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もしも三浦光村が慈光寺本を読んだなら(その53)─「カゝリケル君ニカタラハレマイラセテ」

2023-05-11 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

続きです。(岩波新大系、p349以下)

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 翔〔かける〕・山田二郎重貞ハ、六月十四日ノ夜半計〔ばかり〕ニ、高陽院殿〔かやのゐんどの〕ヘ参テ、胤義申ケルハ、「君ハ、早〔はや〕、軍〔いくさ〕ニ負サセオハシマシヌ。門ヲ開カセマシマセ。御所ニ祗候シテ、敵待請〔まちうけ〕、手際軍〔てのきはのいくさ〕仕〔つかまつり〕テ、親〔まのあた〕リ君ノ御見参ニ入テ、討死ヲ仕ラン」トゾ奏シタル。院宣ニハ「男共御所ニ籠ラバ、鎌倉ノ武者共打囲〔うちかこみ〕テ、我ヲ攻〔せめ〕ン事ノ口惜〔くちをし〕ケレバ、只今ハトクトク何〔いづ〕クヘモ引退〔ひきしりぞ〕ケ」ト心弱〔こころよわく〕仰下サレケレバ、胤義是ヲ承テ、翔・重定等ニ向〔むかひ〕テ申ケルハ、「口惜〔くちをしく〕マシマシケル君ノ御心哉。カゝリケル君ニカタラハレマイラセテ、謀反ヲ起シケル胤義コソ哀〔あはれ〕ナレ。何〔いづく〕ヘカ退ベキ。コゝニテ自害仕ベケレドモ、兄ノ駿河守ガ淀路〔よどぢ〕ヨリ打テ上ルナルニ、カケ向テ、人手ニカゝランヨリハ、最後ノ対面シテ、思フ事ヲ一詞〔ひとことば〕云ハン。義村ガ手ニカゝリ、命ヲステン」トテ、三人同〔おなじく〕打具シテ、大宮ヲ下〔くだり〕ニ、東寺マデ打〔うち〕、彼寺ニ引籠〔ひきこもり〕テ敵ヲ待〔まつ〕ニ、新田四郎ゾカケ出タル。翔左衛門打向〔うちむかひ〕、「殿原、聞給ヘ。我ヲバ誰トカ御覧ズル。王城ヨリハ西、摂津国十四郡ガ中ニ、渡辺党ハ身ノキハ千騎ガ其中〔そのなか〕ニ、西面衆〔さいめんのしゆう〕愛王左衛門翔トハ、我事ナリ」ト名対面〔なだいめん〕シテ戦ケルガ、十余騎ハ討トラレテ、我勢モ皆落ニケレバ、翔ノ左衛門ニ大江山ヘゾ落ニケル。
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渡辺翔と山田「重貞」は、六月十四日の夜半に、高陽院殿に参り、三浦胤義は、「君は既に戦いに敗北されました。門を開けて下さいませ。御所に祗候して、敵を待ち受け、必死の戦闘を君の御見参に入れて、討死いたします」と奏上した。
すると、後鳥羽は「お前たちが御所に籠もると、鎌倉の武者どもが囲んで、朕を攻めることになって宜しくないので、今は早くどこにでも退いてくれ」と弱々しく仰せになった。
胤義はこれを承諾し、翔・「重定」に向って、「本当に口惜しい君の御心だ。こんな君に騙されて、謀反を起こしてしまった自分が哀れだ。どこへ退くべきか。ここで自害してもよいのだけれども、兄の「駿河守」(三浦義村)が淀から上洛するようだから、兄のところに行き、最後の対面をして、私の気持ちを一言だけでも言ってから、人手にかかるよりは兄の手にかかって命を捨てよう」と言った。
三人は一緒に大宮を経て東寺まで行き、東寺に引き籠って敵を待っていると、「新田四郎」が駆けて来た。
翔左衛門はこれに向い、「殿原、聞き給え。我を誰と御覧ずるか。王城よりは西、摂津の国十四郡の中に渡辺党は精鋭千騎を誇るが、その中でも西面衆として名高い愛王左衛門翔とは我のことだ」と名乗りをあげて戦ったが、十余騎は討ち取られ、味方もみな落ちて行くので、翔左衛門も大江山へ落ちて行った。

ということで、ここで再び渡辺翔が登場しますが、翔はまるで山田重忠・三浦胤義の同格の存在のようです。
そして、三浦胤義が御所に立て籠もって最後の戦いをしたいというと、後鳥羽は、それは困るからどこにでも退いてくれ、と言います。
ここで「院宣」という表現が出てきますが、さすがに文書を出している訳ではなく、単に口頭で言っているだけですね。
ついで三浦胤義は、同母兄の義村に最後の言葉をかけたいと思って東寺に向い、翔と山田重忠も同行します。
すると東寺に「新田四郎」が攻めてきて、翔は「新田四郎」に向って名乗りを上げますが、このセリフは先に「上瀬」で敵に述べたセリフとほとんど同じです。
ただ、こちらでは自分が「西面衆」であることが強調されていますね。

(その49)─「愛王左衛門翔トハ我事ナリ」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a05d022a8a0fcad9bd7aa4921b2de8b0

さて、この後、山田重忠と三浦胤義の最期が記されますが、戦後処理の問題と連続するので、いったん慈光寺本はここまでとし、流布本、そして『吾妻鏡』の記述を見て行くことにしたいと思います。

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