毎度毎度、歳のせいばかりにもしていられないけど、私は常に身体のどこかが不調である。
ちなみに、この頃は背中と腰。
このところ、そこの調子が悪くて仕方がない。
背中は痛く、腰には鈍いだるさがあるのだ。
昔だったら、少し労ってやればすぐに治ったものだが、最近はそうもいかなくなってきた。
仕事柄、重いものを持ち運ぶことは日常茶飯事。
それが原因であることは間違いなさそうだけど、生きていくためにはそんなことでいちいち仕事は休めない。
ガタつく身体に鞭を打ちながら、労働に勤しむ私である。
遺体搬送の仕事が入った。
故人を、病院から自宅に運ぶ仕事だ。
病院によっては霊安室がない所もあり、病室に直接迎えに行くこともある。
この時もそうで、私は、他の患者や家族に神経を使いながら、故人と遺族の待つ病室へストレッチャーを進めた。
遺体を運び出すためには、まず、ベッドからストレッチャーに移動させなければならない。
故人が、小柄な人や痩せた人なら一人でできるのだか、そうでない人の場合は、二人以上の手が必要になってくる。
その場合、遺族が手伝うことは少なく、だいたいの場合は看護士が手伝ってくれる。
ただ、看護士によっては、
「一人で来たの?ダメじゃないの!二人で来なきゃ!」
と、露骨にイヤな顔をする冷たい人もいる。
個人的な経験だと、このタイプの人は少なくない・・・ハッキリ言ってしまえば、多い!
ベッドから、横のストレッチャーに遺体を移すだけの作業でも、〝これは私の仕事ではない!〟〝なんで私が手伝わなきゃいけないの?〟といった調子だ。
もちろん、個人差はあるだろうけど、看護士も遺体を触るのはイヤなのだろう。
または、日常の正規業務に疲れて、職務以外では人に親切にする余裕もないのか。
そんな具合いで、横柄な態度をとる看護士も少なくない。
社会の表裏を垣間見れる場面でもある。
故人は女性。
かなりの高齢で、天寿をまっとうしたみたいだった。
痩せて小さくなった身体は、非力の私でも充分に抱えることができた。
いつもの通り遺体を車に積み込んだ私は、病院職員に見送られて厳かに出発。
目的地は故人の自宅。
遺族は同乗せず、私は故人と二人きり、しばしのドライブとなった。
遺体は、運転席の真後ろに寝ているので、運転中は顔を合わせることはない(シーツにすっぽり包まれてるしね)。
ハンドルを握る私は、後ろに眠る一人の死を考えながら、生死の不可思議さを感じた。
「これで、この人の人生は終わったんだな」
「長い人生、色んなことがあっただろうな」
「生きてることって不思議なことだよな」
故人の家は、入り組んだ狭い路地の奥にあった。
とても、家の前まで車をつけることはできず、できるだけ近いところに車を停車。
そこから家まではストレッチャーを引きずっていくしかなく、私は凸凹の路地をゆっくり進んだ。
地面があまりに凸凹過ぎて、遺体がガクンガクンと揺れた。
道路事情が悪いのは私のせいではないにしろ、故人の安眠を妨げているようで、何とも申し訳ないような気分になった。
到着した家は、だいぶ老朽化した小さな一軒屋。
玄関の扉もガタピシ状態。
その家には、血縁者・遺族がたくさん集まっていた。
玄関から先も狭く、ストレッチャーのままでは入れそうになかった。
しかも、安置場所は二階。
「抱えて行くしかなさそうだな」
私は、狭く曲がった急階段を、故人を抱えて登るしかなかった。
「抵抗がない」
と言ったらウソになるけど、一般の人に比べると遺体を抱えることに抵抗が少ない私。
故人を〝お姫様抱っこ〟して階段を上がる私を、遺族は〝スゲー!〟といった表情で見つめていた。
