五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自然体って?「傾聴2」

2010年02月26日 | 第2章 五感と体感
初めて出会った人に自分の悩みをなぜ打ち明ける気持ちが湧き出してくるのでしょうか?

「無防備の状態」とは二つの種類があります。

一つは、知識もなく予測もできなく、突然「無防備」な我が身に襲いかかることです。
このような無防備な状態で、他人の話を傾聴しようと思っても、まず無理です。
なぜ、無理か?
突然、相手が怒りだしたり、泣き出したり、錯乱したり、予想外のことを言い出したりしり、何かの要求をしてきたときに、聞く側が慌てたり、驚いたり、錯乱したり、相手の要求を呑んでしまったり、必要以上のことに関わってしまったりしてしまったら、その人の理想と現実のギャップから表れる不安感に添うことになりません。とっさに湧きあがる拒否感は瞬時に相手に伝わります。不安感を持っている人は、聞く人以上に相手の心を想像しようとし、相手の心に渦巻く感情を混乱させていきます。つまり、火に油を注ぐような状態になります。

もう一つは、悩みの深い人の感情に添い、否定も肯定もせず、静かに耳を傾けることのできる体制を持っているか否か?です。もともと傾聴ができる素質が備わった性格の方であればありがたい、、、と思いますが、知識と修練を積むことで冷静に対処し、傾聴する側の柱に揺るぎがなく、しかも、しなやかに柔らかい姿を相手に向けている状態が「無防備な傾聴」と言えるように思います。

「道(どう)」は、無防備であり、自然体な状態を修練する必要があります。
剣道、柔道、茶道、華道、合気道、太極拳、能楽、、、、
美しい形と動きの中には、血のにじむ努力が必要です。
宗教儀式も同じようなことが見えてきます。典礼の美については孔子が論じたそうです。

でも、その努力を人に見られたら、まだまだ修業の足りない証拠です。
そうはいっても、修業は終わり私は悟っている。。。と言う人は信用できません。

自然体とは、自分は「まだまだ・・・」と呟きながら陰で修練を積むことかもしれないと、私は思います。それが、知識と技術の応用力に繋がっていくからです。

ただ、一つ言えることは、無防備な状態で、柳のようにしなやかで逞しくありたいと願い、謙遜に自分自身と関わると、その気持ちは、相手に必ず伝わります。

相手に伝わると、閉ざされた口元から言葉が溢れ出てきます。感情の表出も豊かになってきます。

自然体を目指して、無防備の訓練をするしか方法はないかもしれません。

生涯修行です。

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