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『相顕抄』を読んでみた。(その1)

2020-11-27 | 征夷大将軍はいつ重くなったのか
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年11月27日(金)09時24分45秒

『相顕抄』なんて今まで聞いたこともなかったのですが、検索してみたところ、これは「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」で読めますね。

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00005900#?c=0&m=0&s=0&cv=0&r=0&xywh=-2472%2C-114%2C8014%2C2275

まず、書誌的事項を『国書総目録』で確認すると、第4巻p397に、

-------
相顕抄 しょうけんしょう 一冊
(類)補任
(写)京大(壬生家文書の内)(三部)・東大史料(尊経蔵本写)・彰考・尊経(山科言経写、相顕抄并中納言参議補任の内)・竜門(永禄一〇写)

https://kotenseki.nijl.ac.jp/page/kokusho.html

とあります。
そこで、「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」を覗いてみると、見開きで80コマなので、160ページほどの冊子ですね。
表紙をめくって最初のページ(2コマ)を見ると、「太政大臣」の後に「大友皇子・高市皇子・道鏡禅師・従一藤良房・従一同基経・従一同忠平・従一同実頼・正二同伊尹・従一同兼通」の9名の名前・肩書・就任時期等が並んでいます。
この後、ずっと歴代太上大臣の名前がズラズラと並んで、南北朝時代で終わるのかなと思ったら、更に続いて7コマ目まで、合計83人の太政大臣が列挙されていますが、その最後から二番目は「従一藤前久」(近衛前久)、一番最後は「従一豊臣秀吉」ですね。
なんじゃこれ、と思って次の8コマを見ると、「左大臣」の後に、「阿倍倉橋麻呂・巨勢徳大臣・蘇我赤兄臣・多治比嶋・石上朝臣麿・長屋王・藤原武智麿・橘諸兄」の8名の名前等が並んでいます。
そして、この後、歴代左大臣のリストが17コマまで続き、一番最後は、

同基煕 延宝五十二八任 元右大
    元禄三正十三関白詔

となっています。
これは近衛基煕で、この人が左大臣から関白となった元禄三年は西暦だと1690年ですね。

近衛基煕(1648~1722)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E5%9F%BA%E7%86%99

続く18コマは空白で、19コマを見ると、「右大臣」の後に「蘇我山田石川磨・大伴長徳連・蘇我連子臣・中臣金連・阿倍御主人・石上朝臣麿・藤原不比等・長屋王」の名前が並びます。
この後、歴代右大臣のリストが32コマまで続き、一番最後は、

同兼煕 天和三正十二 元内大

となっています。
これは鷹司兼煕で、この人が内大臣から右大臣になった天和三年は西暦だと1683年ですね。

鷹司兼煕(1660~1725)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B9%E5%8F%B8%E5%85%BC%E7%86%99

続く33コマは空白で、34コマを見ると、「内大臣」の後に「中臣鎌子連・藤原良継・同魚名・同高藤・同兼通・同道隆・同道兼」の7名の名前等が並びます。
この後、歴代内大臣のリストが49コマまで続き、最後は、

同家煕 貞享五二十六還任

です。
これは近衛家熙で、この人が内大臣還任となった貞享五年は西暦だと1688年ですね。

近衛家煕(1667~1736)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E5%AE%B6%E7%86%99

そして50コマが空白で、51コマから53コマまでは「准大臣」のリストであり、最後は、

同基福 貞享三五月 叙従一位
    十六日准大臣(読めず)
    宣下

ですね。
これは園基福(その・もとよし)という人だそうですが、聞いたこともありませんでした。

准大臣
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%86%E5%A4%A7%E8%87%A3
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