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あなたの「国家」はどこから?─中澤達哉氏の場合(その2)

2021-11-16 | 新田一郎『中世に国家はあったか』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年11月16日(火)10時12分24秒

続きです。(p38)

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 さて,歴史学に地殻変動を引き起こしている第二の要素は,近世史研究,とりわけ国家論における大幅な認識の転換である。かつて近世後半に関する日本の戦後歴史学の見解は,絶対王政の確立とこれに対抗する市民革命の到来を前提としていた(5)。革命後のブルジョア社会の出現や国民国家の成立を「型」の形成の契機とし,この型の抽出により歴史の進展を把握するという方法である。つまり,型を取り出し,その典型の一般性と固有性を明らかにすることで他の事例との比較が可能になる(6)。ここでは歴史の発展方向があらかじめ決定されているほか,それを主導する主体(民族と階級)の自明性も際立っていた(7)。
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「かつて近世後半に関する日本の戦後歴史学の見解は,絶対王政の確立とこれに対抗する市民革命の到来を前提としていた」とあるので、いったい何時の話なのだろう、と思って注を見ると、

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(5) 高橋幸八郎『近代社會成立史論―歐洲經濟研究史』日本評論社,1947 年;同『市民革命の構造』岩波書店,1950 年。ほかにも以下を参照。大塚久雄『近代欧州経済史序説』岩波書店,1981 年(1938 年);同『近代化の歴史的起點』學生書房,1948 年。
(6) 詳細は,成田ほか上掲論文,16-7 頁。
(7) 石母田正『歴史と民族の発見』東京大学出版会,1952 年;上原専禄『民族の歴史的自覚』創文社,1953 年;江口朴郎『帝国主義と民族』東京大学出版会,1954 年。
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とのことなので、カルスタやポスコロですら相当昔のような感じなのに、これはまた遥か昔、「戦後歴史学」の黎明期、ないし「古代」の話ですね。
細かい事ですが、「近代社會」「起點」「學生書房」と旧字に拘っているのは何故ですかね。
ま、それはともかく、続きです。

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 一方,1970 年代以降のヨーロッパの歴史学界では,アナール派と同等に(あるいはそれ以上に),G・エストライヒの「社会的規律化」(Sozialdisziplinierung),W・ラインハルトらの「宗派化」(Konfessionalisierung),J・ポーコックらの「市民的人文主義」(civic humanism)・「共和政」(republicanism)研究,そして,K・H・ケーニヒスバーガおよび J・エリオットらを中心とする「複合国家」(composite state)・「複合王政」(composite monarchy)論が大いなる発展を遂げていた。アナール派のインパクトが日本では強いだけに,ともするとその重要性は比較的軽視されがちであるが,上記研究の史学史上の世界的意義はきわめて大きい(8)。なかでも,後述の「複合国家」「複合王政」論は,のちに「礫岩国家」論をも登場させ,今日の近代ネイション・ナショナリズム研究に再検討を迫っていると考える。
 確かに日本の歴史学においては,上記の「規律化」「宗派化」「市民的人文主義」「複合国家」論のインパクトはアナール派の社会史研究が与えたインパクトに比べて小さかった。これは,ヨーロッパの文脈と異なり日本では,二宮宏之を中心とした絶対王政論が上記の戦後歴史学を一部継承しつつも代替する役割を果たし,そのアナール派的な社会史研究が大いに発展したことと無縁ではない。二宮はひとびとが日常的に取り結ぶ社会的結合や社会編成原理に着目し,絶対王政は諸社団を媒介することによってはじめて全国規模の統治を貫徹することができたと結論した(9)。これによって,官僚制や常備軍に支えられて中央集権化や近代化を進めてきたとされる絶対王政像は,全面的な修正を迫られることになったのである。その後,二宮の(国家論ではなく)エトノス論とその社会史研究が,ネイション・ナショナリズム研究をはじめとする近代史研究にもインスピレーションを与えた結果,1990 年代には記憶や表象,ジェンダーやエトノスを研究対象とする「国民の社会史」が日本に出現し,近代論系構築主義を形作ることになった(10)。より厳密に言えば,絶対王政像を修正したエトノス論に基礎を置きながら,この段階で欧米の構築主義をも摂取した結果,国民史批判の礎石が形成されることになったのであり,二宮の研究のもう一つの柱である国家論や社団論から国民史批判が発展してきたのではないことに着目したい(11)。後述する複合国家論・礫岩国家論はまさにこの部分に介在しているのである。
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長々と引用しましたが、「これ〔二宮宏之氏の研究〕によって,官僚制や常備軍に支えられて中央集権化や近代化を進めてきたとされる絶対王政像は,全面的な修正を迫られることになった」はいくら何でも大袈裟ではないですかね。
自分の得意な論点に持って行くに際して、研究史を多少単純化することは許されるとしても、ここまで二宮宏之氏を持ち上げるのは如何なものか。

二宮宏之(1932-2006)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%AE%8F%E4%B9%8B

なお、ウィキペディアの上記記事には、「1984年には文化人類学者の川田順造や日本中世史家の網野善彦らとともに学術誌『社会史研究』を創刊。同誌を中心とする二宮の活動は、フランスの『アナール』の影響を受けた新しい歴史学が日本で開始される重要なきっかけとなり、のちに網野善彦らが日本で庶民の社会史の研究を深めてゆく大きな足がかりとなった」とありますが、網野善彦氏は、自分はアナール派の影響など一切受けていない、「大体フランス語は読めないのですから直接の影響などまったくありません」と強調されていましたね。

「かのかたはを愛するなりけりと、興なく覚えければ」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/469b19d3376e0b2a8cbfae963f27852e
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