投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 1月21日(金)13時50分40秒
>筆綾丸さん
>「頼盛ー頼政ー頼朝の提携」と時政の再婚を絡めた話は、挙兵の結果を知っている後世の人間が時間を遡及させて組み立てたもので、
全くその通りですね。
18日の投稿で引用したように、呉座氏は、
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杉橋氏は、保元三年(一一五八)に時政二十一歳、牧の方十五歳の時に結婚したと推定した。五位の位階を持つ貴族の家である牧氏出身の牧の方と結婚できたとすると、時政も相応の身分の武士ということになる。
しかし杉橋氏のシミュレーションに従うと、牧の方は四十六歳の時に政範(義時の異母弟)を出産したことになり、非現実的であるとの批判を受けた。本郷和人氏は、二人の結婚は、治承四年(一一八〇)以降、すなわち頼朝挙兵後と想定した。
最近、山本みなみ氏は、二人の結婚時期を引き上げ、頼朝挙兵以前とした。けれども、山本氏の場合も、頼朝と政子が結婚した治承元年以後を想定している。だとすると、時政が牧の方と結婚できたのは、もともとの身分が高かったからとは必ずしも言えない。むしろ、時政が頼朝の舅になったことが大きく作用したのではないだろうか。
と書かれていたので、私は山本みなみ氏の推定が相当確実なのだろうと判断し、そうであれば「頼盛ー頼政ー頼朝の提携」も考慮すべきなのかな、と思ってしまいました。
しかし、「杉橋氏のシミュレーション」を修正した山本氏の「一次方程式」と杉橋説では、いくら野口実氏の太鼓判がついていようと、少なくとも時政・牧の方の結婚時期については全く説得力がありません。
牧の方の結婚時の年齢についても、私は「平頼盛に仕える牧宗親の娘と北条時政との身分不釣り合いな結婚」で、かつ親子ほどに年齢が離れた究極の年の差婚であることを考えると、牧の方も再婚のような感じがするのですが、研究者が誰もその可能性に言及しないのは不思議です。
いずれにせよ、結婚というのは好き嫌いという感情を含め、偶然の事情が大きく左右するので、例えば牧の方が、最初は身分と年齢の釣り合いがとれた貴族社会の男性と結婚したものの、相手が死ぬか「性格の不一致」で離婚して、実家に戻っていたところ、それを心配した父親が、まあ、身分不釣り合いの年の差婚でも仕方ないか、ということで、政治情勢とは全く関係なく、結婚を認めた、という可能性もありそうです。
また、牧の方は時政失脚後も離婚などせず、伊豆北条で落魄の時政の世話を続けていたようですから、時政への愛情は深かったように思われますが、そうであれば、時政・牧の方の間に頼朝と政子のようなラブロマンスが絶対になかったとも言い切れません。
「牧の方」という名前もなかなかワイルドなので、あるいは彼女は乗馬が大好きの活動的な女性であり、遠乗りに出かけたところ道に迷い、たまたま出会った時政が親切に道案内してくれたので、もともと貴族社会の軟弱男など好きでなかった牧の方は時政のワイルドな魅力に惹かれ、父親が身分違いだの年の差がありすぎるなどと反対したにもかかわらず、駆け落ち同然に時政邸に赴いた可能性だって絶対にないとは言い切れないはずです。
とか書きながら、まあ、それは多分なかったと思いますが、とにかく結婚というのは様々な偶然が関るので、特定の政治状況から、直ちにその時期を確定するなどというのはおよそ無理ですね。
そして当時の政治状況にしても、山木邸襲撃はともかく、石橋山合戦は、よくまあここまで無謀な戦いに生き残れたものだ、と感心するような悲惨な戦闘です。
頼朝の挙兵は乾坤一擲の大博奕で、普通だったらあっさり敗北して時政も野垂れ死だったはずが、奇跡的に何とか生き残った訳ですからね。
その後、東京湾を一周廻っている間に頼朝の勢力は急速に膨張しますが、その結果を遡らせて、まるで頼朝が勝つのが当然だった、頼盛も頼政も、牧の方の父親も、みんなそれを予知していた、みたいな書き方は、「むろん頼朝と連携して清盛に反逆するなどという大それた考えはなかっただろうが、何らかの政治的カードになり得るとの期待があったのではないか」とトーンダウンさせても、やはり無理が多く、呉座氏が嫌う「結果論的解釈」そのものではなかろうかと思います。
呉座勇一氏「源頼朝は朝廷からの独立を目指したか?」
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
三頼説? 2022/01/21(金) 10:48:30
小太郎さん
「頼盛ー頼政ー頼朝の提携」と時政の再婚を絡めた話は、挙兵の結果を知っている後世の人間が時間を遡及させて組み立てたもので、まるで、頼朝は成功すべくして成功したのだ、と言っているように素人には思われます。伊豆の流人の存在感が眩しすぎてクラクラします。
小太郎さん
「頼盛ー頼政ー頼朝の提携」と時政の再婚を絡めた話は、挙兵の結果を知っている後世の人間が時間を遡及させて組み立てたもので、まるで、頼朝は成功すべくして成功したのだ、と言っているように素人には思われます。伊豆の流人の存在感が眩しすぎてクラクラします。