雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

守られて凪の世界に揺られをり人の狭間にたたかひ止まぬ

2022-08-21 22:15:00 | Weblog

 枇杷倶楽部平和展。

 








 
 コロナのみならず、戦火危うい情勢、至る所不穏な地球上で、日本は稀な平和を享受している。
 日常こうしたイベントが行われ、みんなで楽しめるのは本当にありがたい時間と思う。多少の波風はあろうとも、この凪の世界が長く続いてくれるなら。

 軍隊を持たない日本は、確かに平和国家だが、何か覆ればやすやすと蹂躙されるだろう。日本の国際政治力、外交能力がますます重要になる。私は政治経済に疎いのだが、資源も油もなく、食料自給もできないこの日本の平和は、ひどく奇妙で稀有な時代のように思える。

 平和展ではのびのびとみんなが自分をパフォーマンスしている。

 お近くの方はお立ち寄りください。

 愛と感謝。



 

 


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逝く夏になほひぐらしのふりしきる無為てふ時を華で飾らな

2022-08-20 17:10:00 | Weblog

 油彩F6号  華


 


 
 やり方にいくつか疑問はあるけれど、いつもとはやや違う印象に描いてみた。

 愛と感謝。

 静かな日だった。

 主に栄光を。


 

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夏蝉のいまはの鳴き音(ね)重なりぬ濃き暮れ色にいのち溢れて

2022-08-19 20:16:00 | Weblog

 晩夏に。

 午前中、明日からの枇杷倶楽部平和展に搬入。

 


 
 油彩はこんな感じ。牡丹の華麗で繊細な花弁の表現が難しい。

 


 良い日だった。

 愛と感謝。

 
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自足せるまろき世界をいつくしみ猫撫づるがに時の流るる

2022-08-18 21:03:00 | Weblog

 ふと。

 


 花の絵を描き始めた。

 身の回りに、きれいなものを増やしたいと願って。


 愛と感謝。
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ひそやかな水脈(みお)たどるため埋め来しうつそみをまた歌はせ始む

2022-08-17 20:34:00 | Weblog

 残暑のヤマを越えたような風が吹く。まだ暑いが10日前とは大気が違って、晩夏のひかり。

 平かな毎日が続いている。単調だが、戦火や災害のない時間に生きていることが心からありがたく感じられる。

 たぶん、昨年末からこの春先、何人もの友人知人の病や訃報を受けたからだろう。青春の一時期、親しかった人が永遠に消え去り、2度と巡り会えない、という事実は、感情の域を離れて、まるで非現実な夢を見ているような気がする。

 当時から今まで、それほど密な関係ではなくても、10代後半から20代前半という「純粋、がそのまま褒め言葉になる」時代に語り合った記憶は忘れ難い。

 


 ふたたびレンブラントのイエス。
 何度もこの表情を見つめてしまう。

 レンブラントは毎日必ず12時間は絵を描いたそうだ。

 頑健でなければ出来ない精進だし、さぞ人付き合いも制限しての仕事だと思う。

 ダイヤモンドを磨くような人生から描き出されたイエスの顔。

 愛と感謝。


 
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前世より声の届くか海風に手足包まれ未来想へば

2022-08-16 20:08:00 | Weblog

 海風に。

 輪廻転生はあるのだろうか。

 四季の巡りや、植物、動物、全ての生き物たちの有様を見ていると、その膨大で無数の命はどこから来てどこへ向かうのかと感じる。

 人は来世を願うものだろうか。

 煩悩を解脱するなら、もはや転生はなく、永遠の涅槃に至ると仏教は説く。それが救済だ。

 この人生を悔いなく、心残りなく生き尽くすことができたら、たぶんもう現世への転生を願うことなく眠りにつけるだろう。

 私はクリスチャンだから、輪廻転生を考えるなど逸脱に違いないが、詩歌や文学、また芸術の世界では異なる世界観で創作することもある。


 


 館山に戻り、外海から来る強い潮風を浴びていると、ついつい汎神論的な空想が湧く。


 愛と感謝。





 
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みづみづと頬光らせて訪れる夏の最中の子らに幸あれ

2022-08-15 20:22:00 | Weblog

 8月15日に。

 私は戦争を全く知らない世代だが、今現在、世界は非常に危ういと感じる。
 日本はかりに平和を保っているが、台中関係、北朝鮮、韓国、ロシア、全て絡み合い、いつ何が起きても不思議ではない。

 戦後77年とは長い時間だ。
 偶然だが、1868年の明治維新からちょうど77年後の1945年にに日本は連合軍に無条件降伏した。もしかしたらそろそろ日本の歴史的転換期かもしれない。

