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尊氏奏状が十一月十八日到達では遅すぎるか?

2021-08-13 | 山家浩樹氏『足利尊氏と足利直義』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 8月13日(金)10時20分37秒

史料を素直に読めば尊氏奏状の到達は十一月十八日となるはずですが、しかし、当時の状況、特に足利側から新田義貞討伐を呼びかける大量の軍勢催促状が十一月二日付で出されていることを考えると、十八日ではあまりに遅すぎるような感じもします。
ただ、十一月二日付の軍勢催促状は全て、尊氏ではなく「左馬頭」直義が発していて、『大日本史料 第六編之二』で紹介されている七つの古文書のうち、例えば「結城古文書写<有造館本>」のものを見ると、

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可被誅伐新田右衛門佐義貞也、相催一族可馳参之状如件、
    建武二年十一月二日       左馬頭(花押)
     那須下野太郎殿
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といった具合です。
例の尊氏の出家騒ぎに見られるように、この時期、足利家内部では尊氏の「公武一統」継続路線と直義の武家政権樹立路線が対立しています。
従って、直義の軍勢催促状の発給時期から見て尊氏奏状の京都到達が十一月十八日では遅すぎるのではないか、という問題は、尊氏が足利家で孤立的立場に置かれていたことで一応の説明できるのではないかと思います。
また、歴史研究者は全く注目していませんが、この時期、歌壇では「建武二年内裏千首」という催しがあって、尊氏も、

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   建武二年内裏千首の折しも東に侍りけるに、題を賜はり
   てよみて奉りける歌に、氷
                    等持院贈左大臣
 流れ行く落葉ながらや氷るらむ風より後の冬のやま河
                   (新千載六二六)
   建武二年内裏千首歌の折しも東に侍りけるに、題を賜はり
   てよみて奉りける歌に、月を
                    等持院贈左大臣
 今ははや心にかかる雲もなし月を都の空と思へば
                    (同一七八三)
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という二首を寄せており、後醍醐と尊氏の関係を考える上で非常に面白い素材です。
佐藤進一氏の『南北朝の動乱』では、中先代の乱で尊氏が京都を離れた時点で後醍醐と尊氏の間に大きな衝突があり、その緊張状態がずっと続いて十一月の決裂に至る、というストーリーとなっており、これは峰岸純夫氏等の歴史学研究者の著作でも基本的に同じ構図です。
しかし、まさにこの微妙な時期に催された「建武二年内裏千首」をめぐる動きを見ると、なんだかずいぶんのんびりとした雰囲気も漂っています。

四月初めの中間整理(その17)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/820cb98acf5bb167764960c01329934b

石川泰水氏「歌人足利尊氏粗描」(その9)(その10)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7af777a4ef4af1a8f901a142d74daca6
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/70404a6c6ce74f0825a88c6a3bd3be77

井上宗雄氏『中世歌壇史の研究 南北朝期』(その10)~(その12)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1e5641a8f481ca68ea69e51099d3f706
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b94bd591114821266178563a1ae7d0f4
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0bf06ecacd790d39d7e14f7740533296

尊氏としては、単に政治的関係だけでなく、歌壇等の文化的交流で培った後醍醐との個人的信頼関係は維持されていると考えていて、周囲からはあまりに遅いと思われそうな時期になっても、自分の真意を後醍醐に丁寧に説明すれば何とか破局は避けられるのではないか、と期待した可能性は充分にあります。
そして、こう考えると尊氏奏状の到着が十一月十八日であっても決して遅くはないですね。
ただ、その場合、尊氏奏状の内容は『太平記』の作文とは全く異なるものであったはずです。
なお、『梅松論』には、この微妙な時期に「勅使中院蔵人頭中将具光朝臣」が登場しますが、その派遣時期は不明です。
『大日本史料 第六編之二』には関係記事が十月十五日条にありますが、これは考証と記述の仕方に相当問題がある雑な記事です。
私は中院具光の発遣は九月初めだろうと考えています。

『大日本史料』建武二年十月十五日条の問題点(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/922a40e05ad18c71fbe1ac76dde7f549
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/98f75d77eb2d51b956fd26d01a2d47a8
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