五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

言語表現

2009年09月15日 | 第2章 五感と体感
モヤモヤした感情を具体的に言語化していくには、「無意識の意識化」という作業が必要です。

でも、いくら喋りたくてもボキャブラリーが少ないとイライラするばかりで返って逆効果になりかねません。

「喋りたいのに喋れないもどかしさ」

「言葉表現」は、知性を伴います。

自分の感情にふさわしい「言葉」

それを探して、本を読み、絵を見、音楽を聴きます。知らない場所を旅し、好奇心を湧きたせ、違和感や異文化を楽しみます。五感を磨いていきます。

たとえば、
「ウザイ~」
「キモイ!」
「カワイイーー!」

統括された決まり文句のような言葉から、その言葉に隠された背景をじっくりと聴きとっていくと、どんな人でも物語があり、次第にその人の持つ独特な言葉が紡がれていきます。

初めに言葉ありき…

言語療法という世界に足を踏み入れて、最近思うことは、ほんとうに「初めに言葉ありき」だということです。

感情と言語表現を繋げる喜びに気付いた人は幸せだと思います。

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美しい

2009年09月14日 | 第2章 五感と体感
何が美しかったのか。
久しぶりに、美しいものを観ました。

観世流の能の舞台です。演目は「海士」

某市で行われた能三昧の会。
番組最後、海士〝あま〟。観世の観世銕之丞氏が後見人として登場。
右端に地謡いが並び、その前に後見人が二人並びました。片膝を付き、右手の扇の先は舞台の床に付き、左手は立てた膝に乗せて、演目中微動打もせず、一点を見据えてています。

その姿の美しさに目が止まり、気付くとそちらのほうばかりに目がいく自分がいます。

美しい出で立ち、所作は、一代で築き上げたものではありません。

観阿弥 世阿弥以来、代々受け継がれた魂は、現在を受け継ぐ者に着実に宿っているのです。叔父である故観世栄夫氏の舞は、見ている私の魂を抜きとるくらいの迫力がありました。それを求めて通ったことを思い出していました。

舞台の脇に座る姿、ただそれだけで、観ている者を魅了するのです。

しなやかな出で立ちに衣が柔らかく添っています。深い気と眼差しの強さは、舞台の気を全て受け止めていたように思います。私はそこで巡る陰陽の内から宇宙が見えてくる恍惚感を味わいました。

能の魅力に取り憑かれていると現世を忘れてしまいそうになりますが。。。
ちゃんと、電車に乗り、帰宅いたしました。めでたしめでたし。

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親だけじゃなく…

2009年09月13日 | 第2章 五感と体感
何度も何度も騙されたり、約束を破られたりすると、人を信じられなくなります。
逆に、騙されているのにも関わらず、信じることにのめり込む人もいます。

「私は今度はできます。」
ある人からその言葉を聞いた時に、私にそれを言う意味を考えました。

某立場の私に言うということは、ある種の宣誓のようなものです。

何度も親と約束しても、子供と毎日顔を合わせる親が「あーーー、またか。また、元に戻っちゃった・・・」と嘆くのは日常茶飯事のことかもしれません。

「家族の傾向」が身体と心に沁み込んでいれば、同じパターンでぐるぐると繰り返すことがあることはしょうがないことだと思います。

ようやく外を見始めた子供が、自分自身の「ある傾向」に気付いたとき、まったくの他人に宣戦布告したのです。

同じ言葉でも、親に言うのとは違います。先生に言うのとも違います。

子供は親が育てていくのは理想的であるし、当たり前であってほしいものです。
でも、同時に社会の中、多くの人間関係の中で育まれていくということも忘れてはならないと思います。

親には言えないけど、他人には言える言葉。。。案外、このほうが素直な親への信頼感が投影される誠の言葉かもしれません。

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自ら命を絶つ

2009年09月12日 | 第2章 五感と体感
自ら命を絶つ。自殺。
自殺に関する記事やニュースをこの数日目にします。

身近な人を自殺で失った人にとっては、マスコミにこの話題を上げられるだけで、拒絶する感情が湧き上がります。

湧き上がる感情をどうコントロールするかは、人それぞれだと思います。私の場合、最近になりこれらの報道を耳にするたびに起こる「バクバクする心臓の鼓動」「動悸」に悩まされることはなくなってきました。

でも、拒絶感は、一生変わらないと思います。

ふと、喪失感に襲われた時に、「自分に何ができただろう?
あの時、ああすればよかった、こうすればよかった。。。」

心に、いろいろな反省を思い巡らすこともありますが、それよりもこの現実をどう解釈して自分が生きていくか、そちらの方が大切なことを意識するようにしています。

なぜ、自ら命を絶ってしまったんだろう?

その理由を考えることは、世間で活動している団体にお任せします。

「これから自分はどう生きていくのか?どんな生き甲斐を見出していくのか?」

今、生きている私たちは、生きている自分のことを意識していきたいものです。

暗闇の中に入った時は、外からの声は聴こえなくなってしまうようです。外からの声が聞こえる隙間を自ら作ることは、その意識がなくてはできません。

自分の「心と体と魂」今一度、点検してみてはいかがでしょう?
自分のことは自分にしかわかりません…

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人間の子供

2009年09月11日 | 第2章 五感と体感
夕方少し前の電車に乗ると、バギーに乗っている赤ちゃんは、たいてい無防備な姿でネンネしています。

熟睡し、全てを委ねた姿は、幸せそのもののように見えます。

お母さん方は、眠った我が子をしみじみと眺め、起こさないように、そっと荷物をまとめます。

赤ちゃんの寝姿…、ここからが人生の始まりなんだなぁ~、、、と、眺め入る私。

みんな、親からこれだけ大切にされていること、思い出さないでしょうけれど、いつの日か、自分が親になったとき、お母さんに大切にされたことを子供にするんでしょうねぇ・・・

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自分の想像力は…

2009年09月10日 | 第2章 五感と体感
ドイツ人の画家 ミヒャエル・ゾーヴァ展を観てきました。

ひとりで行ったのは間違いでした。クックックッ…と笑っていると、隣で鑑賞していたおじさまが「おもしろいですねぇ~」と声を掛けてきました。
「ひとりで来たのは間違いでしたね・・・」と言葉を返し、また互いに鼻を鳴らして鑑賞…

風刺画家。描写テクニックはぴか一。ロシアのプーシキン美術館にありそうな、大真面目な荒波の風景。。。その荒波の中にあり得ないでしょ、というものが描かれてあります。
高原や街の風景の中にも、同じく。。。

映画「アメリ」に登場するアメリのお部屋の壁に掛けてある犬の絵とか、変なあひるの絵とか、豚のランプ。。。といえば、ピンとくる人もいらっしゃるでしょう。

人の心は現実よりも自由です。でも、いくら自由に表現しなさい、と言われて、自分の想像力を最大限に生かしても、囚われた心の中からは、たいしたものは想像できません。そんなもんです。。。

私の想像力は、たいしたものじゃないな

横浜のそごう美術館で開催中。9月27日まで

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身の丈

2009年09月09日 | 第2章 五感と体感
昨日の腰越勉強会、参加者の皆様、お疲れ様でした。
二か月ぶりにこの場所で再会し、馴染んだ顔ぶれにホッとする気分が湧き上がりました。うれしいです。
台風の影響で風が強く波が高くて、空気も湿度が高く、少し喋ると汗がにじむような気候。夏と秋の中間の気候は、秋になり切れない夏の鬱陶しさを一層際立たせるように思います。

さて、昨日のお題は、「発病のメカニズム」。勉強している人には耳慣れた言葉ですが、ここで初めて触れる言葉である方は、ドキッとするかもしれません。
「発病のメカニズム」を簡単にこの場で語ることはできませんが、「人格形成における過程においてなんらかの契機により、適応不能から症状形成に至るまで。」を学びました。

カウンセラーに国家試験「国家資格」がありませんので、社会的責任のことを考えると、難しいものがあります。「人のために」という強い思いとカウンセラー本人の現実吟味力の欠如により、トラブルに巻き込まれることは避けたいものです。
だからこそ、身の丈に合った関わり方をしていきたいものです。
「身の丈」を知れば、充分に値する活動はできるはずです。

「人の心に触れる立場を目指す人は」は知れば知るほど、安易に「人のために」と思えなくなるのが、正常だと思ったほうが良いかもしれません。

「深く尊い他人の成育史を聴く作業」
そのためには、聴く側のエンカウンター(自己との出合い)が、最も大切な学びとなります。

「身の丈を知りながら、どこまで関わるか」
幻想の自己責任による関わりは、相手を不幸にしていきます。

「自分がどこまで関わるか」まずは、このことを最初に頭に浮かべることが大切なようです。

学びとともに、互いに身の丈を知っていきましょう。

できないことには断る勇気を

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他人のことはわかりません

2009年09月08日 | 第1章 意識と知覚
人の話をどこまで聞き、関わっていくか?

自分が人のためにやっているという思い込みに酔ってしまうことほど、怖いものはありません。ボランティアや慈善事業の怖さです。。。

それと、「人のために何ができるか?」この言葉も私にとっては脅威と傲慢にしか聞こえません。「人のため」は「自分のため」でもあります。
「自己の内に答えがある」ことを常に意識することが必要です。

厳しい言い方かもしれませんが、「他人のことはわかりません」

人の話を聞くことについて、「自分がどこまで関わるか」をまず明確にしていく必要があります。
身の丈に合った聞き方ができるようになるには、学びが必要です。

気を引き締めて、学びを続けていきたいものです。

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腰越勉強会

2009年09月07日 | 第2章 五感と体感
一か月前は、梅雨が明けたような明けないような天候不順の中、それでも夏の暑さは真っ盛りでした。

夏休みが明け、明日は二か月ぶりの勉強会です。
二か月分のいろいろな想いを携えて参加される皆様を通して観えてくる自己との出会いを楽しみにしています。

自分の中に湧き上がる感情、違和感、本音の感情、そして、理想と現実のギャップ、現実吟味力、防衛機制…

ゆったりと見据える時間を必要としている事自体が、気づきの始まりかもしれません。

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生きる指針

2009年09月07日 | 第2章 五感と体感
自分が望んでいない事態に陥った経験が数回あります。
数回という表現よりも、数年間の試練の時と言ったほうが、正しい表現かもしれません。

自己のストレスで、成育史上、いつが一番最悪だったか。。。
そのスケールを自分が自覚していると、今起こっていることが、それと比べてどうなんだろう。。。と吟味することができます。

もしかしたら、自分の目の前で起こっていることが、自分の人生における最悪の状態だとしたら、「今が最悪」と現実を吟味していきます。

私の場合、そんな時、何を思って切り抜けてきたか。。。
「必ず、終わりがあって始まりがくる」という思いです。この思いは、私の確信です。

そのためには、自分が潰れていたら事が進まないし、こんなことが原因で自分の体が病んでしまったら、損だ!という思いが自然と湧いてくるのです。

私の生活の基本は「アルプスの少女ハイジがおじいさんと住んでいたアルプスの家」です。
何はなくとも、木の器とスプーンで頂く温かいスープと暖炉の火があること。身近に数名の親しい人がいること。
小学一年生の夏に観た映画は、今だに私の生きる指針になっているようです。

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探し物

2009年09月06日 | 第3章 無意識の世界
数か月前に支払った領収書がとうしても見つかりませんでした。

在るべき場所に保管しておらず、ありそうな引出しの中をひっくり返しても出てきません。

数か月前の記憶をたどろうとしても、そんな時ほど、思い出すわけもなく。。。
手帳を眺めながら自分の行動を思い出そうとしましたが、これまた必殺技の過密スケジュールの中でのやり取りだったため、そんな細かいことはすっかり記憶喪失です。

あくる朝、ふと、自分の傾向を思い返し、瞑想???…

ありましたありました…

数か月使っていなかったバッグの中に

あたふたと探し物をする前に、「こんな時」の自分の傾向というか、癖というかを冷静に自覚し直す必要がありそうです。。。

カウンセリングの理論は、そんなところにも役に立ちます

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隙を見せる

2009年09月05日 | 悔いのない人生とは?
武道の世界では隙を見せれば、やられちゃいます。

通常のヒトとヒトとの関係では、その「隙」を巡って、いろいろな感情を体験します。

でも心に余裕があるとき、その「隙」は友好のきっかけとなるようです。

「言いやすい関係」「言われても受け容れることのできる関係」

自分が優位の立場にあること、自分が指導者であること、自分の言うことが一番正しいと思いこむこと、あなたに私のことなぞわかるわけない等、、、、そんなことを体で表現していたら、周りは逃げていっちゃいます。

隙をつくりながら、ボケと突っ込みを楽しみたいものです。

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余裕

2009年09月04日 | 第2章 五感と体感
夏休みが明け、いよいよ本格的に二学期が始まりました。

夏休みの期間中、先生も生徒も親もどのように過ごしたかで、余裕の度合がずいぶん違うようです。

気持に余裕があるときは、
自分自身との関係(心と体)どうでしょうか?
他人との関係はどうでしょうか?

目の前のことに追われていっぱいいっぱいだと、何かがずれていきます。
気付くと人間関係にひずみがでてきます。

自分の心と体の点検、「今こここでの自分の感情」を意識してみるだけでも一日の過ごしかたに違いが出るかもしれません。

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目覚めの感情

2009年09月03日 | 第2章 五感と体感
凌ぎやすい一日を予感する朝。
朝晩、ちょっとひんやりするくらいの気温になり、身体が楽になってきました。

でも、夏休み中、好きな時間に起きて、好きな時間にご飯を食べる生活をしていたとしたら、二学期の始まりは、かなり辛いものかもしれません。

朝起きたとき、どんな感情でしたか?

目覚めの感情は、一日を支配してしまったりします。。。

もし、その感情があやふやなものであったら
よく寝て、よく食べる。。。まずはそこから始めたほうが効果的かもしれません~

二学期はじまったばかりだから「やる気がない」「だるい」のイヤイヤの感情、当然でしょう

規則正しい生活に慣れるまでの助走期間は、こんなもんです…

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自分の人生は自分がつくる

2009年09月02日 | 第2章 五感と体感
友人から個展のはがきが届きました。
パリに36年住む女性です。

「そろそろ案内が届くはず、、」とヤキモキしながら便りを待っていました。

一つ決めたらたとえ火の中水の中、一目散に突っ走る、、、江戸っ子の人情深い芸術家…私から見るとそんな人です。

もともと主人の知人でしたが、17年前パリで会ってから私の方が彼女と親しくなり、以来、お付き合いが続いています。
人生の荒波を跳ね返しながら生きている彼女が、70歳にして初めての銀座での個展を行うのです。
たぶん、自分のことだけを考えている生活をしていたら、個展なんて、何度も開いていたはずです。でも、それを選ばない人生を歩んできました。

昨晩、久しぶりに電話で話しました。

相変わらずでした。
5日に日本に来ます。パリの病院で病気の診察をしてもらい、お世話になった人に会い、木枠からキャンバスをはがして丸め、そのうえ20体の彫塑を自力で運ぶといいます。
でも、そのようなことを何十年もやってきた彼女に、いまさら大丈夫?という声をかける気にはなりません。

「だいたい、こうやって自分の作品を発表するためにパリに住んだんだもんね…」と言うと、彼女は「ほんと、そうなのよ、彫塑を創りだしたら止まらなくなっちゃって、アトリエに居る周りの人たちも、唖然としていたわ、皆、私のことを天才だ!って…ハッハッハ~!」

やっぱり、すごい人です。

「人は考えた通りの人になる」私もほんとうにそう思います。

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