実家の庭の椿が満開だったので、携帯で写真を撮ってきました。
今の実家は、もともと祖父母が住んでいた土地に建てた2世帯住宅。
残念ながら祖父は 一緒に住み始めてから5年ほどで他界してしまいましたが、
今でも庭には祖父の思い出の椿の木が何本か残っていて
毎年この時期にはきれいな花を咲かせてくれます。
実は 私の祖父は 椿の研究者でした。
その道では名の通った人で、保育社から何冊か本も出版していますし、
彼が開発したり命名した椿の品種もあったりします。
椿というのは種から育てるよりも、接木をした方がうまく育ち、
よい花をつけます。
晩年、手が思うようには動かなくなった彼の代わりに接木をしたのが、
家族の中で一番手先が器用だった(自分で言うなよ!!)私でした。
その頃は 全くと言っていいほど植物に興味はなかったけれど、
接木の作業は楽しかった。
そして、作業が終わった後、祖父と一緒にお茶を飲んでお菓子を食べるのが
何よりも楽しみで(笑)
夏には二人で喫茶店にカキ氷を食べに行ったりもしたなあ。
いい思い出です。
椿というと、紅白のちょっと寂しげな花を思い出す人が多いと思いますが、
実際はかなり色々な品種があって、大きく派手な花もたくさんあります。
これもけっこう大きい部類の花です。
こちらは薄いピンクの可憐な花。
はっきり憶えていませんが、多分中国の椿だったと思います。
中国への調査旅行(?)で私が穂を持ち帰ったような気が・・・。
祖父が亡くなって、庭の椿のほとんどは大学に寄付してしまったので
今は数えるほどしか残っていませんが、昔はここ、まさに椿屋敷でした。
2階建ての温室まであって、子供の頃はそこで遊ぶのが楽しかったものです。
もうすぐ祖父の13回忌。
私、不信心な人間ですが、想う心はいつも胸に。
今の実家は、もともと祖父母が住んでいた土地に建てた2世帯住宅。
残念ながら祖父は 一緒に住み始めてから5年ほどで他界してしまいましたが、
今でも庭には祖父の思い出の椿の木が何本か残っていて
毎年この時期にはきれいな花を咲かせてくれます。
実は 私の祖父は 椿の研究者でした。
その道では名の通った人で、保育社から何冊か本も出版していますし、
彼が開発したり命名した椿の品種もあったりします。
椿というのは種から育てるよりも、接木をした方がうまく育ち、
よい花をつけます。
晩年、手が思うようには動かなくなった彼の代わりに接木をしたのが、
家族の中で一番手先が器用だった(自分で言うなよ!!)私でした。
その頃は 全くと言っていいほど植物に興味はなかったけれど、
接木の作業は楽しかった。
そして、作業が終わった後、祖父と一緒にお茶を飲んでお菓子を食べるのが
何よりも楽しみで(笑)
夏には二人で喫茶店にカキ氷を食べに行ったりもしたなあ。
いい思い出です。
椿というと、紅白のちょっと寂しげな花を思い出す人が多いと思いますが、
実際はかなり色々な品種があって、大きく派手な花もたくさんあります。
これもけっこう大きい部類の花です。
こちらは薄いピンクの可憐な花。
はっきり憶えていませんが、多分中国の椿だったと思います。
中国への調査旅行(?)で私が穂を持ち帰ったような気が・・・。
祖父が亡くなって、庭の椿のほとんどは大学に寄付してしまったので
今は数えるほどしか残っていませんが、昔はここ、まさに椿屋敷でした。
2階建ての温室まであって、子供の頃はそこで遊ぶのが楽しかったものです。
もうすぐ祖父の13回忌。
私、不信心な人間ですが、想う心はいつも胸に。
椿を見ると、どういう訳か山本周五郎の「五辨の椿」
を思い出してしまいます。
ん?べんってこの字でないかも??
悲しい話で、仕置人にも似た物語・・・
椿の薫る庭、いいですね!
私、白の椿が大好きです。
そうなんです。
お洒落で はいからで かっこいいおじいちゃんだったんです。
妻(祖母)や 娘(母)は知らない ちょっとお茶目なところもあって、
何故か私にはそんな一面を見せてくれることがありました。
ニヤリ。
「五辨の椿」、知らないなあ。
最近すっかり本を読まなくなってしまって・・・。
でもいつかまた読んでみたいです。
白の椿、風情があっていいですよね。
私も白い花、大好きです。
緑と白のコントラストが美しい!!
丹精して育てた椿がお庭に残ったのね。
おじいさま お孫ちゃんが手伝ってくれて
嬉しかっただろうね。
そして亡くなったあとも椿を見るたびに
自分を思い出してくれる。
何だか私の中で
椿に対する印象が変わりました。
うん。
多分、私と一緒に庭仕事ができたこと、
すごく喜んでくれていたと思います。
そう言えば、おじいちゃんが書いた原稿を
ワープロで打つバイト(?)もしてました。
そうや! あの頃はパソコンじゃなくワープロやった~!
椿を見るとそんな色々を思い出します