散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

関門海峡

2013-06-13 | Weblog
おいちゃんはゴムひも売りながら南へ北へ、西へ東へ旅してるんだが、門司ってところに流れ着いたよ。幸福の泉の向こうに
見える黒い碑は、九州の鉄道の起点を示す「0哩」の標だ。


門司港のそばにできたのが、鉄道の門司駅よ

風のうわさにね、門司港ってところはレトロな町だっていうから、おいちゃん見にきたよ。レトロ、レトロ……レトロは一体
どこに転がってるんだい? あのレンガの建物がそうなのかい。


それにしても見物人がやたらめったらいやがるぜ。足の踏み場もねえや……

こう見えて、おいちゃん人混みは大の苦手だからさ、せっかくだがレトロはあきらめて、対岸の下関に渡ることにしたよ。
関門海峡ひとっとび。門司と下関は目と鼻の先だからね。


こっちは下関。源平の戦いで海に沈んだ安徳天皇を祀る赤間神宮にきたよ

門司と下関で関門海峡とは、うまいこというね。入水した平家一門の墓碑がある寺は、明治の神仏分離で赤間神宮になって
ここにあるよ。小泉八雲の「耳なし芳一」が暮らして化け物に耳を引きちぎられた寺さ。芳一の祠もちゃんとある。


そこに砲弾が飾られてたよ

日露戦争の戦利品なんだって。旅順で手に入れたと石に文字が刻んである。いいけど、一体なんでこれがこんなところに。
それにしても、港は混雑しても神社は人が少ないから心が落ち着くね。


神社のわきに伊藤博文の生家跡を示す碑が

伊藤家は代々、参勤交代の大名が宿泊する本陣を兼ね備えた立派な屋敷を持っていて、長崎のオランダ商館長が江戸に参る
ときの定宿でもあったとか。どうりでハイカラなわけさ。


屋敷跡の一角が日清戦争の講和談判場として、これまた史跡になってる

さっきの砲弾は日露戦争、こっちの談判は日清戦争。なんだか戦争のにおいが強いところだね。おいちゃん、ドンパチ別に
萌えないんだけど入場無料だから中を覗いたよ。


こっちが清国の高官で、あっちが日本の高官だね

いちばん偉そうなのが伊藤博文(内閣総理大臣)で、つぎに偉そうなのが陸奥宗光(外務大臣)。右端に見切れてるのが
清国の全権大使、李鴻章らしいよ。


写真のイスとテーブルがそのまんま置いてある

両サイドの大きなイス(肘掛つき)に座ってるのが、伊藤博文と李鴻章というわけだ。ぐるっと向こう側にまわってみると、
伊藤博文と陸奥宗光の名前が木の札に書いて立ててある。


なんてわかりやすい展示なんだろう……

下関で講和談判が行われたわけは、全権の故郷だからというのもあるんだろうけど、日本の黒船(軍船)が大陸に向かって
せまい海峡を通過する光景が、清国の使節団に脅威を与えるのに絶好だったからさ。


このせまい関門海峡がよかったみたい

そういえば、下関のある山口県ではこんなお菓子が売られていたよ。隔世の感があるね。おいちゃん、もちろん買わないけど
なんとなく写真撮っといたら、ネタになったからよかったよ。じゃあまたな。

 
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする