力に対する社会的信頼が毀損」された時期

p21以下
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 最後に、朝廷や幕府といった中世の権力が、顕密仏教を必要とした理由について触れておきたい。私は基本的にこれが、人間的諸力と自然との関係に起因していると考えている。中世においては技術と呪術が未分離な段階にあった。生産活動と宗教が未分離であったため、その結果、中世における文化・学問はもとより、経済・法・国家のいずれもが宗教と未分離となる。中世文化は仏教(顕密仏教)文化として表出され、中世の政治・経済や国家そのものも仏教的粉飾をまとうことになった。しかも、中世では平和と繁栄の成否を神が握っていると考えられていた。そうである以上、仏教の祈りによって神に働きかけて、鎮護国家と五穀豊穣を実現するというのは、中世ではもっともありふれた政治意識となっている。しかも、中世においては、呪詛という宗教的暴力が実態的パワーをもつと考えられており、祈りは暴力として機能していた。そうである以上、武家権力も含め、中世国家が暴力装置を発動させる際に、顕密仏教の祈禱を動員するのは当然のことである。
 実際、顕密仏教は中世社会への転換に際し、知識や技術の発展を積極的に取り入れ、高度な合理性を保持した呪術宗教へと生まれ変わっている。それゆえ顕密仏教は、医学をはじめとするさまざまな学問と習合することができたのである。治承・寿永の内乱や承久の乱の衝撃が契機となって、顕密仏教に批判的な新たな思想潮流が登場する。個性的で魅力的な思想家が多いが、しかし彼らが中世仏教の機軸となることはなかった。
 しかも顕密仏教は、浄土教の世界においても主導的役割を果たしていた。中世社会では朝廷・幕府から村や町にいたるまで在俗出家(僧侶の姿となって世俗活動を行うこと)が広汎に展開しているが、それは出家の功徳によって極楽往生を願うものである。念仏や信心の絶対性を説く専修念仏とは、思想性が全く異質である。このことは、法然・親鸞らの専修念仏の教えが中世浄土教の少数派であったこと、そして善導を包摂した顕密系浄土教が中世社会に圧倒的な影響を及ぼしていたことを示している。
 現世の祈りにおいても、来世の祈りにおいても、顕密仏教は主導的役割を果たしていた。鎌倉幕府が朝廷とともに顕密仏教を必要とし、それを保護した理由はここにある。ただし、戦国時代に大規模開発が進められ軍事技術が飛躍的に発達してゆくと、祈祷・呪詛の効力に対する社会的信頼が毀損され、鎮護国家と五穀豊穣という仏教の現世的機能への信任が急速に低下してゆく。その結果、近世仏教は、国家仏教ではなく来世の祈りを基軸とするものに変容してゆくのである。
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承久の乱では「祈祷・呪詛の効力に対する社会的信頼が毀損」されなかったのか。

0102 平雅行氏「序章 鎌倉仏教研究の課題と総括的検討」を読む。(その4)〔2024-06-13〕

桜井英治氏
『室町人の精神』への違和感〔2008-10-14〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7c847cf0a83656f89204e3ee34638198
「呪術性からの解放のエポック」〔2008-10-20〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/94da28a0cdb274d09ef3624e3fb9fa6e

清水克行氏
「戦国の法と習俗」(『岩波講座日本歴史第9巻 中世4』所収、2015)

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はじめに
一 呪術からの決別
 1 アジールの否定
 2 犯罪穢の否定
 3 神判の退場
二 折中・中分への傾斜
 1 中世人の衡平感覚と喧嘩両成敗法
 2 係争地収公の原則
三 職権主義の萌芽
 1 大名の法と村の法
 2 大名法の射程
 3 戦場と法廷のジレンマ
おわりに
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p222
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 以上、アジールの問題、犯罪穢の問題、神判の問題を概観してみたが、いずれも一六世紀前後をさかいにして、支配者・非支配者のレベルを問わず、それ以前からの宗教的・呪術的観念が徐々に希薄になり、法や習俗のあり方を大きく変えていっていることが確認できる。戦国期の社会的特徴は「呪術的観念の支配する社会から合理主義的観念の支配する社会への移行」と位置づけられるが、それは法と習俗の世界において、より顕著にみてとることができる。
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p220
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 そうした意識変化を可能にした要因を何に求めるべきか。これはなかなかに難しい問題であるが、一つにはこの時期の貨幣経済の浸透をあげることができそうである。さきの住宅検断に償却処分を導入することで得分権の分割が簡便に行われるようになった事例からもわかるように、犯罪穢にまみれた犯罪者財産も貨幣換算することで、そこにまつわりついていた呪術的な意味合いを無化することが可能になったのである。この場合は、あらゆる価値を等価交換可能なものにしてしまう貨幣という存在が、古代・中世的なシンボリズムを解体してゆくのに大きな役割を果たしたといえよう。
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しかし、貨幣の大々的な普及は13世紀と考えるのが普通ではないか。
「あらゆる価値を等価交換可能なものにしてしまう貨幣という存在」は、鎌倉時代においてこそ「古代・中世的なシンボリズムを解体してゆくのに大きな役割を果たした」のではないか。

二、小川剛生氏『「和歌所」の鎌倉時代』

 平雅行氏の顕密体制論に続いて同氏の権門体制論(というより黒田俊雄流の権門体制論の否定)を検討予定だった。
ただ、ある程度は検討済み。

0098 平雅行氏「序章 鎌倉仏教研究の課題と総括的検討」を読む。(その1)〔2024-06-05〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/72149217acceb848f4c17241d7d342da

小川剛生氏『「和歌所」の鎌倉時代』が非常に優れた内容なので、これを先に検討したい。

『「和歌所」の鎌倉時代 勅撰集はいかに編纂され、なぜ続いたか』(NHK出版、2024)
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