五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

どっちを選ぶか?

2013年09月25日 | 第2章 五感と体感
昨日は、自分の生死に関わることの選択について色々と考えさせられました。

夏の疲れが具体的に身体に出始めるのは涼しくなる9月から10月だと教えられている通り、このところ体調不良の話題や病気の悪化、そして訃報が相次いで届いています。

そのような中、昨年重大な病気で、重圧的な選択を迫られ、その選択によって回復した某お医者さんに再会しました。
医師人生が始まったばかりの彼は、「大切なこと」を学ぶために私の通う某医院に飛び込み武者修行中でした。

その大切なこととは、「ほんとうに人を大切にし関わること。そして、それを医師として実践すること」です。
某先生の姿勢と技術を学ぶために一所懸命働いておられました。

先生方のそんな真摯な姿を眺めながら、「患者としてほんとうに幸せだなぁ~」と微笑ましく思っていました。

昨日は突然の再会に、驚きましたが、実家の医院で再スタートを切った若い先生の眼差しは、以前の希望に満ちたものよりも苦悩という経験を裏打ちした強さを持とうとする過程の眼差しをしておられました。

絶体絶命という岐路に立った時、自分の選択は正しく成されるだろうか?

「命」=「生きる」ことを自己実現(目標)に置き、何が何でもそれを達成するための選択は、苦渋などというものでは済まされないものだったと思います。

結局は、最後の最後は自分の意志と意思です。

誰かのために生きるのではなく、自分が生きるために生きるのです。

その本質的な問い掛けが苦渋している自分に降りてくるかは、なってみないと私自身解りません。しかし、本質的な問い掛けが出来るための準備はしていたいと思います。あとは、その場で経験している中での「自分自身の問答に委ねる」しかありません。

「何を選択するか?」

と云う問い掛けに「自分の信じていること」が根本にあることは、自分の中に後悔を生まない強さに繋がっていくように思います。

難しい問題ですが、根本にある信心とは何かを意識化することを健やかに生活しているうちにしておくことは、とても大切なことかもしれません。

奇しくも昨日の報道で比叡山の酒井師が亡くなられたことを知りました。千日回峰行を初めて行ったのは私が中学生の頃です。それ以降酒井師の成りをずっと追わせて頂いていました。50代で入山し、そこから回心していく姿を追うドキュメンタリーは当初話題になりました。数年前久しぶりに酒井師のお顔を拝見し、「ああ、この方はほんものなんだ。。。」と、生意気にも、そんな印象を持ちました。人生の岐路に立った時の自分の選択に誤りがあるかないかは、もしかしたら自分では無く他者が解釈するものかもしれない、とも、思いつつ、それでも「これで良いのだ、」と思いながら死んでいけたら、こんな幸せなことはないように思っています。

そのためには、本質的な事に逸れない選択をすることに喜びを持つ修行が、私にはまだまだ必要なようです。

クりック応援お願いします♪「生き甲斐の心理学/五感で観る」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする