森野論文の第四節は無住作者説で終わっているのではなく、最後にどんでん返しがあります。(p112)
-------
では、無住で不都合はないか。残念ながら、そうそう都合よくばかりはいかないようである。彼は後宇多天皇の詔により、東福寺第二世におさまったほどの高僧である。慈光寺本は他の諸本と異なって、その冒頭を、仏説の三世劫から説きおこす。それはそれで一見好都合のようであるが、その内容は無住の学識のほどに比してどうも稚拙の度がすぎる感がある。また、一八一頁には梶原景時についての批判めいた記事が見えるが、このへんはどうなるかも頬被りしてすまされまい。無住を作者に擬する場合にも問題点が残るわけである。
-------
第四節はこれで終りです。
慈光寺本は、
-------
娑婆世界ニ衆生利益ノ為ニトテ、仏ハ世ニ出給〔いでたま〕フ事、総ジテ申サバ、無始無終〔むしむしゆう〕ニシテ、不可有際限〔さいげんあるべからず〕。別シテ申サバ、過去ニ千仏、現在ニ千仏、未来ニ千仏、三世〔さんぜ〕に三千仏出世〔しゆつせ〕有ベシト承ル。過去ノ劫〔こふ〕ヲバ荘厳劫〔しやうごんごふ〕、現在ヲバ賢劫〔けんごふ〕、未来ヲバ星宿劫〔しやうしゆくごふ〕ト名付〔なづく〕ベシ。三世共〔とも〕ニ二十ノ増減アルベシ。過去二十ノ増減ノ間ニ、千仏出給〔いでたまひ〕ヌ。現在二十増減ノ間ニモ、亦〔また〕千仏、未来モ亦復〔またまた〕爾也〔しかなり〕。然〔しかる〕ニ、釈尊ノ出世ヲ何〔いづれ〕ノ比〔ころ〕ゾト云ニ、現在賢劫ノ中ニ第九減劫ニ、初〔はじめ〕テ仏出玉〔いでたま〕フヲ、拘留孫仏〔くるそんぶつ〕ト奉名〔なづけたてまつる〕。此時ハ人寿四万歳ノ時也。拘那含牟尼仏〔くなごんむにぶつ〕出ハ人寿三万歳、迦葉仏〔かせいぶつ〕ハ人寿二万歳ノ時出給フ。此時ハ釈尊、補処〔ふしよ〕ノ位トシテ、都率〔とそつ〕ノ内院〔ないゐん〕ニ生ジテ、今日人寿百歳時出世シマシマシテ、十九出家、三十成道〔じやうだう〕給。八十入滅〔にふめつ〕ノ時至〔いたり〕テ、狗尸那〔くしな〕城ノ西北方、抜提河〔ばつだいが〕ノ西ノ岸ニシテ、利生〔りしやう〕ノ光、黄金〔わうごん〕ノ櫃〔ひつ〕キニ納〔をさまり〕給フ。二千余年ノ春秋ハ夢ノ如〔ごとく〕ニシテ過〔すぎ〕ヌレド、今教法〔きようぼう〕盛〔さかり〕ニシテ、世間モ出世モ、明〔あきらか〕ニ習学スル人ハ、過去・未来マデ皆悟ル。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5b6f6430ffecf3f663a099ae7e28cc47
と始まっていて、このように仏教臭い話で始まるのは慈光寺本だけの特徴です。
この部分を極めて重視されて深淵な、もしくは深淵そうな雰囲気が漂う議論を展開されているのが早稲田大学教授の大津雄一氏(1954生)ですが、森野氏は「その内容は無住の学識のほどに比してどうも稚拙の度がすぎる感がある」と評価されている訳で、果たしてどちらが正しいのか。
私自身の仏教知識は非常に低レベルなので何ともいえませんが、慈光寺本の場合、「国王ノ兵乱十二度」などと書きながら、実際には兵乱の事例が九つしかないなど、随所に「やっつけ仕事」感が漂っています。
従って、冒頭の仏教話も適当な資料の切り貼りで、素人相手の虚仮脅しではなかろうかと私は思っています。
大津雄一「慈光寺本『承久記』は嘆かない」には賛成できる点がひとつもない。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0f07a3c0aa92664d6fb1f0edd2cd08ec
もしも三浦光村が慈光寺本を読んだなら(その7)─「国王兵乱」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ceb221e963f9e49a0409bcecaf871ebf
(その8)─「国王ノ兵乱十二度」の謎
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9bbac31be3ad10781b7be02cd58f6e16