そんな反応に、ちょっと得意になってしまう私もいた。
二階の部屋には布団が用意されており、私は、その布団に故人を静かにおろした。
「おばあちゃん、男の人に抱えられてよかったわねぇ」
一人の中年女性が、そう言った。
その一言は、場の雰囲気を和ませるためでもあったし、私への心遣いでもあった。
その気遣いと優しさが素直に嬉しかった。
安置状況に問題がないか確認するために部屋を見渡すと、三人の遺影が目についた。
どの写真も老人男性の顔。
私が、それを眺めていると、さっきの女性が話し掛けてきた。
「一人は、おばあちゃんのダンナ、あとの二人はおばあちゃんの息子です」
「そおなんですか・・・」
「私は孫なんですけど、亡くなった息子の一人が私の父です」
「・・・」
「二人の息子の方が先に逝っちゃってね・・・」「子供に先に死なれて、ツラかったでしょうね」
「ええ、本人も〝早くお迎えがきてほしい〟と口癖のように言っていましたから」
「・・・」
「いくつになっても、〝親は親、子は子〟ということですね」
私は、子供に先立たれた人の気持ちは分からないけど、それなりの重荷になることは想像できる。
故人は、その重荷を背負って生き通したのだろう、集まった人達からは悲哀ではなく感謝と労いの声が多く聞かれた。
遺体搬送。
重い人もいれば、軽い人もいる。
通常遺体もあれば損傷遺体もある。
ただ、総じてその死は重い。
仕事でやっている他人の私がその死をいちいち背負えるはずもないけど、一人の人間がコノ世から忽然といなくなることは、故人の縁者にとっては重いことだろう。
私も、私なりの重荷を背負って生きている。
その荷は、降ろしたくても降ろせないものから、降ろしても降ろしても新たにのしかかってくるものまで色々ある。
まぁ、生きているかぎり、その荷を背負い続けるしかないのだろう。
そうして生き通して生涯を終えるときに、やっと重荷を降ろせるのかもしれない。
痛む背筋を伸ばしながら梅雨空を見上げ、そんな風に思う私である。
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特殊清掃プロセンター
遺品処理・回収・処理・整理、遺体処置等通常の清掃業者では対応出来ない
特殊な清掃業務をメインに活動しております。
ちなみに、この頃は背中と腰。
このところ、そこの調子が悪くて仕方がない。
背中は痛く、腰には鈍いだるさがあるのだ。
昔だったら、少し労ってやればすぐに治ったものだが、最近はそうもいかなくなってきた。
仕事柄、重いものを持ち運ぶことは日常茶飯事。
それが原因であることは間違いなさそうだけど、生きていくためにはそんなことでいちいち仕事は休めない。
ガタつく身体に鞭を打ちながら、労働に勤しむ私である。
遺体搬送の仕事が入った。
故人を、病院から自宅に運ぶ仕事だ。
病院によっては霊安室がない所もあり、病室に直接迎えに行くこともある。
この時もそうで、私は、他の患者や家族に神経を使いながら、故人と遺族の待つ病室へストレッチャーを進めた。
遺体を運び出すためには、まず、ベッドからストレッチャーに移動させなければならない。
故人が、小柄な人や痩せた人なら一人でできるのだか、そうでない人の場合は、二人以上の手が必要になってくる。
その場合、遺族が手伝うことは少なく、だいたいの場合は看護士が手伝ってくれる。
ただ、看護士によっては、
「一人で来たの?ダメじゃないの!二人で来なきゃ!」
と、露骨にイヤな顔をする冷たい人もいる。
個人的な経験だと、このタイプの人は少なくない・・・ハッキリ言ってしまえば、多い!
