五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自分の個性は?「愛の孤独感8」

2010年02月13日 | 第2章 五感と体感
できれば「愛の孤独感1~7」を読んでいただきながら今日から書く「8」以降をう読んでくださると分かりやすいかもしれません。

さて、今日は「自分の個性」について自問自答したいと思います。

自分の個性をどう思っていますか?どう解釈していますか?

私自身のことを言えば、個性の強さと、たびたび起こる自己評価の低さが自分のバランスを崩し、落ち込むことがよくありました。最近は、身の丈が分かってきたので、昔ほど感情の起伏が大きくありません。自分が「やりたいこと」と「できること」の分別がつけられるようになったと解釈しています。
 
思春期の頃は、できもしないくせして、自己を過大評価し、その上努力もせずに、やりたいことだけをやっていたように記憶しています。その頃の勘違いが、大人になってからの自己評価の低さにつながっていく、というのが私の事例です。

「好きなことを選択しつつ、出来る範囲で自分の個性を磨いていたい」
自分の傾向は、思春期の頃とさして変わりませんが、経験による現実吟味力は、身についてきたようです。

テキストをお持ちの方は、9ページと136ページを参照してください

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不安感にとどまる「愛の孤独感7」

2010年02月12日 | 第1章 意識と知覚
昨日のブログであなたは不安感にとどまることができますか?
という問いかけをしました。

私たちは日常、いろいろな感情を体験しながら生活しています。それらを意識し出したらきりがありません。「チベット仏教の死者の書」や「ギリシャ神話」に触れると、自分が意識していない人間の持つ感情の豊富さに驚きます。

自分に湧き出す「不安感」を自分はどのように扱っているのか…?

人の本質は「不安」です。「不安感」を「平安感」に導くためにはどうすればよいのでしょうか?

「不安感」を放っておくと、「怒り」が湧き出し、そのうち「身体症状」→「鬱」→「錯乱」と移行していきます。これは「ストレス曲線」と言います。

その対極にあるのが「幸福曲線」です。
幸福曲線とは「平安感」「友好的感情」「健康感」「幸福感」「統御感」です。

理想と現実のギャップで顕わになった自分の不安な感情を5つに分けてみると、自分が陥っている不安は、いったいどのあたりに当てはまるのでしょう?

不安にとどまることができると、こんな自己分析ができます。

不安にとどまる自分を防衛機制(フロイトの14の防衛機制2009年9月ブログ掲載)によって、どのように扱っていくかも自分次第です。
あるいは、不安にとどまれず、無意識または意識的に防衛機制を使うことで、他人を傷つけているかもしれません。または、傷つけられているかもしれません。

成育史は宝物です。自分の体感や経験は、自分にしかわからないものです。そして自分の成育史が自分の不安感を解決していくヒントをもたらしてくれるはずです。自分の「体と心」の内は、自分が思う以上に広いものです。心と体は宇宙そのものかもしれません。

一週間かけて、前置きを書きました。
明日から、「愛の孤独感について」もう一歩踏み込んで書いていきます。

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理想と現実の狭間で「愛の孤独感6」

2010年02月11日 | 第2章 五感と体感
昨日のブログで「理想と現実のギャップは?」と問いかけました。

理想とは「○○すべきである」「××したい」「こうあるべきだ」「☆☆になりたい…」
現実とは理想に対して湧きあがる「いまここでの感情」、「現実におかれている状況、状態」

理想と現実のギャップが広ければ広いほど、心は苦しく深く思い悩んでいきます。

でも、人はそのギャップを埋めるべく何らかの対策を練ります。
意識している場合もあれば、無意識の場合もあります。

その方法の一つである防衛機制「2009年9月17日~30日に14の防衛機制を連載」は、自分の不安感を克服するためいろいろな方法を駆使します。

・人に自分の欠点を指摘されたときどんな感情が湧くでしょうか?
・自分が仕事で失敗したときにどんな感情が湧くでしょうか?
・3回立て続けに別の人にふられたときにどんな感情が湧くでしょうか?
・子供が自分の思い通りにならないときにどんな感情がわくでしょうか?

自分に湧きだす感情について、いろいろな解釈ができる人は、今の人生を楽しんでいる人かもしれません。
でも、いつも、同じ感情になり、そうなる理由もいつも行きつくところが同じ場合、自分の成育史から思い起こす「愛の原型」を今一度検証する必要がありそうです。

どんなときに、どんな感情が湧いてくるか。。。理想と現実の狭間から、自分を見据えると何が見えてくるでしょう・・・・?

