箱根・仙石原のポーラ美術館に「モダン美人誕生 岡田三郎助と近代のよそおい」展を見に行く途中、
小田原駅前に看板が出てる「さんせん」でビントロ満腹丼を食べた。800円でこれは御立派。ついでに
お城のほうへブラブラ歩いていくと、12月なのに銀杏が散りもせず真っ黄色。
はやく散れ師走も深し銀杏の葉
思わず俳句みたいなのをひねる。平成最後の落葉は遅い。昭和なら11月で落葉樹は丸裸になったけど、
ちかごろは年を越すことも珍しくない。お堀端を歩いていくと、さすがに桜の紅葉は残り少なくなっている。
また俳句もどきが浮んだ。
桜の葉むかしめきたる紅葉かな
なにをしてるんだろうか。そのままお堀端を歩いていったら、二宮金次郎を祀る報徳二宮神社についた。
うっかりすると俳句っぽいのができちゃうので気を引き締めてお参り。
なんちゃって俳句なしよ
あるある、薪を背負って本を読む金次郎の銅像。あれは立札によると昭和3年、昭和天皇の即位大礼の
記念に神戸の中村直吉氏が寄進したもので、制作者は三代目・慶寺円長。その後、あれと同じ像が全国
の小学校などに向けて約1千体、制作された。
どうりで見覚えあるわけだ……
と思いきや、戦時中すべて兵器にすべく供出されて鋳潰され、現在残っているのはこれ1体だけらしい。
じゃあ見たことある像は全部、戦後に作られたレプリカか。どうりで何か違うと思った(後出し)。
いかめしい大人になりもうした
子供のイメージしかないけれど、大きくなって金次郎から尊徳と名を改め、報徳仕法という独自の理念で
幕末の世のために尽くしたとか。69歳まで生きたらしい。神社ができたのは明治27年。
そろそろ散歩を切り上げて美術館へ
明治生まれの洋画家、岡田三郎助が婦人雑誌や少女雑誌、デパートの宣伝物に関わってファッションの
流行を生み出してきた足跡をたどる企画展を楽しみにきた。
自ら所蔵して絵に描いた着物も展示
肩をあらわにした女性が身につけている着物なども見ることができる。明治、大正、昭和のはじめには
女性の生き方が激変して、よそおいも激変したけれども、西洋美術を学んだ画家が積極的に流行作り
に関与しているのが面白い。
女性の描き方に今っぽさがある
目がクリッとして、ひたいと鼻とあごの比率にたぶん西洋の人物画の比率が生かされているんだろうけど
浮世絵に描かれる女性とは決定的に違う。
洋行したい明治女性の浮世絵
さっきの目がクリッとした絵は明治41年ごろ、美人写真コンテストの地方予選の募集のために描かれた
「少女像」で、地方で1位の女性に賞品として贈られるルビーの指環を左手につけてる。
全国で1位になるとダイヤの指環がもらえる
どちらも岡田三郎助が「こんな女性がいたら……」という理想を描いたもの。モデルは芸者さんらしい
けど玄人っぽさを排除してあるように見える。このポスターを見て美人写真コンテストに応募してきた
全国1位の小倉のお嬢さんが、ポスターそっくり。
末弘ヒロ子という、変わった名前の子だった
いまのアイドルと同じ系統だと思う。描いた絵に近い雰囲気の子が実際に現われて、後の世まで影響を
及ぼしてしまう岡田三郎助の画力がすごい。末弘ヒロ子は学習院の学生で、親戚が知らないうちに写真
を応募して知らないうちに全国1位になってしまい、家に主催者が結果を通知にきたとき困ったという。
しかし、優勝賞品のダイヤモンドの指環を見たら目の色が変わったとか。
こちらが岡田三郎助の肖像写真
ダイヤの指環のことを知らなかったということは、実際、本人が応募したわけじゃないのかも。しかし、
末弘ヒロ子が美人写真コンテストで全国1位になったことが学習院に知れると、けしからんと判断され
学校を退学になった。そのあと本人は活動してないから、残ってる写真は応募用のもの。とても自然。
カメラが珍しい時代に、写真撮られることを意識していない。そういう環境のお嬢さんだから、勝手に
応募された何げない写真が全国1位になったんだろう。
退学にした学習院の校長は……
当時の学習院の校長は、軍人の乃木希典だった。末弘ヒロ子がやめたあと、気の毒だと思ったのか、
軍人の中で有望なのを結婚相手として世話した。明治天皇が崩御したあと殉死したけど、その数年前
ということになる。違う校長だったらどうなっていたんだろう。
結婚して家庭は円満だったらしい
姉の孫がジャズ演奏家で、ヒロ子のことを身内の気安さもあってか、化物と表現したことがあるそうだ。
いつまでもアイドルみたいな容姿ではなかったに違いない。美人コンテスト(しかも写真…)の顛末が、
とても印象に残ってしまった。末弘ヒロ子とか、広末涼子とか、広瀬すずとか、ヒロのつくトップアイドル
そういえば多いな……薬師丸ひろ子もそうか。
せっかくなので、すすきを見て帰る
その日は近くに1泊して、翌日、仙石高原のすすきを見物した。10月にきたときは青々としていたが、
さすがに12月ともなると茶色くなっている。うっかり、俳句もどきが浮かんでしまった。
見どころのありや師走のすすき原
関連記事: すすき草原
