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歩くことが唯一の趣味ですから。

戦車道路

2023-01-21 | Weblog

多摩丘陵に戦車道路を作ろうと大日本帝国陸軍が計画したのは、下手を打った第二次世界大戦で両面作戦に苦しみ、いいかげん敗色が鮮明になった1943年だった。いま歩いてるこの道がその戦車道路、またの名を「戦車類運行試験場」といって本土上陸してくる鬼畜米英をどうにか戦車で蹴散らそうと逆上のあまり多摩丘陵の尾根に敷設されかけた。

戦車の性能テストや操縦訓練のために総延長30kmほどの戦車道路が計画されたが、敗戦までに作られた道路はわずか8kmほどにすぎなかった。そこが現在、東京都や町田市が管理する憩いの尾根道として整備され、もはや戦車が通らない代わりに犬の散歩やジョギングやサイクリングや散歩の人が行き交う。

尾根道だからところどころ見晴らしのいい場所がある。多摩ニュータウンの整備のため、土砂の運搬道路として舗装されたそうだから、戦車の性能テストや操縦訓練が行われたころは舗装されてないオフロードだったんだろう。どの程度、テストや訓練に活用されたか。結局たいして使われなかったんじゃないか。上陸してきた鬼畜米英を蹴散らすまでもなく、空襲でぐうの音も出なくなり無条件降伏したのだから。

ちょっとぐらい戦車が走ったことはあるかもしれない。その戦車は相模原陸軍造兵廠で製造・組立てられたもので、相模原陸軍造兵廠は現在、在日米軍相模原補給廠として徴用されているというから何のことはない。戦車で蹴散らそうとしていた鬼畜米英に巻き上げられて、いいように使われている。大日本帝国陸軍の戦車は利用価値もなく、どうせ東京タワーの鉄骨の材料の足しになったんだろう。

ご覧の通り、単調な道がつづく。軍備に逆上した輩のやることはいつも時代遅れだから、巨費を投じた大艦巨砲の戦艦大和も新鋭の戦闘機にめった打ちされてあっけなく海の藻屑と消えたし、せっかく作った戦車もどの程度の性能か分からないけど活躍の機会がなかったし、戦車道路は計画の3分の1も完成しなかった。蹴散らすはずの国に押しつけられて、1発3億円の言い値で500発も爆買いさせられるトマホークミサイルも型落ち品で役に立たない。勝手に買っといて増税するとか、権限のないやつらが専横で国を弱らせることを日本語で表現すると売国奴になる。

もう飽き飽きだ。どれだけ同じ道を歩めばいいのか。計画倒れで「道半ば」どころか、ずいぶん手前のほうで頓挫したまま放ったらかし。誰も責任を取らない。頭の中でそんなことを思いながら淡々と歩みを進めていて気づいた。周辺はニュータウンとして宅地になるはずが、すでに人口減で需要がなく空き地がやたら目立つ。これから需要があるとすれば墓地だけど住民の反対があるだろうから、自分には関わりのないことながらニュータウンの今後がにわかに案じられた。

 

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