そして、理想と現実のギャップから生まれる不安感にとどまれないとしたら、なぜ、とどまれないのでしょう?

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人と関わる「愛の孤独感5」

2010年02月10日 | 第2章 五感と体感
昨日は「幸福感」と「愛の原型」について語りました。

幼いころ、親に愛された思い出。それはどんなものなんでしょう?
そして、大人になった今、自分はどんなふうに人と関わり、子供を育て、家族とどんな関わり方をしているのだろう・・・

人によって「愛の原型」は違います。可愛がってもらった思い出、叱られた思い出、いろいろあり、経験した感情や体感も人ぞれぞれです。

たとえば、暴力を受けながら育てられたり、お母さんが食事を作らなかったり、お父さんがアルコール依存症だったり、、、成育史の中で悲しい思いが、強く印象付けられている人も少なくありません。

辛い過去を克服しながら懸命に今を生きている人もたくさんいらっしゃいます。

そうなんです。自分だけではないのです。

すべての人が暖かい家庭で柔らかく育てられたわけではありません。
そして、そんな家庭で育てられたとしても、何かが違うと感じている人も多くいらっしゃるはずです。

どんな生活が満足で、どんな人間関係が理想なんでしょう?

理想と現実のギャップを埋めるために自分が起こしている行動はなんでしょう?
満たされない思いを満たすために、どんな行動、言動で表現しているのでしょう?

それらは、自分の人との関わり方を自分自身を観察することで、傾向がみえてきます。

他人のことはほんとうにわかりません。
自己実現というのは、自分のためにある言葉です。
自己開示も同じく、自分のためのものです。

「自分は何のために生きているのか?
自分の生きがいとは何?
そして、自分の体と心と魂を大事にしているか?」

この問いを自問自答することで、自分自身との関わり方と人との関わり方が見えてくるかもしれません。

あなたの理想と現実、、、そして、そこから生まれるギャップは?

「愛の孤独感シリーズ、もう少し連載します。テキストお持ちの方は第1章を参考にしてください。」

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幸福とは「愛の孤独感4」

2010年02月09日 | 第2章 五感と体感
あなたは幸福感、意識していますか?

・親しい人と興味のある話題を心おきなく語りあっている時。
・夕食を家族皆でいただく時間。
・湯船につかり、今日一日を振り返る時。
・能の仕舞いと謡いの稽古の時間。
・暖かいお布団にもぐりこみ、眠る時。
・教会や寺で手を合わせ、瞑目している時間。

これらは私の幸福感を言語化したものです。

では、あなたの幸福の条件は?

・仕事の成功。
・子供の教育。
・自分の趣味や嗜好が望み通りに出来ること。

あなたの愛の原型は?

・幼い頃、よく籠った押し入れの中に居る自分の姿。
・いつも母が家に居て自分の帰りを待っていること。(3歳から6,7歳までの情景が浮かびます。)
・通っていた幼稚園のお寺で観音開きの瞬間に感じる包まれる温かい体感。
・東大寺の大仏の光明

こうやって自問自答してみると、幸福の条件が満たされたときの幸福感と、愛の原型が満たされている時の幸福感、二種類を意識化することができます。

私の思考と感情は、「愛の原型」から生まれる「幸福の条件」が満たされた時に「幸福感」の体感を味わっていることが多いようです。

幼いころから、寺や神社、教会、水辺に引きよされることが多く、それらの場所で自分の体感に限りない至福感を感じていました。誰から教えられたものでもなく、自分の内から湧きあがるデジデリウム(見神欲)のようです。(心理学の学びからデジデリウムを知り、自分の傾向に納得しました。)

あなたの愛の原型は?幸福感は?幸福の条件は?

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愛の原型「愛の孤独感3」

2010年02月08日 | 第2章 五感と体感
無意識に欲しているもの。。。自分でも意識せずに、欲する傾向があるとしたらなんでしょう?

親から受ける愛は、自分にとっては当たり前のものです。
この「当たり前」とは、自分にとってはそうであっても、他人から見たら当たり前ではないかもしれません。

子供から大人となり、友達との付き合いだけでなく、好きな人ができたり、結婚したりして、他人との生活が始まっていきます。ひとつ屋根の下、他人同士がともに生活することで、大きなブレが見えてくる場合があります。それは親からの愛され方が互いに違うからだということに、あっさり気付く人はそういません。

同じ目的で動こうとすると見えてくる他人との解釈の違いによる確執は、愛の原型がそれぞれ違うからゆえに表れる心の不均等(理想と現実ののギャップ)なのです。

あなたは私ではなく、私はあなたではないのです。

あなたの愛の原型は?
どんなふうに、お母さんから愛されましたか?お父さんから愛されましたか?
「これが愛の思い出・カタチ」だと語れるものはなんでしょうか?

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孤独感を見据える「愛の孤独感2」

2010年02月07日 | 第2章 五感と体感
自分がなぜ孤独なのか、その理由を考えることができますか?

孤独感が無意識にあり、でも、自分の行動(言動や行動)に出てしまう人に出くわすことがあります。他人のことを「なんで、あの人は、いつもこうなんだろう・・・」と、感じることができても、いざ、自分の孤独感を見据ええるとなると、見据えることに必要な「とどまる」ことに不安を感じます。

意識化するためにとどまろうとするときに湧きだす不安感は、いろいろな防衛機制を使うことによって、自分の正当性を表そうとします。

自分の孤独感を何かによって置き換えたり、
具体的に表現できないから、いつも遠回しな言い方になったり、
お酒やパチンコに逃げたり、
本当は親に言いたいことなのに、自分の子供に辛く当ったり、悪口を言ったり、
・・・こんな感じで、
自分を含めて、さまざまな方法を使い、自分を守っています。
自分を守る方法には、必ず傾向があります。良くも悪くもです。

それが、過度になると、関わる相手は「あれ?」と思います。

人の本質は不安感だと教えられました。

自分の心に湧きあがる不安感の傾向。。。
日頃、どんな不安感が湧きあがるのでしょう?

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愛の孤独感「1」

2010年02月06日 | 第2章 五感と体感
「愛の孤独感」は心理学用語です。この用語を説明していただきたいという要望がありましたので、時間をかけて、この場で私なりの思いを書くことにしました。

「愛とは何か?」
この自問自答に、即答できる人は、きっと平素考えている方だと思います。

その答えは、案外「自分にだけしか通用しない愛の概念」かもしれません。
でも、その人にとって、「これが愛だ」と感じるものが「愛」なのです。

「愛」という人類の共通用語は、実は、深い深い人の深層心理に繋がる大きなテーマなのです。

では、なぜ、「愛の孤独感」という用語があるのでしょうか?

日本では、この言葉が「自己愛」という言葉にすり替わっているように思います。(私の勝手な解釈です。)

「愛」と「孤独」を分けて考えてみましょう。

愛とは何か考える前に、自分の孤独を考えてみると、よいかもしれません。

「自分の孤独感を意識できますか?」

「自分の孤独感を意識できる人」は、それだけで、充分だと思います。

では、また明日…

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振り回されている

2010年02月05日 | 第3章 無意識の世界
私に限って、そんなことはない。振り回されているわけがない、、、という思い込みが、自分の軸をぶらせていきます。

先日、私もそのような体験をしました。
「私に限って、人に振り回されるわけがない」
こんな思い込みの強い人ほど、「今日は俳優になりたい、明日は警察官になりたい」という人に振り回されたり、オレオレ詐欺にだまされたり、するのだ、と自分でも反省しました。
それでも、心理学の学びをしていたおかげで、私がヘンなのではなく、相手がヘンなのだ、という自信を持った結論に達しました。身内の集まりほど、現実吟味力が低下していくのです。。。私の場合、そこが落とし穴でした。

悩みの深い人が、「ピアノを習いたい!」と言えば、家族は喜んで、ピアノの先生を探します。でも、数日経つと、その夢も覚め、今度は、「俳優になる!」と閃き、また家族は、俳優になるための学校を探したりします。それも、数日経つと、違う夢にすり替わっています。

確かに悩みの深い人のアイデンティティを考えることは、とても大切なことです。

でも、その前に、関わる人のアイデンティティをじっくり自己確認してから関わったほうがよさそうです。家族といえども、同じ体と心を共有しているわけではありません。

二人の関係の中で、関わる人の「統合性」はとても大事なポイントだと思います。

関わる人が、一緒に揺らめいていたら、悩み深い人は、一層揺らめいていきます。

一緒に悩みの淵に落ちる前に、気付いた人から勉強し、カウンセリングの理論の知識を身につけたほうがたほうがよさそうです。

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人との関わり方

2010年02月04日 | 第2章 五感と体感
「家族や友人が悩みが深くなった時、自分はどう関わればよいのだろう?」

そのような思いがつのるは自然な心の動きだと思います。
私たちの勉強会には、自分自身の勉強のためにいらしている方々が多くいらっしゃいます。

最初は、家族のため、友人のために勉強するつもりで勉強を始めても、結局は、自分自身の柱、つまり「自分を知ること」に行きつきます。
自分の「思考と感情と行動」の傾向が見えてくると、また更に、いろいろなものが見えてきます。今まで、思いこんでいた自分の傾向が何かの防衛機制であったりすることは、多々あることです。一枚衣を剥がずと、また新たな自分が見えてきます。

「自分の本音とは何か?」
この問いの端的な答えを探すことも必要な場合もありますが、「私の本音は何だろう?」と問いかけ続けることのほうが大切かもしれません。

答えは、本人の中にあります。

関わる人が、答えを見つけたく右往左往する人の言動に振り回されているケースは、私を含めてよくあることです。
そこで、自分が振り回されていることを意識しているか、意識していないか、検証する余裕を持っていたいものです。

振り子のように揺らめいている人と一緒に関わる人が揺らめいていては、見据えるべき柱がブレて見据えることができません。

アイデンティティの不統合は、理想と現実のギャップから生まれてきます。
ギャップを意識するには、基となる柱が必要です。

一貫した柱となる覚悟が自然体を生んでいくように私は思っています。
自己開示に必要な条件である「個人の一貫性を信じる」ことにも繋がっていきます。

ともに学びあう勉強仲間と、自己との出会いの時間を和やかに共有していきたいものです。

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五年目の腰越勉強会

2010年02月03日 | 第2章 五感と体感
鎌倉腰越で勉強会始めたのが五年前。早いものです。地元周辺の方々を中心に始めたものですが、月に一度、日帰り勉強会なので通いやすく、だんだんと通信講座生のみなさんも利用してくださるようになり、活気がでてきました。

初めて「生き甲斐の心理学」に触れる方も、長く勉強を続けながら暮らしの中に学びを生かしている人も、皆、同じことを学習していきます。

経験あるなしにかかわらず、個人個人の口からほとばしり出る言葉は、その人にとっての宝物です。その宝物を自分自身がカウンセリングの理論に基づいて理論武装していきます。
(この場合の理論武装とは、成育史をカウンセリングの理論にあてはめ、自己分析していくことです。)

世話人は、生き甲斐の心理学のU先生です。

2月2日は、第一回目の勉強会でした。
昨晩降った雪もすっかり溶け、広い会場は少々寒かったのですが、今年も和やかにはじまりました。

初めての参加者の方も、再会を喜び合った方も、これから一年かけて、どんな自分自身と出会っていくか、楽しみにされていることと思います。

参加ご希望の方は、左横の「ユースフルライフ研究所」ホームページからお入りください。
(研究所の主旨に賛同・好感をもたれる方が対象となります)
四谷勉強会も始まります。

年間三万人の自殺者をどうしようか考えているだけでは何も始りません。
悩みを持った人と、どう関わるか・・・心配している家族や友人が知識を学ぶことで、何かが変わるかもしれません。
知恵は力なり。。。です。

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めぐみへの誓い

2010年02月01日 | 第2章 五感と体感
友人のお嬢さんが大学に通いながら女優業をしています。
今回の舞台は「めぐみへの誓い」

拉致被害者、横田めぐみさんを描いた舞台です。
紀伊國屋サザンシアターで31日まで行われていました。

めぐみさんが、18歳のとき、つまり、拉致されて5年目のある日、自分がいくら努力をしても日本に帰ることができないことに気付きます。彼女は錯乱し、精神病棟に送り込まれます。精神病棟で同じ拉致被害者の女性たちとともに過ごすシーンで重要な「小夜」役を友人のお嬢さんが演じました。

このシーンでは、生き抜くことを決意することで、凛と立っていくめぐみさんを描いています。舞台出演者の感情移入は、ここで頂点ととなります。
明らかに真実のほうが恐ろしく、辛く、悲しく、希望のない、先の見えない、大きな不安感を、俳優の感情移入により、感動的に表現されました。

信じることと同時に、めぐみさんとともに歩んでいるかのような、愛情に満ちた母の偉大さをひしひしと感じ、こんなに不幸な問題であるのに、こんなに幸せな親子関係はあるだろうか、という思いがふつふつと私の心に湧きあがってきました。

舞台の最後に歌う聖歌。拉致被害者の方々の心の奥底に響き伝わるかのような聖歌は、きっと離れた家族の魂に届いていることでしょう。

結局、家族の愛にはかないません。
愛し愛されることを信じていれば、乗りきることができる確信を教えてもらったように思います。

そして、この舞台に立った友人のお嬢さんは、目力のある美しい女優さんです。
この舞台で大きく成長されたのだと思います。

ありさちゃん、今後の活躍を期待しています。

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