先日、ちょっと嬉しいことがあった。
それは、現地調査のため、とある街に出向いたときのこと。
コインパーキングでの出来事だった。
目的の現場は、駅前の商店街エリア。
決して広くない道に、通る車や歩く人は多数。
路上に車をとめるなんてことはもちろん、一時停止することさえ難しい場所だった。
私は、路上駐車を諦め、周辺にコインパーキングを探すことに。
右左折を繰り返しながら、二台分のみの小さな駐車場を見つけた。
そして、そのひとつに車をねじ込んだ。
現地調査を終えた、私は、再び車のもとへ。
とめたときには空いていた隣のスペースには、どこかの会社の社用車らしき車が駐車。
そして、その運転席には、スーツ姿の男性が座り、携帯電話を操作していた。
私の車の駐車位置は、№1。
しかし、普段“№1”というものに縁がないせいか、清算機に対して、私は迷うことなく№2のボタンをPush。
そして、表示された金額を投入した。
しかし、車止プレートが下がったのは、私の方ではなく隣の方。
“???”と、一瞬、何が起こったのかわからなかった私。
そう・・・私は、清算場所を間違えて、隣の駐車料金を精算してしまったのだった。
そんなミスに、私は“トホホ・・・”な気分。
お金の問題だけではなく、そんなミスをしてしまう自分のダメさにガックリ。
やり場のない悲しみを抱え、再び、清算機に向かった。
そうこうしていると、隣の車のドアが開いた。
と同時に、中の男性が降りてきた。
そして、“文句でも言うつもりか?”と身構える私の方に近寄ってきた。
「間違えました?」
「えぇ・・・スイマセン・・・」
「こっちのプレートが上がる音がしたもんですから、びっくりしましたよ」
「申し訳ないです・・・」
「領収証あります?」
「ありますけど・・・」
「お金、払いますよ」
「え!?」
「それは、私の方の料金ですから・・・」
「でも、勝手に清算しちゃったわけですから・・・」
「いやいや・・・」
「まだしばらくここにおられる予定じゃなかったんですか?」
「いいえ・・・ここでの用事は済みましたから」
「いいんですか?」
「大丈夫ですよ」
「そうですか・・・助かります・・・ホント、失礼しました」
男性は、スーツで身を固めた青年。
営業職か、話し言葉も丁寧で、好印象。
短い会話の後、かかった金額を私に手渡し、走り去っていった。
もちろん、男性の素性など知る由もない私。
しかし、どこかで会ったことがあるような親近感を覚えた。
そして、その小さな親切がとても嬉しくて、その日は、身も心も軽やかに仕事に取り組むことができたのだった。
依頼された現場は、古くて小さなマンション。
“現場に行く前に鍵を取りに来てほしい”との依頼で、私は、まずは、現場近くの大家宅を訪問。
詳しい事情を知らなかったため、フリーサイズの(事務的な)スタンスでインターフォンを押した。
大家宅から出てきたのは、老年の男性。
特に尋ねたわけでもなかったが、男性は、遺体発見にまつわる出来事を私に説明し始めた。
話が長くなるような予感がした私は、「とりあえず、現場を見てきてから・・・」と、男性の話を途中で止めて、鍵を預かった。
現場のマンションは、大家宅から歩いていける距離。
故人の部屋は、上の階。
私は、成長しない自分を鍛えるようなつもりで、エレベーターのない階段を一歩一歩登った。
1Rの狭い部屋には、大量の家財生活用品。
それらが、床を隠すほどに散乱。
私には、それが、故人の荒れていた内面を代弁しているように感じられた。
目立って視界に入ってきたのは、数箇所・数個に及ぶ練炭の灰。
そして、公共料金を催促する書類と、それらを止める旨が記された書類。
更には、ベッドマットにはクッキリと浮かび上がる人のかたちがあった。
現場見分を終えた私は、玄関の鍵を掛け、再び大家宅へ。
再び男性が出迎えてくれ、私を玄関に招き入れてくれた。
そして、一時停止していた話の続きを始めた。
「もう亡くなっちゃったけど、もともと、本人(故人)の親が私の友達だったんですよ」
「私の息子と本人も幼なじみでね・・・」
男性は、故人のことを子供の頃から知っていた。
だから、赤の他人のようには思えないようだった。
「亡くなった(故人の)親にも、“息子のことを頼む”と言われてね・・・」
「まぁ、腐れ縁でしょうね・・・」
男性は、肩の荷が降りたのか・・・
安堵したかのようにも感じられる疲労感を漂わせながら、そう言った。
「家賃も、二年分滞納してましてね・・・」
「電気やガスもしょっちゅう止められて・・・」
