散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

岡山

2010-08-04 | Weblog
そもそもは、この本を読んだから岡山にいこうと思ったのだ。

『小林少年のモンゴル恐竜日記』・・・1998年の夏、モンゴルはゴビ砂漠の
発掘調査に、広報として同行した体験を現場でつづったWeb日記である。

翌年、岡山のタウン誌の別冊として上梓され、県内を中心に人気を博した。
当時30代だった小林少年は、もちろん現在40代。

ときのながれは早い。Web日記をモンゴルの砂漠から、衛星電話を通じて
更新していたころは、ブログもなかったし、かろうじて企業のホームページが
一般的になりつつあった程度。そう、各社コンテンツ作りが急務だった・・・

初めて自社の発掘調査に参加して、過酷な環境で、トラブルに巻き込まれながら
最新の技術(当時)を駆使してWeb日記を更新する様子は、ノンフィクションとしても
エンターテイメントとしても第一級。(ほめすぎ?)

小林少年(って呼んでいいかどうか微妙)の会社が、長年にわたって行ってきた
発掘と研究の成果がいま、「ようこそ恐竜ラボへ!」展として公開されている。

小林少年(って呼んでいいかどうか疑問)に案内してもらって、展示を見るのが
主な目的で岡山まで飛んできたのだった。

小林少年(って呼んじゃうから)は、「ラボへ!」展のPRのため、地元の放送局
RKBに生出演するということで、それが終わるまで市内をぶらぶらする。

路面電車は100円で乗車できる。

岡山城は黒塗りの城だから、烏城(うじょう)というんだって。宇喜多氏から
小早川氏、池田氏と城主が変わり、昭和20年に空襲で焼けたけど、昭和40年代に
復元されたそうな。(関係ないけど、江戸城も復元したらいいのに)


外人さんがピョンピョン跳びはねて
記念撮影してた。熱いのに元気だ!

「元祖きびだんご」の本店を訪ねると、隣も「元祖きびだんご」の本店だった。
どっちが先かなんて詮索はしない。(京都の一澤帆布と信三郎帆布のような
骨肉の争いを繰り広げていませんように!)


こちらは大手まんぢゅうの本店さん。甘いもの求めて市内をふらふら歩き回る
中年男性って、どうなんだろうか?

お家騒動もなさそうな、質実剛健、
品質本位、大手門愛といった感じ
の(?)さっぱりしたお店でした。


これが岡山名物、大手まんぢゅう!

さて、いよいよ「ようこそ恐竜ラボへ!」展の会場へ。JR岡山駅の正面にある
デジタルミュージアムを最大限に2フロア使って、8/18まで開催中。


この状態で埋まってるのを見つけて
発掘。生き埋めになったものか?


プテラノドンは着地すると、羽根を
こう折り畳んだらしい。(不便?)

発掘調査から研究まで一貫して行う林原生物化学研究所・林原自然科学博物館
ならではの展示方法で、恐竜化石の研究がどんな手順を踏むかよくわかる。


発掘現場はこんなふう。何も知らず
足元を見たらビックリするだろう。

名古屋、大阪、北九州、台湾、仙台をまわって、岡山で最後の展示になる。
残念ながら、東京じゃ見られない。岡山のみなさーん、恐竜が嫌いでなければ
8/18までの「ようこそ恐竜ラボへ!」展、絶対に見たほうがいいです!!


化石をうまく取り出すのに専用の
道具はない。めいめい工夫して、
使いやすい道具を準備する。

大型の草食恐竜サウロロフスの化石。ブロックに分けて岩石ごと、棺桶のような
モノリスという木箱につめて日本に持ち帰り、クリーニングという取り出し作業と
修復を並行させる。それから復元、レプリカ作り、研究と、時間のかかること!


発掘されてから15年、まだ研究が続いている。例えば右の
前脚には、肉食の恐竜に齧られたと思われる傷跡が多数!


鳥類が恐竜の子孫だという証拠の
足跡が見つかったという新聞記事。

このあと、本物のラボ(研究室)も訪ねて、作業現場を見学させていただいた。
撮影禁止だったけど、魚竜の化石と、猫の祖先の化石が興味深かった。


「恐竜ラボへ!」展は記念撮影OK。親子連れも撮りまくり!

岡山の後楽園、金沢の兼六園、水戸の偕楽園を、日本三名園というんですか?
いつのまにか三つとも訪れてしまった・・・。後楽園はこの時期、「幻想庭園」と
銘打って、夜間ライトアップして開園している。(9時まで)

その一角が、芝生の上にテーブルを並べたビアガーデンになっていて、
烏城を眺めながら涼めるようになっているのが素敵だった。


次回は「倉敷」です。(近日更新)
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする