投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年11月16日(火)11時16分23秒
続きです。(p39以下)
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紙幅の限られた小論では,ヨーロッパの近世史研究における新たな潮流の一つである「複合王政」「複合国家」「礫岩国家」論をまず吟味しつつ,これらの国家論が近代ネイション・ナショナリズム研究にいかなる変更を迫っているのかを明らかにする。それは同時に,近代史研究では等閑視されてきた二宮の国家論が国民史研究に何を要請しているかを問うことでもある。そのうえで,近現代のスロヴァキア国民形成とナショナル・アイデンティティを事例に,ネイション・ナショナリズム研究の方法論的課題を具体的に検証したい。また,論述の際には日本の戦後歴史学以降の方法論についても副次的に言及し,日本の史学史への位置づけについても考えてみたい。
1.ネイション・ナショナリズム研究と複合国家・複合王政・礫岩国家論
(1)前提―ゲルナーの近代論・構築主義
いうまでもなく,近代論は 1960 年代のケネディ,ロストウらを中心とする「近代化論」(Modernizing Theory)と区分される。その特徴は概して以下の三点に集約できる。①ネイションは近代において恣意的に捏造された人工物である(12)。②それゆえに,ネイションは客観性のない想像された共同体である(13)。③この観念の形成は近代化・資本主義化・産業化に起因する(14)。近代論はネイションへの帰属意識の可変性をも強調する。なによりも,その把握のもとでは,西欧や東欧,アジアやアフリカにおけるネイションもナショナリズムも,近代という同一性のなかに並列化されることになる。
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注を見るまでもなく、「①ネイションは近代において恣意的に捏造された人工物である」はエリック・ホブズボーム、「②それゆえに,ネイションは客観性のない想像された共同体である」はベネディクト・アンダーソンですね。
エリック・ホブズボーム(1917-2012)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%96%E3%82%BA%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%A0
ベネディクト・アンダーソン(1936-2015)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3
ゲルナーは省略して(2)に入ります。
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(2)複合国家論・複合王政論・礫岩国家論
より重視すべきは,ゲルナー,ホブズボーム,アンダーソンの一連の著書が出版された 1983 年の段階の日本において,すでに二宮の社会史研究が登場していたことである。日本の近代史研究者の間では,二宮の認識論的・方法論的土壌に,戦後歴史学の関心を部分的に共有していたゲルナー型の近代論が流入し,これらが相互に影響しあい構築主義の雰囲気が準備されはじめたことは注目に値する。一方のヨーロッパでも,アナール派と構築主義との間に類似の関係を読み取ることができる。しかし日欧間の大きな相違は二点ある。第一にアナール派以前のヨーロッパには日本的な戦後歴史学が存在しなかったこと,第二にゲルナー流の構築主義の成立とほぼ同時期に,ヨーロッパでは既述の複合国家論・複合王政論が整備されていたという事実である。つまりゲルナーの構築主義とエリオットらの複合国家・複合王政論は,近代国家,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などといった近代的諸価値への信仰が潰えた 1960 年代末のポストモダン的な情況に対する異なる二つの反応であった(16)。ゲルナーの反応は社会構成体の再編と再解釈とによるモダニズム的なネイション・ナショナリズム論からの反応であり,ケーニヒスバーガおよびエリオットの反応は主権国家・絶対王政論の再構成による近世国家論からの反応であった(同様にポーコックは共和主義論からの転回であった)。イギリスで先行した議論にやや遅れて「宗派化」「規律化」研究がドイツからはじまるが,これらも広くはケーニヒスバーガやエリオットらの延長線上にある議論として捉えることができるだろう。このように,日本における社会史の発展とは異なる多様な動きが同時期のヨーロッパにはみられたのである。
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「しかし日欧間の大きな相違は二点ある。第一にアナール派以前のヨーロッパには日本的な戦後歴史学が存在しなかったこと」はずいぶん奇妙な表現で、「日本的な戦後歴史学」みたいなものがヨーロッパに存在するはずがないですね。
さて、私自身は複合国家論・複合王政論について全然勉強していないので中澤氏の要約が正確なのかは評価できませんが、ただ、冒頭の「近代国家のみならず,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などに対する近代的諸価値への信仰が幻想へと変わり,完全に衰退した」という断定的表現の後、ここで再び登場した「近代国家,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などといった近代的諸価値への信仰が潰えた 1960 年代末のポストモダン的な情況」云々という表現はどうにも大袈裟で、こういう表現は私は好きではありません。
だいたい、「近代国家,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などといった近代的諸価値への信仰」が「完全に衰退」したり「潰えた」ならば、近代国家はその時点で崩壊している訳で、では、いったい私たちが生きているこの世界はいったい何なのか、という話になります。
まあ、別に中澤氏だけでなく、こうした広告代理店のプレゼン男みたいな言い方をする人はけっこう多くて、世渡り上手だなとは思いますが、一時的に派手な活躍をしても、後続の研究者に役立つ業績を残す人は少ないですね。
続きです。(p39以下)
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紙幅の限られた小論では,ヨーロッパの近世史研究における新たな潮流の一つである「複合王政」「複合国家」「礫岩国家」論をまず吟味しつつ,これらの国家論が近代ネイション・ナショナリズム研究にいかなる変更を迫っているのかを明らかにする。それは同時に,近代史研究では等閑視されてきた二宮の国家論が国民史研究に何を要請しているかを問うことでもある。そのうえで,近現代のスロヴァキア国民形成とナショナル・アイデンティティを事例に,ネイション・ナショナリズム研究の方法論的課題を具体的に検証したい。また,論述の際には日本の戦後歴史学以降の方法論についても副次的に言及し,日本の史学史への位置づけについても考えてみたい。
1.ネイション・ナショナリズム研究と複合国家・複合王政・礫岩国家論
(1)前提―ゲルナーの近代論・構築主義
いうまでもなく,近代論は 1960 年代のケネディ,ロストウらを中心とする「近代化論」(Modernizing Theory)と区分される。その特徴は概して以下の三点に集約できる。①ネイションは近代において恣意的に捏造された人工物である(12)。②それゆえに,ネイションは客観性のない想像された共同体である(13)。③この観念の形成は近代化・資本主義化・産業化に起因する(14)。近代論はネイションへの帰属意識の可変性をも強調する。なによりも,その把握のもとでは,西欧や東欧,アジアやアフリカにおけるネイションもナショナリズムも,近代という同一性のなかに並列化されることになる。
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注を見るまでもなく、「①ネイションは近代において恣意的に捏造された人工物である」はエリック・ホブズボーム、「②それゆえに,ネイションは客観性のない想像された共同体である」はベネディクト・アンダーソンですね。
エリック・ホブズボーム(1917-2012)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%96%E3%82%BA%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%A0
ベネディクト・アンダーソン(1936-2015)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3
ゲルナーは省略して(2)に入ります。
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(2)複合国家論・複合王政論・礫岩国家論
より重視すべきは,ゲルナー,ホブズボーム,アンダーソンの一連の著書が出版された 1983 年の段階の日本において,すでに二宮の社会史研究が登場していたことである。日本の近代史研究者の間では,二宮の認識論的・方法論的土壌に,戦後歴史学の関心を部分的に共有していたゲルナー型の近代論が流入し,これらが相互に影響しあい構築主義の雰囲気が準備されはじめたことは注目に値する。一方のヨーロッパでも,アナール派と構築主義との間に類似の関係を読み取ることができる。しかし日欧間の大きな相違は二点ある。第一にアナール派以前のヨーロッパには日本的な戦後歴史学が存在しなかったこと,第二にゲルナー流の構築主義の成立とほぼ同時期に,ヨーロッパでは既述の複合国家論・複合王政論が整備されていたという事実である。つまりゲルナーの構築主義とエリオットらの複合国家・複合王政論は,近代国家,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などといった近代的諸価値への信仰が潰えた 1960 年代末のポストモダン的な情況に対する異なる二つの反応であった(16)。ゲルナーの反応は社会構成体の再編と再解釈とによるモダニズム的なネイション・ナショナリズム論からの反応であり,ケーニヒスバーガおよびエリオットの反応は主権国家・絶対王政論の再構成による近世国家論からの反応であった(同様にポーコックは共和主義論からの転回であった)。イギリスで先行した議論にやや遅れて「宗派化」「規律化」研究がドイツからはじまるが,これらも広くはケーニヒスバーガやエリオットらの延長線上にある議論として捉えることができるだろう。このように,日本における社会史の発展とは異なる多様な動きが同時期のヨーロッパにはみられたのである。
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「しかし日欧間の大きな相違は二点ある。第一にアナール派以前のヨーロッパには日本的な戦後歴史学が存在しなかったこと」はずいぶん奇妙な表現で、「日本的な戦後歴史学」みたいなものがヨーロッパに存在するはずがないですね。
さて、私自身は複合国家論・複合王政論について全然勉強していないので中澤氏の要約が正確なのかは評価できませんが、ただ、冒頭の「近代国家のみならず,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などに対する近代的諸価値への信仰が幻想へと変わり,完全に衰退した」という断定的表現の後、ここで再び登場した「近代国家,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などといった近代的諸価値への信仰が潰えた 1960 年代末のポストモダン的な情況」云々という表現はどうにも大袈裟で、こういう表現は私は好きではありません。
だいたい、「近代国家,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などといった近代的諸価値への信仰」が「完全に衰退」したり「潰えた」ならば、近代国家はその時点で崩壊している訳で、では、いったい私たちが生きているこの世界はいったい何なのか、という話になります。
まあ、別に中澤氏だけでなく、こうした広告代理店のプレゼン男みたいな言い方をする人はけっこう多くて、世渡り上手だなとは思いますが、一時的に派手な活躍をしても、後続の研究者に役立つ業績を残す人は少ないですね。
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