「武田の本音を見透かしたように甘言で誘う時房もまたしたたかである」(by 大津雄一氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/28b4e0e9fbdd8014e7cffa6f5bea75c2
さて、森野論文の続きです。(p113)
-------
おわりに
またもや歯切れが悪くなった。筆者としては、無住作者説に固執するつもりはない。ただ、無住のごとき条件を具えた僧もまた、作者像を模索するうえで有資格者のうちに含めて考え得るのではないか、このような粗い推理も、作者論をすすめるうえで、たたき台の一つほどの意味はあるのではなかろうかと、そう考えるのみである。慈光寺本にみられる武家に対する言語待遇の具体相についての考察から、おおけなくも作者論にまで踏みこんでしまった。言語待遇に即して考えることは重要な視点ではあるが、同時に一つの視点にすぎないことも、また、たしかである。慈光寺本の作者、成立事情等は、この視点のみで解明し尽されるはずもない。その意味では、国語学畑の筆者のいまだ目にしていない先学の論考が尠くはなく、ために粗漏も多いであろうことを恐れる。右等のことがすでに論じ尽されたところであるとすれば、ただ恥じ入るのみである。
最後に他の諸本について簡単に触れる。新撰日本古典文庫所収の元和四年古活字本および続群書類従所収の『承久兵乱記』によって、流布本、前田家本系の本文をうかがうとすれば、ともにそれぞれ武家に対する敬語適用範囲の裾野の拡がりを見せはするものの、あくまではみ出し程度の域を出ないものであり、上層クラス本位である。慈光寺本との径庭は大きい。益田宗氏は「承久記─回顧と展望─」(「国語と国文学」昭和三五・四)において、「慈光寺本をもって他の諸本と同一の書とみなし、かつそれらのもとになった祖本に先行するもの、原本の俤を多く伝えているとみる説」について疑問を投げかけているが、言語待遇に限っても、この径庭を埋めて同系であることを論証するのがそうたやすいことでないことだけは、たしかであろう。
-------
森野論文の本文、全24頁は以上です。
-------
では、無住で不都合はないか。残念ながら、そうそう都合よくばかりはいかないようである。彼は後宇多天皇の詔により、東福寺第二世におさまったほどの高僧である。慈光寺本は他の諸本と異なって、その冒頭を、仏説の三世劫から説きおこす。それはそれで一見好都合のようであるが、その内容は無住の学識のほどに比してどうも稚拙の度がすぎる感がある。また、一八一頁には梶原景時についての批判めいた記事が見えるが、このへんはどうなるかも頬被りしてすまされまい。無住を作者に擬する場合にも問題点が残るわけである。
-------
第四節はこれで終りです。
慈光寺本は、
-------
娑婆世界ニ衆生利益ノ為ニトテ、仏ハ世ニ出給〔いでたま〕フ事、総ジテ申サバ、無始無終〔むしむしゆう〕ニシテ、不可有際限〔さいげんあるべからず〕。別シテ申サバ、過去ニ千仏、現在ニ千仏、未来ニ千仏、三世〔さんぜ〕に三千仏出世〔しゆつせ〕有ベシト承ル。過去ノ劫〔こふ〕ヲバ荘厳劫〔しやうごんごふ〕、現在ヲバ賢劫〔けんごふ〕、未来ヲバ星宿劫〔しやうしゆくごふ〕ト名付〔なづく〕ベシ。三世共〔とも〕ニ二十ノ増減アルベシ。過去二十ノ増減ノ間ニ、千仏出給〔いでたまひ〕ヌ。現在二十増減ノ間ニモ、亦〔また〕千仏、未来モ亦復〔またまた〕爾也〔しかなり〕。然〔しかる〕ニ、釈尊ノ出世ヲ何〔いづれ〕ノ比〔ころ〕ゾト云ニ、現在賢劫ノ中ニ第九減劫ニ、初〔はじめ〕テ仏出玉〔いでたま〕フヲ、拘留孫仏〔くるそんぶつ〕ト奉名〔なづけたてまつる〕。此時ハ人寿四万歳ノ時也。拘那含牟尼仏〔くなごんむにぶつ〕出ハ人寿三万歳、迦葉仏〔かせいぶつ〕ハ人寿二万歳ノ時出給フ。此時ハ釈尊、補処〔ふしよ〕ノ位トシテ、都率〔とそつ〕ノ内院〔ないゐん〕ニ生ジテ、今日人寿百歳時出世シマシマシテ、十九出家、三十成道〔じやうだう〕給。八十入滅〔にふめつ〕ノ時至〔いたり〕テ、狗尸那〔くしな〕城ノ西北方、抜提河〔ばつだいが〕ノ西ノ岸ニシテ、利生〔りしやう〕ノ光、黄金〔わうごん〕ノ櫃〔ひつ〕キニ納〔をさまり〕給フ。二千余年ノ春秋ハ夢ノ如〔ごとく〕ニシテ過〔すぎ〕ヌレド、今教法〔きようぼう〕盛〔さかり〕ニシテ、世間モ出世モ、明〔あきらか〕ニ習学スル人ハ、過去・未来マデ皆悟ル。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5b6f6430ffecf3f663a099ae7e28cc47
と始まっていて、このように仏教臭い話で始まるのは慈光寺本だけの特徴です。
この部分を極めて重視されて深淵な、もしくは深淵そうな雰囲気が漂う議論を展開されているのが早稲田大学教授の大津雄一氏(1954生)ですが、森野氏は「その内容は無住の学識のほどに比してどうも稚拙の度がすぎる感がある」と評価されている訳で、果たしてどちらが正しいのか。
私自身の仏教知識は非常に低レベルなので何ともいえませんが、慈光寺本の場合、「国王ノ兵乱十二度」などと書きながら、実際には兵乱の事例が九つしかないなど、随所に「やっつけ仕事」感が漂っています。
従って、冒頭の仏教話も適当な資料の切り貼りで、素人相手の虚仮脅しではなかろうかと私は思っています。
大津雄一「慈光寺本『承久記』は嘆かない」には賛成できる点がひとつもない。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0f07a3c0aa92664d6fb1f0edd2cd08ec
もしも三浦光村が慈光寺本を読んだなら(その7)─「国王兵乱」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ceb221e963f9e49a0409bcecaf871ebf
(その8)─「国王ノ兵乱十二度」の謎
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9bbac31be3ad10781b7be02cd58f6e16
「武田の本音を見透かしたように甘言で誘う時房もまたしたたかである」(by 大津雄一氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/28b4e0e9fbdd8014e7cffa6f5bea75c2
さて、森野論文の続きです。(p113)
-------
おわりに
またもや歯切れが悪くなった。筆者としては、無住作者説に固執するつもりはない。ただ、無住のごとき条件を具えた僧もまた、作者像を模索するうえで有資格者のうちに含めて考え得るのではないか、このような粗い推理も、作者論をすすめるうえで、たたき台の一つほどの意味はあるのではなかろうかと、そう考えるのみである。慈光寺本にみられる武家に対する言語待遇の具体相についての考察から、おおけなくも作者論にまで踏みこんでしまった。言語待遇に即して考えることは重要な視点ではあるが、同時に一つの視点にすぎないことも、また、たしかである。慈光寺本の作者、成立事情等は、この視点のみで解明し尽されるはずもない。その意味では、国語学畑の筆者のいまだ目にしていない先学の論考が尠くはなく、ために粗漏も多いであろうことを恐れる。右等のことがすでに論じ尽されたところであるとすれば、ただ恥じ入るのみである。
最後に他の諸本について簡単に触れる。新撰日本古典文庫所収の元和四年古活字本および続群書類従所収の『承久兵乱記』によって、流布本、前田家本系の本文をうかがうとすれば、ともにそれぞれ武家に対する敬語適用範囲の裾野の拡がりを見せはするものの、あくまではみ出し程度の域を出ないものであり、上層クラス本位である。慈光寺本との径庭は大きい。益田宗氏は「承久記─回顧と展望─」(「国語と国文学」昭和三五・四)において、「慈光寺本をもって他の諸本と同一の書とみなし、かつそれらのもとになった祖本に先行するもの、原本の俤を多く伝えているとみる説」について疑問を投げかけているが、言語待遇に限っても、この径庭を埋めて同系であることを論証するのがそうたやすいことでないことだけは、たしかであろう。
-------
森野論文の本文、全24頁は以上です。