ベッドから、横のストレッチャーに遺体を移すだけの作業でも、〝これは私の仕事ではない!〟〝なんで私が手伝わなきゃいけないの?〟といった調子だ。
もちろん、個人差はあるだろうけど、看護士も遺体を触るのはイヤなのだろう。
または、日常の正規業務に疲れて、職務以外では人に親切にする余裕もないのか。
そんな具合いで、横柄な態度をとる看護士も少なくない。
社会の表裏を垣間見れる場面でもある。
故人は女性。
かなりの高齢で、天寿をまっとうしたみたいだった。
痩せて小さくなった身体は、非力の私でも充分に抱えることができた。
いつもの通り遺体を車に積み込んだ私は、病院職員に見送られて厳かに出発。
目的地は故人の自宅。
遺族は同乗せず、私は故人と二人きり、しばしのドライブとなった。
遺体は、運転席の真後ろに寝ているので、運転中は顔を合わせることはない(シーツにすっぽり包まれてるしね)。
ハンドルを握る私は、後ろに眠る一人の死を考えながら、生死の不可思議さを感じた。
「これで、この人の人生は終わったんだな」
「長い人生、色んなことがあっただろうな」
「生きてることって不思議なことだよな」
故人の家は、入り組んだ狭い路地の奥にあった。
とても、家の前まで車をつけることはできず、できるだけ近いところに車を停車。
そこから家まではストレッチャーを引きずっていくしかなく、私は凸凹の路地をゆっくり進んだ。
地面があまりに凸凹過ぎて、遺体がガクンガクンと揺れた。
道路事情が悪いのは私のせいではないにしろ、故人の安眠を妨げているようで、何とも申し訳ないような気分になった。
到着した家は、だいぶ老朽化した小さな一軒屋。
玄関の扉もガタピシ状態。
その家には、血縁者・遺族がたくさん集まっていた。
玄関から先も狭く、ストレッチャーのままでは入れそうになかった。
しかも、安置場所は二階。
「抱えて行くしかなさそうだな」
私は、狭く曲がった急階段を、故人を抱えて登るしかなかった。
「抵抗がない」
と言ったらウソになるけど、一般の人に比べると遺体を抱えることに抵抗が少ない私。
故人を〝お姫様抱っこ〟して階段を上がる私を、遺族は〝スゲー!〟といった表情で見つめていた。
そんな反応に、ちょっと得意になってしまう私もいた。
二階の部屋には布団が用意されており、私は、その布団に故人を静かにおろした。
「おばあちゃん、男の人に抱えられてよかったわねぇ」
一人の中年女性が、そう言った。
その一言は、場の雰囲気を和ませるためでもあったし、私への心遣いでもあった。
その気遣いと優しさが素直に嬉しかった。
安置状況に問題がないか確認するために部屋を見渡すと、三人の遺影が目についた。
どの写真も老人男性の顔。
私が、それを眺めていると、さっきの女性が話し掛けてきた。
「一人は、おばあちゃんのダンナ、あとの二人はおばあちゃんの息子です」
「そおなんですか・・・」
「私は孫なんですけど、亡くなった息子の一人が私の父です」
「・・・」
「二人の息子の方が先に逝っちゃってね・・・」「子供に先に死なれて、ツラかったでしょうね」
「ええ、本人も〝早くお迎えがきてほしい〟と口癖のように言っていましたから」
「・・・」
「いくつになっても、〝親は親、子は子〟ということですね」
私は、子供に先立たれた人の気持ちは分からないけど、それなりの重荷になることは想像できる。
故人は、その重荷を背負って生き通したのだろう、集まった人達からは悲哀ではなく感謝と労いの声が多く聞かれた。
遺体搬送。
重い人もいれば、軽い人もいる。
通常遺体もあれば損傷遺体もある。
ただ、総じてその死は重い。
仕事でやっている他人の私がその死をいちいち背負えるはずもないけど、一人の人間がコノ世から忽然といなくなることは、故人の縁者にとっては重いことだろう。
私も、私なりの重荷を背負って生きている。
その荷は、降ろしたくても降ろせないものから、降ろしても降ろしても新たにのしかかってくるものまで色々ある。
まぁ、生きているかぎり、その荷を背負い続けるしかないのだろう。
そうして生き通して生涯を終えるときに、やっと重荷を降ろせるのかもしれない。
痛む背筋を伸ばしながら梅雨空を見上げ、そんな風に思う私である。
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