五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

ポー川の光 〝映画〟

2009年08月11日 | 第2章 五感と体感
岩波ホールに20年ぶりに行きました。映画の神様が宿る場所は改装されましたが、以前の風情が残されており懐かさが溢れました。

邦題は「ポー川の光」。イタリア語のタイトルを直訳すると「千の釘」。私の解釈だと「千の罪」。

キリスト教文化の中で、二千年というアイデンティティから育まれた、ひとりの表現者(映画監督)が最愛の情をもって、映画人生を締めくくった作品です。本質的真実を語ったフィクション(寓話)でした。
人の本質を自問自答し、哲学が生まれ体系化され、そのうちイエスキリストが出現します。それが、その地に住む人々の血となり肉となっていくわけですが、人には与えられた個性の美があり、それを生かし、強化していくことで、ますます個性を発揮していきます。

映画の内容からくみ取れる問いかけは、シリアスなものですが、ユーモアは欠かしていません。さすが、です。
人間らしく、その人らしく生きていくことに言いわけなんてありません。

物語は、将来を期待される有能な若き教授が、修道会の図書館に所蔵されている大切な書物を取り出し、床や机に散乱させ鉄の釘で打ちつけ、失踪するところから始まります。

散乱した本は、まるでインスタレーションのようで、知らせを受けその光景を見た女性刑事は、感嘆します。

失踪し、大河に辿り着いた若き教授は、ポー川のほとりに住まう不法占拠者の人々との交流で、本質である愛を、生身の体で体感していきます。そして、千年、二千年という時空を超えて、本来の人間のあるべき姿を改めて問いただそうとします。

映画の終盤・・・
自分の行った行為に対し、「責任は取るが罪は犯していない」言い、
自分はある組織の会員であることを淡々と強調します。その「ある組織」を聞き、警察官もハッとします。

最後のシーン・・・
主人公は自分を育ててくれた司教が本を触りうずくまる背中の肩に触れ愛を伝えようとしますが、司教はは床に置かれた本に気を向けたまま、彼の想いを受け取ろうとはしませんでした。
このシーンは、映画全体を捉えた象徴的なシーンです。

「愛とは何か」

二千年という時間をかけて、「愛」について、どのくらいの書物、文章が書かれたのでしょう。。。これだけ書かれても、まだまだ書ききれないはずです。

自由意思を与えられた「ヒト」。
信じて見えてくるものには意味があります。それを大切に生きていきたいものです。

ブログ、長くなってスミマセン。。。携帯で読まれている皆様、ここまで読んでくださりありがとうございました

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