今日から第8章<心をのびやかにする方法:14の防衛機制の解説>に入ります。日常の話題に触れながら専門的に大学等で心理療法の理論を学んでいなくても理解できるように努力していきますのでこのブログで楽しみながら勉強して下さい。さて人類がアフリカで誕生し或程度の言語を身につけコミュニケーションが出来るようになり、何回かの脱出を試み失敗しますが、遂にアフリカ脱出に成功します..が、その地にはすでにネアンデルタールという原人があちこちに生きていました。学説によると、どうも互いに食べあった形跡がDNA解析から判明してきましたが、ここでは当時からホモ・サピエンス・サピエンス(現生人類の場合、サピエンスを二回繰り返します)はどうも自由意思を明確に与えられていたらしいのです。この自由意思を持つ動物である現生人は自由意思ゆえの心の苦闘の歴史を持つはめになります。動物はある程度の自由意思をもつようですが、人間はこの自由意思をもてあます歴史を展開していきます。これから人間を幸福にしたり不幸にしていく、この自由意思をめぐり勉強していきます。
以前、私は主治医から時々生き甲斐の心理学についての講演を頼まれました。しかし講演の内容よりも私の太極拳を信頼しているようです。大学の講義のような話は彼にはつまらないようです。生き甲斐の心理学の講義内容と太極拳の演舞が深いつながりにあるのを主治医は見抜いていて太極拳を患者さんに演舞させた時の体感と知覚から説く私の講演を大事にしているようです。上手下手に関係なく、患者さんが実際に血圧が下がったり、ぐずぐず悩みを言わなくなるその原因が太極拳なので信頼してくださるのでしょう。静かに動き、かつ心の奥深いところで、その24の種類の動作を意識し知覚し、そして健康の汗を流し、心身ともに爽やかになる太極拳は私の生き甲斐ですし演舞した後のビール仲間でもある太極拳の友達に感謝しています。
人が悩みだす前提として<不安感>があります。その不安感はスピリチュアルな領域(魂の領域)からくるもの、生育史上の考え方(心)から来るもの、身体からくるものの3つがあります。この不安感が何か、具体的に理解すると人間はその解決に向けて動き出します。原因が把握できれば手のうちようがあります。難しく言えば、意識化し知覚できた、ということです。太極拳が何故自律神経に良いかといえば、24の動作を意識し知覚する作業を武道として行っています。集中して何かを意識し知覚すると人間の心は明晰になるように創られています。不安感の原因がわかると人は平安感に移行します。一つの不安感が解決するとほかの不安感も何となくどうでもよくなるのが人間の心の仕組みです。太極拳でさっぱりすると他の不安もどうでもよくなります。いかに小さな不安に人間が支配されているかが、よくわかります。まして太極拳の演舞の後に飲む仲間とのビールは益々精神衛生をよくしてくれます。
人は何かに夢中になり、集中して楽しむと心身ともに爽やかになるように創造されているようです。太極拳もその一つで太極拳での24の技の動作を意識すると、それと同じように心身が爽やかになり意欲、やる気がじわじわと湧き出してきます。手の動き、指先の動き、足、その裏、大地と触れている部分、先に進む時はその進む方向、後ろに下がるときも、さがる方向を意識する。一番楽しいのが、手とその指先を相手の正中線(身体の中心線)に向けて気を入れて打ち込む時、ずれていれば気分が悪くなり、的をえてうちこめる時は爽快です。24の技の動きを意識している時は太極拳の動き以外は何も考えていません。この精神作動が自律神経を健全にしていくようです。一人で演舞するよりも大勢の仲間と演舞すると何故か人々の明るいエネルギーが私の心身に注ぎ込まれ、大きな精気が貰えるようです。
太極拳をしている仲間は持病がどんどん治癒していきます。以前私が関与した大学病院でも入院患者が回復していく姿を垣間見ました。その理由を現代医学でも解明しつつありますが、自律神経によさそうだ、と言われだしています。入院患者が上手下手で争うとその効果は激減しますが、自然体でのんびりと明るく演舞していると身体症状が解消し爆睡する人も出てきます。太極拳は一人でもできますし気の合う仲間が出来ればさらにうまくなります。24式中心ですが、その24の型を暗記してしまうとその健康上の効果はさらに高まります。24の型を覚えるのに約1年はかかるでしょうが、その型を覚え一人で森や浜辺で演舞出来るよう修行し、それを生き甲斐にすると益々悟り、気付きが増えて楽しくなります。太極拳を演舞したあとの心身の爽やかさを五感と体感で感じると、もうやみつきになります。
今はやめていますが、数年前の話です。歩いて10分くらいのところにあるスポーツクラブは色々の教室を展開していますが、その中の一つに楊式の一流派・練功十八法を中心の太極拳カリキュラムがあります。数十年前に今は亡き楊名時先生から教えていただいた流派ではありませんが、そこに集う人々は色々の人生を生き抜いてきた男女です。そのうちの男性数名は互いに尊敬し友情が育まれていました。数名はすでに天国。さて、当時、太極拳を心から愛し習得に熱意を燃やしていました。練習の後の会合がまた楽しく、孫と病気の話はタブーなので古代日本史、政治、経済、文化と色々前向きに話で盛り上がります。世界各地を飛び回った男性諸氏も多く、しかし、今は近所の仲間として謡曲中心の会合に変化しましたが、新型コロナの影響を受けて会合はしばらくお休みや。寂しくてたまりません。晩年の生き甲斐について思索してみます。
日常生活がどんなに忙しくても困難の連続でも、人の心はそれに慣れていくように出来ています。これは大脳の習性というか本能というか人を元気に生き抜かせる体の仕組み、体の知恵の一つです。人は考えた通りの人間になる、と古代から言われていますが、そんな中で人を豊かにしてくれる知恵の一つが恩人を思い出す作業です。心の病になる大きな原因の一つに感謝の欠落があります。自分は何の為に生きていくのか、というアイデンティティーを統合していく際に自分を育ててくれた人への感謝、食べさせてくれた人への感謝心がないと心が貧しくなり心が病む傾向があります。それを防ぐ対策の一つに恩人を想う作業があります。これを体系的にしたのが<内観>なのですが、内観の指導、世話にあたる人はきちんと勉強した愛の人、本物の親切な人でないと、かえって参加者を混乱させ心に支障を与えてしまいます。わざわざ内観に参加しなくても、日常生活で恩人を想う習慣をつけると人の心は自然と明るく元気になるように創られています。
辛い話ですが、相手が困っていてもお金の保証人になつたりお金を貸したりすると人間関係は必ず破たんするようです。一見冷酷なように思う人がいるかもしれませんが、お金を貸したりしたら最後、その人間関係は完全に駄目になります。間違いありません。事業で銀行からお金を借りるのは別な話ですが、個人生活上、人からお金を借りねばならぬ人生を歩むこと自体に大きな問題が潜在しています。人は一人で生まれ、そして一人で死んでいきますので、どうしても最低限一人で食べていく知恵と努力を子供の頃から逞しく養成する必要があります。生き抜く知恵、これだけは子供の頃から教育する必要があります。人の身体は神の神殿と言われていますが天はドロボーなどしなくても食べていける機会を人に必ず与えています。その知恵に気づかないだけです。
人は誰でも思い通りに生きていきたいものですが、そうかといって、こうあってほしい、このような理想でいて欲しいと相手に無意識に要求する親、知人、友達、夫婦、恋人が多いのは驚きです。身近に沢山います。相手の気持ちも考えずに、勝手に期待し要求してくる人が多すぎます。相手の気持ち、都合も考えずに、真綿で首をしめるように、じわーっとからみついてきます。この種の人はほぼ間違いなく理想と現実の混濁した人、ひょつとすると自分と他者すら混濁しているかもしれません。理想と現実、自他混合のタイプの人と付き合うと混乱していくのが常です。これらの言葉は私自身の反省から生まれたものですが、人類共通の反省にしたい言葉でもあります。これらの反省からお互いに益々幸せになりたいです。
入院患者さんの共通の表情は能面のような無表情な感じですが、これには大きな理由があります。良いとか悪いとかいう問題ではなく、何らかの事情で自分の感情が分からないのです。無意識の領域での憎悪とか無視とか閉じこもりとか現状は色々です。さて理性も重要ですが、倫理道徳をあまり意識しないで、今、自分は何を感じているかを時々正直に意識しないと心が病む傾向になりがちです。五感と体感を正直に意識化し、言語化する訓練はセラピストの生涯の課題です。今、感じている事を正確に意識化するのは健康の秘訣です。宗教家、裁判官、警察、教師、医者、道徳家、とても大切な職業ですが、理性を大切にする職業だけに平素、セルフコントロールに苦労されています。それだけにこの五感と体感を正直に意識する修行も重要です。