 もしどこかの野心的な国からミサイル攻撃されたとして、今の日本は迅速かつ果敢な対応ができるだろうか。日本人は凛とした、あるいは毅然とした態度で国際社会に抗議できるのか。

 長引くウクライナ戦役も、私にはひどく不気味だ。ロシアの国力なら、弱小国家など短期間で制服できるはずだが、ロシアはえんえんと結末を先送りする。弱者を焦らすような、いたぶるような長期戦は、ウクライナが目的ではなく、何か違う魂胆があるのでは、などなど考えてしまう。

 これは政治経済に疎い、無名のマイナーポエットの主観的なつぶやきに過ぎない。


 平和でありますように。
 傷つく人が少ない世界でありますように。


 主に栄光を。
 愛と感謝。


 


 レンブラントの描いたキリスト。
 何と素晴らしい顔だろう。
 たくさんのイコンを見、また自分でも習作臨摸し、創作もしたが、私はこのキリストの顔が一番好きかも知れない。優しく美しく、包み込まれる。
 
こんな恋人がいたら、人生は幸せだわ。。。(詩人のつぶやき)

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いきものの声ほとばしるまひるまに我が身ほどきて音になりたし

2022-08-14 19:28:00 | Weblog

 残暑ふたたび。
 ことに晴れ間が広がった午後は、扇風機をかけて本を読んでいても、クラクラするほどだった。甲府の暑さにも慣れたが、明日には館山に帰る。

 









 プルーストを再読して思うのは、やはり文学と時代の関わりだった。「失われた時を求めて」が世界的名作なのは間違いないが、比類ない長編であり、また作家の豊かな教養と蘊蓄、富裕なブルジョワジー文化で育まれた精神性、感性、道徳感など、現代の一般的読者には受容困難だろう。
 私が30年前に初めて読んだ時、人生体験も教養も浅く、たぶんプルーストが随所に述べている音楽や美術、文芸に対する華麗で辛辣な叙述は、あまり理解出来なかったのではなかったかと思う。
 昨日、今の方が昔よりスラスラ読めると感じたのは、年功積んで、私のシェマが広くなったおかげだ。

 もしも今の時代に優れた知識と文化的素養、環境に恵まれた誰かが、プルーストのような全くエンタメではない傑作を書いたとしても、享受できる読者がいないだろう。

 それを考えると、物質文化がたどる道は、果たして発展なのか、衰退なのかわからない。

 プルーストの生きた時代は、文学の享受者層は、多数の一般市民ではなく、一部の貴族とブルジョワジーだった。言わば高等遊民の暮らしが許された僅かな特権社会だった。

 現代でもそうしたアリストクラートな世界は、地球のどこかに存在するに違いない。
 スワンやオデット、ジルベルト、アルベルチーヌ、オリヤーヌ、シャルリュスたちは、たぶんそのような世界で、永遠に生きてゆく。

 ながい時が流れても。

 愛と感謝。

 

 

 
 

 
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夕光(かげ)の射して澄む部屋ひとり居のかくてあるべき時を測りつ

2022-08-13 19:58:00 | Weblog

 夕光に。ゆふかげ、と古語で読む。

 


 
 朝からの嵐も暮れ方にはこちらを過ぎたようで、今はコオロギの声が聞こえる。

 明日はまた残暑に違いない。

 年末恒例のクリスマスリサイタルは、今年は右肩痛のためにできそうもない。だいぶ回復したが、チェロを日課に何時間も練習できるまでには、まだ。

 家庭的な都合も考え、一番シンプルなパフォーマンス、一人芝居を上演しようと思う。これも元気な身体あってのこと。

 愛と感謝。


 

 


 
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遠鳴りに空光りたり失はれし時はいつからいつまでか知る

2022-08-12 20:00:00 | Weblog

 遠雷に。

 数日、プルーストの「失われた時を求めて」を再読している。20年以上前に、井上究一郎先生訳を読んだが、細部はあらかた忘れてしまっている。
 長編の緻密な文体と描写は、大輪の薔薇のはなびらを一枚ずつ丹念にほぐしてゆくような印象で、ある程度の根気がいる。

 20代の頃に読んだ記憶が随所に甦り、書物そのものの感動に、ほろ苦い私自身の失われた時間の感慨が加わる。あの頃と今と。
 
 岩波文庫の訳は吉川一義先生で、井上究一郎先生よりはだいぶ現代的だが、やはり格調とリズム感、ユーモアがあり、大変に読みやすい。

 今年中に、プルーストを久しぶりに全巻読み通せたら、初老人生の一年として、この満足度は120パーセントだろう。

 



 三島由紀夫もきっとプルーストから多くを学んだに違いない、などなど「豊穣の海」の描写なども重なって思い出している。

 愛と感謝。




 

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