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資本主義は「プラクティス」としての「宗教」か。

2022-01-07 | 『鈴木ズッキーニ師かく語りき』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 1月 7日(金)21時16分43秒

資本主義に「殉教者」はいるのか、とか大仰なことを書きましたが、コミュニズムと違って資本主義は基本的に体制側の理念・思想なので、「殉教者」が必要になる状況自体が考えにくいですね。
ま、ロシア革命やキューバ革命などは「殉教者」が登場してもおかしくない事態でしたが、革命的争乱の中で、自分個人の財産権を守るために命を捧げた人は多くとも、資本主義という理念・思想を守るために命を懸けた人はあまりいなさそうです。
もう少し広く、「自由」を守るために命を懸ける、となるとそれなりに格調が高く、「殉教者」も多少はいそうですが、資本主義≒経済的自由に限定してしまうと、いささか格調が低くなり、「殉教者」は生まれにくいですね。
従って、「殉教者」がいないから資本主義は「宗教」ではないのだ、という結論になりそうですが、しかし、そもそも前提として「宗教」をどう定義するか、という問題があります。
先にコミュニズムについて検討した際に、「コミュニズムは貧乏神を信仰する新興宗教、というのが私のかねてからの持論」などと書きましたが、こうした悪意のある冗談ではなく、真面目にコミュニズムは「疑似宗教」だ、みたいなことを言う人はけっこう多いと思います。
これは国際日本文化研究センター教授の磯前順一氏風に言うと、コミュニズムが「ビリーフ」っぽいからですね。
磯前氏の『近代日本の宗教言説とその系譜─宗教・国家・神道』はなかなか難解なので、石川明人氏の『キリスト教と日本人』(ちくま新書、2019)から、そのエッセンスを紹介すると、

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 磯前順一は『近代日本の宗教言説とその系譜─宗教・国家・神道』のなかで、日本語で「宗教」に統一される前の religion の訳語には、「プラクティス」(非言語的な慣習行為)を中心としたものと、「ビリーフ」(概念化された信念体系)を中心とするものとの二つの系統が存在していたと述べている。前者には「宗旨」「宗門」など、後者には「教法」「聖道」「宗教」などが例としてあげられている。
 そして彼によれば、一九世紀後半に religion の概念をもたらしたと同時に日本へのキリスト教宣教の主流となったプロテスタントは、儀礼的要素を廃するビリーフ中心のものであり、プラクティスを中心とした近世日本的な「宗旨」の概念とは嚙み合わなかったため、religion の訳語としてはビリーフ系統の「宗教」が選ばれることになったのではないか、という(三六~三七頁)。
 一九世紀後半は、「宗教」という日本語も、「キリスト教」という日本語も、ともにまだ出来たばかりのものであった。それらがいったい何なのか、どう理解すべきかについては、当事者たちのあいだでさえしばらくは不安定なものだったのである。
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といった具合です。(p217以下)
この磯前理論を前提とすると、「殉教者」のいない資本主義は「ビリーフ」(概念化された信念体系)的な宗教ではないとしても、「プラクティス」(非言語的な慣習行為)的な宗教の可能性は残ります。
またまた悪意のある、しかも更に出来の悪い冗談を言い始めたな、と思われる方がいるかもしれませんが、苛烈な競争を伴う資本主義が利潤追求のために膨大な数の死者を生み出してきたことを考えると、これらの死者は資本主義の神に捧げた「生贄」ではなかろうか、という見方も、まんざら冗談でもない響きを帯びてくると思います。
営利企業のあくなき利潤追求の過程で生じた労働災害による死者、競争社会の精神的重圧に追い詰められた自殺者、更に斎藤幸平氏が問題にするような環境破壊による死者等々、資本主義はその成立期から現在に至るまで、膨大な数の労働者・市民に死を要求してきたことは紛れもない事実です。

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磯前順一『近代日本の宗教言説とその系譜─宗教・国家・神道』(岩波書店、2003)

日本において,「宗教」概念はどのように誕生したのか.「宗教」という視座によって,従来の心性構造はいかに変貌し,いかなる言説の空間が開かれたのか.「宗教」概念が導入された幕末,「政教分離」の成立した明治20年代,そして「宗教学」が構築された明治30年代に焦点をあて,近代日本における「宗教」の命運をたどる.


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石川明人『キリスト教と日本人─宣教史から信仰の本質を問う』(ちくま新書、2019)

日本人の九九%はキリスト教を信じていない。世界最大の宗教は、なぜ日本では広まらなかったのか。宣教師たちは慈善事業や教育の一方、貿易、軍事にも関与し、仏教弾圧も指導した。禁教期を経て明治時代には日本の近代化にも貢献したが、結局その「信仰」が定着することはなかった。宗教を「信じる」とはどういうことか?そもそも「宗教」とは何か?宣教師たちの言動や、日本人のキリスト教に対する複雑な眼差しを糸口に、宗教についての固定観念を問い直す。


>筆綾丸さん
『英雄たちの選択』は磯田道史氏が苦手なので見ていませんが、「北条義時・チーム鎌倉の逆襲」は井上章一氏が出たのですか。
正直、専門的知識のない井上氏が何のために出てくるのか、よく分らないですね。
国際日本文化研究センター教授の磯田道史氏による井上所長への忖度、おべんちゃらでしょうか。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

受信料 2022/01/07(金) 13:01:51
https://www.nhk.jp/p/heroes/ts/2QVXZQV7NM/episode/te/Q69QJ41RGW/
間違って、この番組を見てしまいました。
坂井孝一氏は平凡なことしか言わず、井上章一氏は食えない人で、中野信子氏は脳科学者(?)らしくトンチンカンなおしゃべりをしてました。受信料の無駄遣いとしか思えない内容でした。
コメント
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