いつのまにか四旬節。ちょうど今の季節は基督の受難への祈りを捧げる季節。
忙しくて、という言葉はよくない…(心が亡くなる、という字なので)あまり使いたくないけれど、ここしばらく御ミサにもあずかれない。
もうしばらくして復活祭。
介護のおつとめをはじめたころ、いろんなことで思い迷って、途方にくれると、なんとなく大聖堂に行って、ぼんやりしていた。
何かを真剣にお祈りしたということではなく、自分の心のありかを、静かに見定めたくて。
以前なら、とうていこなせない、と思っていたことなど、今は、すこしずつできるようになってきたかもしれない。
百年にいちどの世界同時不況、また昨夏の口蹄疫騒ぎからこの震災まで、日本は「受難」の季節。
停電の静寂、ものの気配が途絶えた空間に入り込むと、たびたび聖堂を思う。
原発、余震、水の汚染と、苦しい状況が続く。
それでも、復活をめざして、傷ついたひとびとや、日本は歩き出している。