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オリエント急行

2023-04-14 | Weblog

68歳のときルネ・ラリックはオリエント急行の室内装飾を手がけた。1928年のことで、ガラスのパネルを列車の内壁に150枚以上はめて空間を装飾するのは当時として斬新そのもの。しかも鉄道を走行し、車窓から風景を眺めながら美食を楽しむことができる。ヨーロッパ文明の爛熟の極み。ちなみに日本は昭和3年だった。

WAGONS-LITS はフランス語で寝台車のこと。オリエント急行はいわば豪華客船の陸上仕様で、これに乗ることがステイタスだったからイギリスの作家アガサ・クリスティは名探偵エルキュール・ポアロが活躍する推理小説シリーズの舞台に最適と考えて1934年発表の『オリエント急行殺人事件』を著した。

オリエント急行の内装で好評を得たルネ・ラリックは1935年に大西洋横断豪華客船の内装に参加しパリのロワイヤル通りに店を開くなどした後、1945年に85歳で逝去したが、その後もオリエント急行の走行は続いた。もっとも航空機の時代には長らく休止しており、1976年に運行を再開。パリとイスタンブールを結んでいたが、1988年にフジテレビ30周年とJR1周年を記念してロシアや中国を経由して日本まできた。バブル臭すごい。

約3か月間、日本国内を走行したオリエント急行はその後またパリとイスタンブールの間を運行し、2001年まで現役で活躍した。その車両が2004年に箱根ルネ・ラリック美術館へ運ばれて展示されるようになり、当時のままの内装で現在もレストランとして使用されている。そのレストランを予約してランチのコースをいただいた。

さすがに、オリエント急行で提供されたメニューをそのまま再現したというわけではないようだ。前菜はじゃがいものクレープに小田原で水揚げした魚やなんかを盛ってソースと野菜と花を添えたもの。地元静岡の長谷川農園産マッシュルームポタージュに続いて、ムール貝のソースをかけた鰆のローストが出てきた。白ワイン飲んでまうやんか。

赤ワイン飲んでまうやんか。さがみ牛のグリエ、肉汁のソース。わりと地産地消傾向のランチコースだった。デザートはメロンとココナツのロワイヤルとかいうもので、ココナツのジュレの上にメロンのジュレと白ワインのジュレを重ね合わせた中にメロンの果肉がダイス状にカットされて沈潜していた。

正午きっかりから1時間20分ほどルネ・ラリックが装飾した車内を眺めながら食事を楽しんだ。これで車窓からの眺めが変化したら最高だろう。もちろん車両は動かないし車窓からの眺めも固定されている。ブドウと男女が浮き彫りにされたガラス製のパネルからランプから何から車内の装飾品は現状維持のため手を触れることならず、しかしながらお客さん達つい触っては注意を受けていた。

食後にルネ・ラリック美術館を見物。1860年フランスのシャンパーニュに生まれたラリックは16歳で宝飾細工師に弟子入りし、20歳の時にはカルティエなど一流宝飾店から仕事を依頼されるまでになった。37歳でレジオンドヌール勲章を受賞。1900年、40歳のときパリ万国博覧会で宝飾品が大きな注目を集めて名声を得た。

それ以前からガラスの可能性に注目し、ガラス工芸の表現の幅を広げていた。香水瓶をガラスで作って世に広めた結果、それまで主に上流社会で量り売りされていた香水が一般大衆の手にも届くようになった。アールヌーヴォー、アールデコという2つの美術様式を背負い、橋渡しをした大作家で、オリエント急行のようなガラスを用いたインテリア装飾は晩年の試みだった。

箱根には年に何度か(少なくとも一度は)行くけれどルネ・ラリック美術館は初めてだった。なかなかすごい展示だった。東京からのアクセスがよくて山歩きができて美術館めぐりもできて温泉もある箱根はやっぱり魅力がつきない。

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