学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

流布本も読んでみる。(その79)─「勢多伽童だに被助置候はゞ、信綱髻切て、如何にも罷成候はん」

2023-07-30 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』
続きです。(『新訂承久記』、p141以下)

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 さて大蔵卿法印・勢多伽、一車に乗具して遣〔やり〕出せば、母跡〔あと〕に歩跣〔かちはだ〕しにて、泣ともなく倒る共なく慕ひ行を、法印、(御いたはしく思〔おぼ〕して)「車の後〔しり〕に乗給へ」と云へ共不乗、六波羅へ行著〔つい〕て、勢多伽を先に立て、「御室よりの御使候」と云入ぬ。武蔵守出合たり。法印、令旨〔りやうじ〕の趣を申聞せければ、熟々〔つくづく〕と打守りて、「誠に能児にて候けり。君の不便に思召るゝも御理に候。左候はば、暫預進〔まゐ〕らせ候はん。此由を被申候へ」と被申ければ、勢多伽が母、庭に臥転〔ふしまろ〕びて泣悲けるが、此御返事を聞起揚り、武蔵守を拝み、、「七代迄、冥加御座〔おはしまし〕候へ」とて喜び(けるも理とぞ見へし。)
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【私訳】 さて、大蔵卿法印と勢多伽が一つ車に一緒に乗って出発すると、勢多伽の母はその後を裸足のままで、泣くともなく倒れるともなく慕って行くので、法印はいたわしく思われて、「車の後ろにお乗りなさい」と言ったが乗らなかった。
六波羅に到着して、勢多伽を先に立て、「御室よりの御使でございます」と言って入った。
武蔵守(北条泰時)が出て来た。
法印が道助法親王の令旨の趣旨を申し聞かせると、武蔵守は勢多伽をじっと見つめて、「誠に良い稚児でございますね。御室が気の毒に思し召されるのももっともです。そうした事情ならば、暫くお預けいたしましょう。その旨を御室にお伝えください」と申したので、勢多伽の母は、庭に臥し転んで泣き悲しんでいたが、この御返事を聞いて起き上がり、武蔵守を拝んで、「七代まで冥加がございますように」と喜んだのももっともであった。

ということで、北条泰時讃美のパターンで終わりそうな雰囲気になりますが、ここで佐々木広綱の弟、勢多伽の叔父である佐々木信綱が登場します。

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(角〔かく〕て)車に乗て返る程に、叔父の佐々木四郎左衛門尉信綱参りたり。「広綱と兄弟中〔なか〕悪く候し事、年比〔としごろ〕被知召〔しろしめされ〕て候。勢多伽童だに被助置候はゞ、信綱髻〔もとどり〕切て、如何にも罷成〔まかりなり〕候はん」と申ければ、是〔これ〕は奉公他に異なる者也、彼は敵〔てき〕なれば力不及とて、樋口富小路より召返て、信綱に被預。軈〔やが〕て郎等金七郎請取〔うけとつ〕て、六条河原にて切んとす。勢多伽、御所より給ひつる朽葉の直垂著替て、車より下、敷皮に移り、西に向て手を合せ、念仏百返計申、父の為に回向〔ゑかう〕し、我後生を祈念し宛〔つつ〕、首を伸て被打けり。母、空き質〔むく〕ろに抱付、絶入々々呼〔をめ〕き叫有様、目もあてられず。上下涙を流さぬは無りけり。御室は、「空き形を成共〔なりとも〕、今一度見せよ」と被仰ける間、車にかき入て帰り参る。是を御覧ける御心の中、譬ん方も無りけり。
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【私訳】このようにして、勢多伽が車に乗って帰る頃に叔父の佐々木四郎左衛門尉信綱が参った。
信綱は、「私と広綱の兄弟仲が悪いことは、長年のことなので御存知のはずです。それにもかかわらず勢多伽をお助けになるなら、信綱は髻を切って出家いたします」と申したので、武蔵守は、信綱は幕府への奉公が他と異なる者であり、勢多伽は敵の子であるので仕方ない、と思って、勢多伽を樋口富小路から召し返して信綱に預けた。
そして直ぐに信綱の郎等の金七郎が請け取って、六条河原で切ろうとした。
勢多伽は御室から賜った朽葉の直垂に着替えて車から降り、敷皮に移り、西に向いて手を合せ、念仏を百遍ばかり唱えて、父のために廻向し、自分の後生を祈念しつつ、首を伸ばして斬られた。
母は勢多伽の亡骸に抱きつき、絶え入りそうになりながら泣き叫ぶ有様は目も当てられなかった。
身分の高い人も低い人も、涙を流さない者はいなかった。
御室は、「たとえ亡骸であろうとも、もう一度見せよ」と仰ったので、抱き抱えて車に乗せて帰った。
これを御覧になった御室の御心の中は譬えることもできない。
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勢多伽丸のエピソードはこれで終りです。
分量は『新訂承久記』で49行で、上下巻全体が1530行ですから、記事の割合は、

 49/1530≒0.032

であり、全体の約3%ですね。
慈光寺本では勢多伽丸エピソードの直前に藤原範茂の息子「侍従殿」のエピソードがあり、こちらは泰時が助命しているので、勢多伽丸の悲劇を際立たせるための引き立て役のような話です。

もしも三浦光村が慈光寺本を読んだなら(その71)─「冥加マシマサウ侍従殿ニテ、今ニマシマストコソ承ハレ」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/107d679fb3666cc7fbc7b22c94dfd5c2

岩波新日本古典文学大系では、

  侍従殿・勢多伽丸(共通)…2行
  侍従殿のみ…8行
  勢多伽丸…53行

となっていて、合計で63行となっており、慈光寺本では上下巻全体で1044行なので、

 63/1044≒0.06

と全体の約6%です。
勢多伽丸エピソードだけなら、侍従殿との共通部分2行と勢多伽丸単独の53行を足して、

 55/1044≒0.053

となり、全体の約5%ですね。
内容についての比較は次の投稿で行います。

もしも三浦光村が慈光寺本を読んだなら(その5)─数量的分析
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ef2c3462c18b57069e06b1d9bc07a00e
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