市の星月夜日記

織江市の短歌、エッセイ

いきものの声ほとばしるまひるまに我が身ほどきて音になりたし

2022-08-14 19:28:00 | Weblog

 残暑ふたたび。
 ことに晴れ間が広がった午後は、扇風機をかけて本を読んでいても、クラクラするほどだった。甲府の暑さにも慣れたが、明日には館山に帰る。

 









 プルーストを再読して思うのは、やはり文学と時代の関わりだった。「失われた時を求めて」が世界的名作なのは間違いないが、比類ない長編であり、また作家の豊かな教養と蘊蓄、富裕なブルジョワジー文化で育まれた精神性、感性、道徳感など、現代の一般的読者には受容困難だろう。
 私が30年前に初めて読んだ時、人生体験も教養も浅く、たぶんプルーストが随所に述べている音楽や美術、文芸に対する華麗で辛辣な叙述は、あまり理解出来なかったのではなかったかと思う。
 昨日、今の方が昔よりスラスラ読めると感じたのは、年功積んで、私のシェマが広くなったおかげだ。

 もしも今の時代に優れた知識と文化的素養、環境に恵まれた誰かが、プルーストのような全くエンタメではない傑作を書いたとしても、享受できる読者がいないだろう。

 それを考えると、物質文化がたどる道は、果たして発展なのか、衰退なのかわからない。

 プルーストの生きた時代は、文学の享受者層は、多数の一般市民ではなく、一部の貴族とブルジョワジーだった。言わば高等遊民の暮らしが許された僅かな特権社会だった。

 現代でもそうしたアリストクラートな世界は、地球のどこかに存在するに違いない。
 スワンやオデット、ジルベルト、アルベルチーヌ、オリヤーヌ、シャルリュスたちは、たぶんそのような世界で、永遠に生きてゆく。

 ながい時が流れても。

 愛と感謝。

 

 

 
 

 
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