家賃を滞納されても、強くは催促できず。
金銭的マイナスを、義理と人情で埋めていたようだった。
「どこか具合でも悪かったんでしょうかね・・・」
「まだ若いのに、可哀想・・・」
男性は、故人の死因を、身体的病を原因とする“病死”とみている様子。
よもや、死因が自殺であるとは微塵にも思っていないようだった。
「色々と迷惑をかけられて困ってましたけど、私達より先に逝くなんて・・・」
「悲しいというより、残念ですよ・・・本当に・・・」
男性は、本当に悲しみより残念な気持ちの方が強そう。
そして、その言葉には、何かに対する憤りが込められているように感じられた。
「でも、家賃を強引に取り立てなくてよかった・・・」
「部屋から追い出したりしなくてよかったと思いますよ」
男性は、過去の自分を説き伏せるかのように、そう言った。
そして、自分の言葉に何度もうなずいた。
男性の話をしみじみと聞いた私。
部屋に自殺所見があることを、伝えることができなかった。
“確証がない”“責任がとれない”“余計な問題を引き起こしたくない”などといった考えが働いたから・・・
それでも、“男性に余計な気苦労を背負わせては気の毒”といった親切心が、少しは働いたことを自分で信じたいと思っている。
それが、本当に親切なことだったのか、未だにわからないけど・・・
「人には親切にしましょう」と教わって育ったはずなのに、人に親切にされることをうっとおしく感じたり、人に親切にすることが面倒臭かったりする。
もっと重症化していくと、親切にしてくれる人を妬みの対象にしたり、人に親切にすることが損なことのように思えたりする。
コインパーキングで会った男性がくれた親切は、直接的に私に喜びを与えてくれた。
大家の男性が故人に与えた親切は、間接的に私に喜びを与えてくれた。
世に中には、“小さな親切、大きなお世話”なんて言葉があるけど、実のところ、小さかろうか大きかろうが、親切は大きな喜びだと思う。
更には、親切にされたときの喜びも大きいけど、親切にしたときの喜びの方がもっと大きいことを、関わる一人一人の生き様と死に様が、私に教えてくれるのである。
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それは、現地調査のため、とある街に出向いたときのこと。
コインパーキングでの出来事だった。
目的の現場は、駅前の商店街エリア。
決して広くない道に、通る車や歩く人は多数。
路上に車をとめるなんてことはもちろん、一時停止することさえ難しい場所だった。
私は、路上駐車を諦め、周辺にコインパーキングを探すことに。
右左折を繰り返しながら、二台分のみの小さな駐車場を見つけた。
そして、そのひとつに車をねじ込んだ。
現地調査を終えた、私は、再び車のもとへ。
とめたときには空いていた隣のスペースには、どこかの会社の社用車らしき車が駐車。
そして、その運転席には、スーツ姿の男性が座り、携帯電話を操作していた。
私の車の駐車位置は、№1。
しかし、普段“№1”というものに縁がないせいか、清算機に対して、私は迷うことなく№2のボタンをPush。
そして、表示された金額を投入した。
しかし、車止プレートが下がったのは、私の方ではなく隣の方。
“???”と、一瞬、何が起こったのかわからなかった私。
そう・・・私は、清算場所を間違えて、隣の駐車料金を精算してしまったのだった。
そんなミスに、私は“トホホ・・・”な気分。
お金の問題だけではなく、そんなミスをしてしまう自分のダメさにガックリ。
やり場のない悲しみを抱え、再び、清算機に向かった。
そうこうしていると、隣の車のドアが開いた。
と同時に、中の男性が降りてきた。
そして、“文句でも言うつもりか?”と身構える私の方に近寄ってきた。
「間違えました?」
「えぇ・・・スイマセン・・・」
「こっちのプレートが上がる音がしたもんですから、びっくりしましたよ」
「申し訳ないです・・・」
「領収証あります?」
「ありますけど・・・」
「お金、払いますよ」
「え!?」
「それは、私の方の料金ですから・・・」
「でも、勝手に清算しちゃったわけですから・・・」
「いやいや・・・」
「まだしばらくここにおられる予定じゃなかったんですか?」
「いいえ・・・ここでの用事は済みましたから」
「いいんですか?」
「大丈夫ですよ」
「そうですか・・・助かります・・・ホント、失礼しました」
男性は、スーツで身を固めた青年。
営業職か、話し言葉も丁寧で、好印象。