小田原駅前に看板が出てる「さんせん」でビントロ満腹丼を食べた。800円でこれは御立派。ついでに
お城のほうへブラブラ歩いていくと、12月なのに銀杏が散りもせず真っ黄色。
はやく散れ師走も深し銀杏の葉
思わず俳句みたいなのをひねる。平成最後の落葉は遅い。昭和なら11月で落葉樹は丸裸になったけど、
ちかごろは年を越すことも珍しくない。お堀端を歩いていくと、さすがに桜の紅葉は残り少なくなっている。
また俳句もどきが浮んだ。
桜の葉むかしめきたる紅葉かな
なにをしてるんだろうか。そのままお堀端を歩いていったら、二宮金次郎を祀る報徳二宮神社についた。
うっかりすると俳句っぽいのができちゃうので気を引き締めてお参り。
なんちゃって俳句なしよ
あるある、薪を背負って本を読む金次郎の銅像。あれは立札によると昭和3年、昭和天皇の即位大礼の
記念に神戸の中村直吉氏が寄進したもので、制作者は三代目・慶寺円長。その後、あれと同じ像が全国
の小学校などに向けて約1千体、制作された。
どうりで見覚えあるわけだ……
と思いきや、戦時中すべて兵器にすべく供出されて鋳潰され、現在残っているのはこれ1体だけらしい。
じゃあ見たことある像は全部、戦後に作られたレプリカか。どうりで何か違うと思った(後出し)。
いかめしい大人になりもうした
子供のイメージしかないけれど、大きくなって金次郎から尊徳と名を改め、報徳仕法という独自の理念で
幕末の世のために尽くしたとか。69歳まで生きたらしい。神社ができたのは明治27年。
そろそろ散歩を切り上げて美術館へ
明治生まれの洋画家、岡田三郎助が婦人雑誌や少女雑誌、デパートの宣伝物に関わってファッションの
流行を生み出してきた足跡をたどる企画展を楽しみにきた。
自ら所蔵して絵に描いた着物も展示
肩をあらわにした女性が身につけている着物なども見ることができる。明治、大正、昭和のはじめには
女性の生き方が激変して、よそおいも激変したけれども、西洋美術を学んだ画家が積極的に流行作り
に関与しているのが面白い。
女性の描き方に今っぽさがある
目がクリッとして、ひたいと鼻とあごの比率にたぶん西洋の人物画の比率が生かされているんだろうけど
浮世絵に描かれる女性とは決定的に違う。
洋行したい明治女性の浮世絵
さっきの目がクリッとした絵は明治41年ごろ、美人写真コンテストの地方予選の募集のために描かれた
「少女像」で、地方で1位の女性に賞品として贈られるルビーの指環を左手につけてる。
全国で1位になるとダイヤの指環がもらえる
どちらも岡田三郎助が「こんな女性がいたら……」という理想を描いたもの。モデルは芸者さんらしい
けど玄人っぽさを排除してあるように見える。このポスターを見て美人写真コンテストに応募してきた
全国1位の小倉のお嬢さんが、ポスターそっくり。
末弘ヒロ子という、変わった名前の子だった
いまのアイドルと同じ系統だと思う。描いた絵に近い雰囲気の子が実際に現われて、後の世まで影響を
及ぼしてしまう岡田三郎助の画力がすごい。末弘ヒロ子は学習院の学生で、親戚が知らないうちに写真
を応募して知らないうちに全国1位になってしまい、家に主催者が結果を通知にきたとき困ったという。
しかし、優勝賞品のダイヤモンドの指環を見たら目の色が変わったとか。
こちらが岡田三郎助の肖像写真
ダイヤの指環のことを知らなかったということは、実際、本人が応募したわけじゃないのかも。しかし、
末弘ヒロ子が美人写真コンテストで全国1位になったことが学習院に知れると、けしからんと判断され
学校を退学になった。そのあと本人は活動してないから、残ってる写真は応募用のもの。とても自然。
カメラが珍しい時代に、写真撮られることを意識していない。そういう環境のお嬢さんだから、勝手に
応募された何げない写真が全国1位になったんだろう。
退学にした学習院の校長は……
当時の学習院の校長は、軍人の乃木希典だった。末弘ヒロ子がやめたあと、気の毒だと思ったのか、
軍人の中で有望なのを結婚相手として世話した。明治天皇が崩御したあと殉死したけど、その数年前
ということになる。違う校長だったらどうなっていたんだろう。
結婚して家庭は円満だったらしい
姉の孫がジャズ演奏家で、ヒロ子のことを身内の気安さもあってか、化物と表現したことがあるそうだ。
いつまでもアイドルみたいな容姿ではなかったに違いない。美人コンテスト(しかも写真…)の顛末が、
とても印象に残ってしまった。末弘ヒロ子とか、広末涼子とか、広瀬すずとか、ヒロのつくトップアイドル
そういえば多いな……薬師丸ひろ子もそうか。
せっかくなので、すすきを見て帰る
その日は近くに1泊して、翌日、仙石高原のすすきを見物した。10月にきたときは青々としていたが、
さすがに12月ともなると茶色くなっている。うっかり、俳句もどきが浮かんでしまった。
見どころのありや師走のすすき原
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