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来るべき革命は資本主義の「ひょうきん化」でなければならない。

2022-01-13 | 『鈴木ズッキーニ師かく語りき』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 1月13日(木)12時13分22秒

従来のコミュニストはコミュニズムの神が貧乏神であることを隠蔽していたのに対し、「脱成長コミュニズム」を提唱する斎藤幸平氏は、コミュニズムの神が貧乏神でどこが悪いのだ、我は貧乏神が導く方向に突き進むぞ、と「カミングアウト」した訳で、確かにその点ではコミュニズムのコペルニクス的転回ですね。
こうした雑な結論を導いた斎藤氏が左翼知識人としてはさほどの知的水準の人物ではないことは明らかですが、左翼活動家としてはどうなのか、私には判断する能力がありません。
Eテレ「100deパンデミック論」等のマスコミでの華やかな活躍を見ると、池上彰・佐藤優『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』(講談社現代新書、2021)に登場する人物と比較するならば、あるいは斎藤氏は連合赤軍の森恒夫(1944-73)や永田洋子(1945-2011)クラスの優れた活動家なのかもしれないですね。
ま、斎藤氏を誉めそやすマスコミ関係者は、斎藤氏が日本国民を「山岳ベース」に誘導しているのではないか、他人の墓穴を掘る手伝いをしていたら、いつか自分たちもそこに埋められるのではないか、と疑ってみていただきたいものです。
なお、『人新世の「資本論」』を、

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【各界が絶賛!】
■佐藤優氏(作家)
斎藤は、ピケティを超えた。これぞ、真の「21世紀の資本論」である。
■ヤマザキマリ氏(漫画家・文筆家)
経済力が振るう無慈悲な暴力に泣き寝入りをせず、未来を逞しく生きる知恵と力を養いたいのであれば、本書は間違いなく力強い支えとなる。
■白井聡氏(政治学者)
理論と実践の、この見事な結合に刮目せよ。
■坂本龍一氏(音楽家)
気候危機をとめ、生活を豊かにし、余暇を増やし、格差もなくなる、そんな社会が可能だとしたら?
■水野和夫氏(経済学者)
資本主義を終わらせれば、豊かな社会がやってくる。だが、資本主義を止めなければ、歴史が終わる。常識を破る、衝撃の名著だ。


と絶賛する人の中に『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』の共著者の一人である佐藤優氏がいるのは些か不審ですが、「斎藤は、ピケティを超えた」ことは客観的事実ですね。
斉藤氏自身が「第七章 脱成長コミュニズムが世界を救う」において、斎藤氏なりにピケティを評価した後、

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 ただし、ピケティは脱成長の立場を明示的には受け入れていない。また、「参加型社会主義」を謳っていても、その移行のプロセスは、租税という国家権力に依存するところが大きい。この点は問題だ。つまり、資本を課税によって抑え込もうとすればするほど、国家権力が増大していき、③「気候毛沢東主義」に代表される国家社会主義に横滑りしていく。マルクスの脱成長コミュニズムから、離れていってしまうのだ。
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と批判されており(p290)、斎藤氏が「脱成長の立場を明示的には受け入れていない」ピケティの立場を超えていることは明らかです。
しかし、ピケティを超えたからといって、その跳躍が素晴らしい未来をもたらす保証はない訳で、まあ、私は地獄への「加速主義」ではなかろうかと思います。
さて、実は私自身も四半世紀にわたって「革命」の可能性を探っているのですが、私は来るべき革命は資本主義の「ひょうきん化」でなければならないと考えています。
マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が資本主義の誕生の秘密を解明したかどうかについては意見が分かれるところですが、資本主義とプロテスタント的な生真面目さとの間には確かに親和性があります。
そして、資本主義の神に捧げられる生贄には、この生真面目さの犠牲者が非常に多いですね。
他方、資本主義の悪を糾弾し、資本主義を打倒すれば素晴らしい未来が到来するのだと主張してきた旧来型のコミュニストは、生真面目さという点では、むしろ資本主義の讃美者を超える存在です。
そして「脱成長コミュニズム」を提唱してコミュニズムにコペルニクス的転回をもたらした斎藤氏は、生真面目さという点では旧来型のコミュニストを更に超えた存在で、生真面目の「加速主義」ですね。
生真面目さという点では、資本主義と旧来型コミュニズム、そして斎藤氏の唱える「脱成長コミュニズム」は連続しており、息苦しさは「加速」される一方です。
斉藤氏が主導する勢力が権力を握った場合、世界はプロテスタント的なお説教に満たされ、その精神的重圧は大変なものでしょうね。
果たしてそんなものが「革命」の名に値するのか。
むしろ逆に、来るべき真の革命は資本主義の「ひょうきん化」でなければならない、というのが長年にわたる私の資本主義研究の結論です。
そして、資本主義の「ひょうきん化」を具体的にどのように実現するか、が次の問題です。

>筆綾丸さん
>かりに、日本でこんなことをしようとしたら、憲法の13条と18条あたりが問題になり、

カナダの事情は知りませんが、日本も1948年の予防接種法制定時にはワクチン接種は罰則付きの義務とされており、これが1976年に罰則なしの義務、そして1994年に努力義務になっています。
ご紹介のカナダの例だと、罰則の代わりに課税ということで、ある意味では罰則より緩やかな義務付けの手法ともいえそうですね。
昔は社会防衛の観点が優先され、罰則について憲法13条の幸福追求権とか18条の奴隷的拘束の禁止との関係が議論されることはなかったのでしょうが、現在は確かに事情は違いますね。
ただ、今回のコロナ騒動を踏まえると、日本での努力義務化は羹に懲りて膾を吹いたような感じもします。
新型コロナ以上の感染力があるウイルスが登場するようなケースを考えると、特定の伝染病については罰則付きの義務化の復活も検討する必要があるかもしれないですね。
もちろん、その場合には正当な理由がある場合の拒否権は当然ですし、健康被害の救済措置の充実も前提となりますが。

斎藤幸平氏とコロナ禍(その6)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

原因において自由な行為? 2022/01/12(水) 19:36:24
小太郎さん
カナダ連邦ケベック州首相は、以下のような見解を表明したそうです(仏フィガロによる)。
同州の集中治療患者の半数はワクチン未接種者(人口の10%)で、医療に負担を強いているので(90%の未接種者に迷惑をかけているので)、健康寄与税という名目により、未接種者に応分の課税をすることにした、と。
まるで刑法の「原因において自由な行為」のような感じですが、日本ではちょっと考えられない状況です。かりに、日本でこんなことをしようとしたら、憲法の13条と18条あたりが問題になり、侃々諤々、喧々囂々の騒ぎになりますね。

追記
https://confidenceman-movie.com/romance
フジテレビの放送で見たのですが、長澤まさみに、是非、姫の前を演じてもらいたいですね。
共演者の美男美女(三浦春馬と竹内結子)が、この映画のあと、立て続けに自殺したというのはミステリアスです。
コメント
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