短い会話の後、かかった金額を私に手渡し、走り去っていった。
もちろん、男性の素性など知る由もない私。
しかし、どこかで会ったことがあるような親近感を覚えた。
そして、その小さな親切がとても嬉しくて、その日は、身も心も軽やかに仕事に取り組むことができたのだった。
依頼された現場は、古くて小さなマンション。
“現場に行く前に鍵を取りに来てほしい”との依頼で、私は、まずは、現場近くの大家宅を訪問。
詳しい事情を知らなかったため、フリーサイズの(事務的な)スタンスでインターフォンを押した。
大家宅から出てきたのは、老年の男性。
特に尋ねたわけでもなかったが、男性は、遺体発見にまつわる出来事を私に説明し始めた。
話が長くなるような予感がした私は、「とりあえず、現場を見てきてから・・・」と、男性の話を途中で止めて、鍵を預かった。
現場のマンションは、大家宅から歩いていける距離。
故人の部屋は、上の階。
私は、成長しない自分を鍛えるようなつもりで、エレベーターのない階段を一歩一歩登った。
1Rの狭い部屋には、大量の家財生活用品。
それらが、床を隠すほどに散乱。
私には、それが、故人の荒れていた内面を代弁しているように感じられた。
目立って視界に入ってきたのは、数箇所・数個に及ぶ練炭の灰。
そして、公共料金を催促する書類と、それらを止める旨が記された書類。
更には、ベッドマットにはクッキリと浮かび上がる人のかたちがあった。
現場見分を終えた私は、玄関の鍵を掛け、再び大家宅へ。
再び男性が出迎えてくれ、私を玄関に招き入れてくれた。
そして、一時停止していた話の続きを始めた。
「もう亡くなっちゃったけど、もともと、本人(故人)の親が私の友達だったんですよ」
「私の息子と本人も幼なじみでね・・・」
男性は、故人のことを子供の頃から知っていた。
だから、赤の他人のようには思えないようだった。
「亡くなった(故人の)親にも、“息子のことを頼む”と言われてね・・・」
「まぁ、腐れ縁でしょうね・・・」
男性は、肩の荷が降りたのか・・・
安堵したかのようにも感じられる疲労感を漂わせながら、そう言った。
「家賃も、二年分滞納してましてね・・・」
「電気やガスもしょっちゅう止められて・・・」
家賃を滞納されても、強くは催促できず。
金銭的マイナスを、義理と人情で埋めていたようだった。
「どこか具合でも悪かったんでしょうかね・・・」
「まだ若いのに、可哀想・・・」
男性は、故人の死因を、身体的病を原因とする“病死”とみている様子。
よもや、死因が自殺であるとは微塵にも思っていないようだった。
「色々と迷惑をかけられて困ってましたけど、私達より先に逝くなんて・・・」
「悲しいというより、残念ですよ・・・本当に・・・」
男性は、本当に悲しみより残念な気持ちの方が強そう。
そして、その言葉には、何かに対する憤りが込められているように感じられた。
「でも、家賃を強引に取り立てなくてよかった・・・」
「部屋から追い出したりしなくてよかったと思いますよ」
男性は、過去の自分を説き伏せるかのように、そう言った。
そして、自分の言葉に何度もうなずいた。
男性の話をしみじみと聞いた私。
部屋に自殺所見があることを、伝えることができなかった。
“確証がない”“責任がとれない”“余計な問題を引き起こしたくない”などといった考えが働いたから・・・
それでも、“男性に余計な気苦労を背負わせては気の毒”といった親切心が、少しは働いたことを自分で信じたいと思っている。
それが、本当に親切なことだったのか、未だにわからないけど・・・
「人には親切にしましょう」と教わって育ったはずなのに、人に親切にされることをうっとおしく感じたり、人に親切にすることが面倒臭かったりする。
もっと重症化していくと、親切にしてくれる人を妬みの対象にしたり、人に親切にすることが損なことのように思えたりする。
コインパーキングで会った男性がくれた親切は、直接的に私に喜びを与えてくれた。
大家の男性が故人に与えた親切は、間接的に私に喜びを与えてくれた。
世に中には、“小さな親切、大きなお世話”なんて言葉があるけど、実のところ、小さかろうか大きかろうが、親切は大きな喜びだと思う。
更には、親切にされたときの喜びも大きいけど、親切にしたときの喜びの方がもっと大きいことを、関わる一人一人の生き様と死に様が、私に教えてくれるのである。
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